人間は万物の霊長ではない

 うちの子どもが夏休み期間中だった時、私以外の家族がある日の夕方、地域の夏祭りに出かけた。ただいま~と帰ってきた娘が手に持っていたビニール袋に、愕然。



●き、金魚じゃないか~!



 奥さんによると、娘が夜店の金魚すくいで、すくった金魚を持って帰ると言って譲らなかったのだそうだ。ウチでは飼わない、仮に飼っても生き物を飼うことは大変なのだということを諭したが、誰の子だからそうなったのか(?)頑固なのでしまいに説得をあきらめた。

 奥さんは、まぁとにかく洗面器かバケツかにでも入れといて、テキトーにしとけばいいやろと安易に考え、とにかく家に連れ帰ってきた。とりあえずどうしようもないので、数匹の金魚は使用していない洗面器に移された。

 ウチの二人の子どもは、キャッキャと声を上げながら、喜んで眺めていた。



 まったく予想もしていなかった展開だ。

 金魚は、当たり前であるが生き物である。それを、私の同意がないとはいえウチに迎え入れてしまった。つまりは、もう責任は私にもあるわけだ。

 命には、礼をもって尽くさねばならない——

 そう考えた次の日、筆者は近所のホームセンターの中に組み込まれているペットショップに行った。

 そこで、水槽と濾過機、水質を調整する薬などがセットになった「初めての金魚飼育セット」なるものを購入。もっとすると思ったが、二千円ちょいで収まったのでホッとした。

 セットに付いているエサでは長く持たないので、金魚のエサも買いたかった。エディ・マーフィーの「ビバリーヒルズコップ」という映画で、金魚だか熱帯魚だかの水槽に食パンをまるごと1枚投げ入れていたが、あんなことはしたくない。

 残念ながら、季節柄私と同じような行動パターンをとった人が多かったようで、エサが品切れであった。そこはもう店じまいをする予定らしく、もうあるものは売り切って再入荷はしないのだそうだ。また、別の店を探して買いに行かねばなるまい。

 とりえず、いっぱしに「ウチは金魚を飼ってます」と言えるだけの見た目の設備は整った。立派な水槽の中でおよぐ金魚を見ながら、子どもは大喜び。

 やれやれ、である。



 金魚の生殺与奪は、私が握っていた。

 もちろん、捨てて来いなどと言う気はなかったので、とにかく何らかの入れ物には入れて、大して飼育法を調べたりせず死ねばまぁそれまで、というのも選択できた。

 世話をしてちゃんと生かすか、まぁ夏祭りの風物詩で、しばらく眺められりゃあとはいい、かは私にかかっていた。金魚はそうとも知らず、まぁ可哀想なものだ。

 水を替えても替えなくても。エサをやろうがやるまいが、金魚は何一つ文句を言えない。また、自分たちではどうにもできない。でも、与えられた環境の中でただ(こちらから見た印象に過ぎないが)一生懸命泳いでいる。

 私は、自分がその気になれば金魚が殺せる立場にあって、それでも金魚は自分の運命を呪うわけでなく、ただ「在る」ことに一種の感動を覚えた。

 動物も、一応本能(自己保存、つまり生存のための反応プログラム)はあるので、一応危険や苦痛からは逃れようとはする。でも、人間のそれとは次元が違う。

 人間は、「要らんことを余分に考えることができる」というオマケがある。自分がされていることの細かい情報まで、苦痛とセットで味わうことができる。主観的な知覚効果にプラスして、「自分がいまどんな目に遭っているのか」を考えられる。

 そしてそれをしているのがどこの誰で、理不尽で、無念だとか考えられる。誰も助けに来ない。絶望的だ。そんな痛みとは別の地獄の絶望までおまけで創造できる。



『人間は万物の霊長』という言葉がある。

 中国の「書経」という書が起源だと言われることもあるが、もっと古くからその考え方はあった。遠く、旧約聖書の書かれた頃までさかのぼれる。

 神は、天地万物を創造し、最後に人間を創った。その人間を神は祝福し、それまでに作ったすべてのもの(万物)を治めよ、と言った。

 つまりは世界のトップ。地球の生物ピラミッドの頂点。だから、人間は万物の中で最も優れている、と。

 だがある視点から見ると、人間のほうが万物より劣っている。

 この地球から人間がいなくなれば、地球は自然のパラダイスになる、という考えがある。誰も環境破壊や森林伐採をしないし、自然界に普通にあり得ない物質を生み出したりタレ流したり、地面深く埋めたりしない。原発もできないし、核戦争も起きない。人間だけが「比較して自分の損得を考え、その考えのもとに行動できる」。動物的にプログラミングされた生存本能以外の、余計なことが色々できる。

