神秘体験に頼り過ぎていませんか?

 海外ドラマ版『スーパーガール』が動画配信されているので見てみた。

 超有名なスーパーマンのいとこ、という設定。時折スーパーマンもゲスト出演している。

 こういうヒーローものの物語はどうしても、主人公の正義のヒーロ vs それなりの強大な悪、という構図になるので、工夫できる部分が限られる。これがまったく超越した力をもたない普通の人間が主役なら、「ウォーキング・デッド」のように物語の可能性や意外性の幅が広がるんだけど……

 主人公が強ければ、よほど脚本をうまくつくらないとシーズンを重ねたら面白さが「持たない」題材ではある。さて、制作陣はこれをどこまで力尽きずモチベーションを持たせられるのか——



 スーパーガールには、自分が人間として一緒に育った「姉」がいる。

 姉は頭が良く、生物化学の専門家。しかも、戦闘員としての訓練も受けていた。

 姉は、妹であるスーパーガールが敵に負けないために、愛ゆえにある厳しい現実を見せた。クリプトナイト、というクリプトン人の超人的能力を弱める鉱石の力を調節して使い、スーパーガールを「人間の一般女性」の強さにした。

 その空間で、姉はスーパーガールに格闘戦を挑む。数年間、厳しく格闘術を叩きこまれた姉に、スーパーガールはボコボコにされる。

 姉は厳しく言い放つ。



●あなたは、「自分はスーパーパワーがあって強い」と思っている。

 それに頼りきっている。

 確かに、あなたが本来の強さなら、私は何をしても勝てない。でも、あなたと同じ条件にしたら、訓練を受けた私の方が強い。

 自分が強いと思っているから、あなたはパンチも大振り。弾丸もはじき返す体だから、防御もいい加減。

 でも、今あなたを襲おうとしているのは、あなたと同等の力を持っている奴らなのよ? ならば、もっと戦い方を学ばないと。同じものを差し引いても、なおあなたが強い部分を作っていかないと、これからの戦いは厳しいものになる——。



 スピリチュアルという世界で、皆が求めるのは「(神秘)体験」である。

 特殊な体験である。中でも、レアな現象は『悟り』である。

 そういったものが、できれば自分に来てほしい、と思っている。あれば、それは幸せに生きる上で強力な武器となり、アドバンテージとなると。

 確かに、スピリチュアル面において「体験」に勝る学習はない。

 でも、本当にそういう「こんな世界に意識が開けました!」「宇宙とひとつになり、悟りが来ました!」というその人は、それでもうメデタシメデタシなのか? というのが今回の記事のテーマ。

 そういう体験をしたと自称する人、とりわけ世に認められ、ご活躍の人などは周囲から見たら「生き生きしている」「オーラが違う」とか、まぶしく見えるようだ。

 また、神秘体験を体得したご本人も「私にはもう迷いがない、ブレない」「もう希望しかない」「もう問題意識というものは超越した」とか、ご発言が自信に満ち溢れていらっしゃる。

 ものすごい体験をすることで、ある意識的な確信に満ち溢れたら(極端に言うと悟ったら)、それでもうすべて解決だろうか。もう、対処すべき問題は残されていないだろうか?



●その人から悟りや神秘体験を取り去ったら人並み以下、ということがある。



 あまりにもその体験がもたらす何かが無敵なので、人は「精神内面上のスーパーマン・スーパーガール」みたいになる。

 もちろん、周囲のすべてがキラキラして見えたり、一切悩みや問題として何かを認識しないとか、そんなことはない。ただそれでも、確かに心的揺れ幅(動揺)というのは、相対的に見てかなり少なくなるだろうとは言える。

 筆者は、スピリチュアル的にものすごい体験をしたことで、それがその人の支えになっていたり、また人気や「メシのタネ」になっていて、楽々稼げている人にちょっと注意を促したい。

 中には、きちんと自己管理ができ謙虚さを忘れないような、できた方もいるだろう。しかし油断すると、明らかにすごい力を自分は持っているという自覚のもと、それに頼りすぎて一般人間の基本戦闘能力では「弱い」ということに気付けなかったスーパーガールのように——



