第一印象から決めてました!

 ちょっと笑える話を紹介しよう。

 昔、とある大学教授が、三菱グループが防衛産業に関わっていることを批判し、その抗議としてだろうが「もう三菱鉛筆は使わない!」とツイッターで発言したそうな。戦争に加担する三菱に対して「絶対協力してやるもんか」というささやかな抵抗の意思表示だったんでしょう。

 しかし。このツィートはある指摘により、削除を余儀なくされた。実は教授は、誰もがしやすいある誤解をしていたのだ。

「三菱鉛筆」という名前から、単純に名前が同じなので「三菱グループ関連の会社のひとつ」だと連想し、それは確かめもしないでほぼ確信となり、この教授のように平気で「三菱鉛筆を買わないことが、三菱グループに影響を与えることになる」と考えさせた。



●実は、三菱鉛筆は三菱グループ企業ではない。



 その辺りの詳しいことは、ネットで調べればすぐ出てくるので、そちらで。

 三菱のあのマークも同じなので紛らわしいが、「なぜ、関係ないなら三菱グループとマークまで同じなのか」についても、そうなった経緯を詳しく紹介している記事もネット上にある。

 これは他人事なので 「この教授、やっちまったな。恥くさ~!」という笑い話ではあるが、割と誰にでも起き得ることなので、自分も襟を正される。

 この事例のように、「こうだろう」と考え信じ込んだことが、実は違っていましたと分かる体験というのは、それが自分の評価やメンツに関わってくるものである場合、ほろ苦い。

 ポイントは、「人から聞いただけの話や噂を鵜呑みにし、推測(あるいは希望的観測)を真理の域にまで格上げし、自分では確かめない」というとことにある。



 ある時、筆者にこういうメールをお寄せくださった方がいた。

(以下は私なりの言葉に置き換えたもので、原文そのものではない)



●私が賢者テラさんを知ったきっかけは、残念ながら悪い噂でした。

 ずいぶんと、ひどいことを言われていました。それだけ言われるからには、相応のひどい人なのかな、と思ってました。

 しばらくは、そういうことにして放っておいたのですが、何となく自分で確かめてみる気になりました。それで、恐る恐るあの独特の眼がギラギラしてる(笑)テラさんのブログを開けてみました。

 噂で聞いていたよりは、わりとまともなことを書いていると思いました。

 でも確かに、この切り口は賛否あるだろうなとは思いました。間違いなく万民向けではない。嫌う人は嫌うだろうとは納得しました。でも、私にはそれほど心地悪くありませんでした。

 ファンになるとまではいきませんが、ちょくちょく覗かせてもらいます。面白い記事、ありがとうございます。楽しませてもらいました。

 それにつけても、自分の目と耳で確かめることってやっぱり大事だな、と改めて思いました。



 もちろん、筆者がひどいやつ、というのは強くは否定しない。(笑)

 でも、一点だけ胸を張れるとするなら「私なりに発信には命を懸けている、体を張っている」ということ。

 言っていることは賛否ある(否の比率が多いが)けど、何を言われてもいい覚悟で、全力でやっている。スピリチュアル発信者は皆がそうではなく、肝心なところでは自分を貫いて踏みとどまるどころか、都合の悪い話題に関しては逃げる(華麗にスルーする)ような方もいる。

 確かに、筆者がいわゆる「本物」でないから、値打ちがないから皆が離れたという見方もできる。私の仕事上・経済上の現状が、何よりも私自身の真価と中身を如実に表している、という見方。

 でも、少ないが逆の見方をしてくれる人もいる。それでも変わらず発信する私の姿勢を評価し、応援してくださる方。私の世間での立場に関係なく、「内容が好きだから」と読み続けてくださる方もいる。

 いずれにしても、その人たちは皆「自分の目と耳で確かめに来てくださった人」である。

 よく読んでそれでもキライな方はもちろん出るが、批判的なブログや情報掲示板などを読んで悪い印象をもち、私の文章をまともに読むこともなく「賢者テラはひどいやつらしい」と思っている人は、結構いる。



 別にそういう人をどうにかしたい、とまでは思わない。誤解したければ勝手にそうすればいい。私は全然かまわない。

 ただ、そういうことをクセにしていると、三菱鉛筆を三菱グループの傘下企業だと勝手に思いこんでいた大学教授のような目に遭うよ? と老婆心ながら心配してあげているのである。

 この世界は、情報過多な世界である。あらゆる情報が飛び交っている。

 そしてそれは、正味の事実だけでなく個人や企業の利害事情、あるいは政府の思惑を裏に孕んだ情報も時として含むため、玉石混交である。

 皆さんは、ヘタに性善説が染み込んでいるので、テレビや新聞で言われることはほぼ疑わない。そういうのは、ちゃんとしてるところのはずだという固定概念がある。

 友人レベルですら、相手が好きならあまり情報の真偽を疑わなかったりする。

 世の中でも、いったんある意見が世論となり勢いがついてしまうと、もうそれが本当かどうかより「皆がそう言うのだからそうなのだろう」と、逆らえない大波のようにどんどん賛同者をつくる。一人ひとりはいい人でも、「集団心理」というのは恐ろしい怪物だ。それが今のバッシング社会の特徴である。



 もちろん、生活上接するすべての情報を疑っているヒマなど現代人にはない。

 だから、せめて次の点を気に留めておいてほしい。

 自分がじかに見て聞いてをしていない「人づての情報や人物評価」に関しては、ある程度は外部からの情報を元に自分なりの見解をもってよいが、もしかしたら「真逆の可能性もある」ということを思っておくだけでいい。

 そうして蒔いた種はいつか何らかの形で、あなたに益となる実を結ぶだろう。

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