 だから、万物はただ在るがままに在れるのに、人間はぐちゃぐちゃ損得など考えるので、自滅する可能性を持っている。ネズミの一種が次々に水の中に飛び込む自然現象があり、あたかも動物が自殺するように見えるが、あれは自殺ではなく全体バランスの調整能力である。全体目的のために必要だからするにすぎず、決して人間のように生活や人生に絶望したからではない。



 また、別の視点から見ると、人間だけが恵まれている部分もある。

 さっきは悪い例として出したが、「考える力」「感情」を良い方向性で発揮すれば、素敵なドラマが生まれる。創造性という天からのギフトをうまく使えば、格段に人の精神文化は向上し、豊かになる。

 いくら万物は人間のようにエゴがない、完璧に在るがままに在るとはいえ、その営みにおいて複雑で味わい深い「奥行き」を作ることはできない。それは、自滅や失敗というリスクと隣りあわせになることを代償として天から与えられた「プレゼント」である。

 悪魔に魂を売る代わりに、願い事を何でもかなえるというお話の文学作品がある。ちょうどそれと似ていて、「個別」「自他」ということを味わえる世界を生きれる代わりに、無数の個が幻想として「自己完結」して、他と分かり合いづらい状況を背負うことを課せられたのだ。それが時折、この世界において悲劇を生む。

 個として生きる、という願いを叶えるための代償だから、この世界の悲劇は仕方ないのだ。もちろん、努力である程度減らせるが、完璧にゼロにできないのは、この次元に生きる宿命である。



 それ以上に、万物と人間を同列に並べて、どっちが優れている劣っているを論じるのが、的外れだ。人間は万物の霊長、というのはまったく的外れの、くだらない言葉である。

 たとえば、茶道の世界でナンバーワンの先生がいて、また相撲の世界で一番強い力士がいて、さぁこの二人はいったいどちらが優れていますか? と問うようなもの。

 あるいは、演歌とポッポスでは、どちらが音楽として優れていますか? どちらが劣っていますか? と真面目に考えようとするようなもの。

 万物と人間は、カテゴリーが異質なの! 役割が全然別なの!だから人間が優れているとか、そういう議論に意味はないの!

 また、万物は迷いがなく「悟っている」状態なのに、人間だけがエゴに囚われ、私利私欲に走ることができ、悪いことできちゃう分劣っている、という考えも意味ないの! 優劣を決めれるのは、同じカテゴリーに属していてこそ。

 相撲の世界に生きている力士同士なら、同じものを目指し同じルールの中にいるので、優劣をつけることは意味がある。何かのコレクター仲間同士だったら、誰が一番コレクションがすごいとか、レアものを誰が持っているとか優劣を言うことに意味がある。それを飛び越えたら、比べること自体がバカバカしい。



 人間視点で見たら、金魚はすごいな、と思った。こんな私みたいなやつに運命や生き死にを決められて、それで文句のひとつも言わず……

 私たち人間はヘタに頭がいいので、自分が置かれた立場をよく分かる。どんな家に住んでいるか。借家か持ち家か。立派か、狭く汚いか。

 給料はいくらで、生活レベルはどうか。裕福か、来月の家計も危ない状態か。未来の見通しは暗いか明るいか。そんなことをつらつら認識できる。

 希望も持てるし、絶望もできる。安心もできれば、心配もできる。これは、人間だけのオリジナル。

 でも、また同時に、人間は不幸や自滅と隣り合わせの決断をするリスクがあるから、そんな心配のない万物に劣っているのか? というそうでもない。

 そもそも、役割が違うのだ。我々は自由に思考し、感じ、その決断を実行できる能力を個として与えられた。要は、この世界次元の視点で「選択権」を与えられた。

 それを使う上で、色々なエンディングが生じる。仮にそれで選択を誤り悲劇になっても、それをもってして万物より劣ることにはならない。

 万物はそもそも「選択しない」。流れのまま、真っ直ぐに生きる。

 だから、そもそも選択しないので間違いのない万物が、選択をする必要があるがゆえに失敗をする人間より優れているという理屈にはならないのである。



●『人間は万物の霊長』ではない。

 万物は万物、人は人。

 ヨソはヨソ、ウチはウチ! そもそも、比較に意味はなかった。

 でも、万物と人間は同じ空間を共有して生きてはいるので、配慮は必要。自然と共に、土と共にうまく生きる必要はある。



 悟り系の話題で、「人間だけがエゴという無明の中にいる」とし、万物はあるがままにあるので優れている、見習えみたいなニュアンスの話があるが、これもおかしい。人は人だ。悩むのが仕事で、色々考えてそれでも自分なりに生きていくのが仕事。そもそもがそういうものなので、万物を目指さんでもいい。

 無理に、無念無想! とか言って悟りの境地など目指さなくていい。

 水槽に泳ぐ金魚を見つめながら、そんなことを考えた。

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