●その神秘体験や悟りがあるから「すごい」ように見えるけど、素の自分が人としてどうかということが見えなくなるスピリチュアルスーパースターは少なくない。



 私は知っている。

 その人からカリスマ性と話術、そして他の人間がほぼしないレアな「神秘体験」ができたということを引き算すれば、ただのワガママの調子乗りになるような指導者がいることを。

 まぁ、滅多なことでその体験がもたらす境地や悟りが消えるわけではないので、そこまで気にしなくていいと言えばそれまでだ。現状、本当に問題ないだろうから。

 悟り人というのは、基本的に「迷惑な存在」である。皆がそのような人物をもてはやすのは、「たまにしか会わなくていい存在」で済むからである。

 せいぜい、講演会やセミナーに参加する程度である。泊りがけで指導者と一日中付き合うような合宿めいたツアーもあるだろうが、それだってベッタリではない。休憩や取っている部屋は別のはずだ。夜も一緒に寝ない。

 アシュラムにこもって、指導者と師弟関係のベッタリ生活をする人もいるだろうが、それだって相手が「師」だという視点があるから、そもそも敬って見れるのである。まぁ、そもそも師なので弟子は「すべてを好意的に見れる」メガネをかけているわけだ。

 でも、そういうのがない、相手のスピリュアル的側面の価値など何も知らない者は、ただのその人を見ることになる。その人の単なる親族や友人ということなら、それほど評価は上がらないことが多い。



●悟り人、特殊体験者や特殊能力者(サイキッカー)の本当の価値は、それを取り除いてあと何が残るか、にある。



 道元、という僧は悟りが深まれば深まるほど「気難しく付き合いずらい」人になったらしい。キリストも、かなりの変わり者であったはずである。一休宗純(アニメの一休さんのモデル)も、かなり奇行の目立つ人だったという。

 だからといって、「悟りとはそういうものなんだ」で済むとは思っていない。

 私たちは、一応『人間』というネーミングをもらっている。字で書いて「ひとのあいだ」。つまり、この人間世界ゲームで得点スコアを挙げてゲームに勝つとは、「自分の自覚上、自分だけが幸せ」であればいいのではない。

 それでは得点にならない。自分だけではなく、周囲もその人を通じて幸せに感じる。良いなと感じることもおろそかにできない。



 最近のスピリチュアルでは、「自分が心地よいものを選ぶ」「自分が良い気分(波動)でいる」ことがもてはやされるが、それはヘタをすると「他人がどう思うかという視点を欠き、バランスを崩す」 危険性も内包している。人はそれほど器用ではないので、「そうか、まず自分が幸せになればいいんだ!」と変に解放されてしまうと、油断すると客観性(他人への配慮)を失う。

 本人はいい気分、しかし本人の知らないところで「アイツめ」 では悲しい。それを完璧に解決はできないが、限度というものはある。



 悟り体験や、内面の神秘体験を通して自分が「不思議なほど内面(メンタル)が強くなった。穏やかになった」と自覚する人は、そこでゴールではない。むしろ試練の始まりである。

 そういう人ほど、「他人から見てどうなのか」をあえて考えるくらいのほうが、バランスが取れるというもの。自分からそれ(神秘体験)を取ったと仮定して、それでも残る自分の強みや魅力はなんだろう? と問え。

 あまりにも、そのすごい体験や境地のゆえに、ほとんど敵なしで努力も要らない「スーパーガール」のように、調子にのってそのパワーを使いまくっていると、ある日その力ではどうにもならない事態がいつか起きる。

 その時、他の訓練を積んでこなかったあなたは、手も足も出ず愕然とすることになる。ゆえにスピリチュアルで食っている人は、その能力がある日突然消えても「ツブシ」が利くようにしておくことをオススメする。たとえ死ぬまで安泰でも、それに備えておくことは必ずやプラスになる。



 最終的に必要なのは、特殊体験でもなく「悟り」でもない。

 人として基本的な、温かみや優しさ。

 自然に人を助けたい、愛したいという情の発露と、障がいをはねのけてそれを実行できる勇気。

 もちろん人間なので、完璧にはいかない。好き嫌いも出るし腹も立つ。

 でも、両天秤にそれをかけて最終的に「愛」に傾けばそれでいいのだ。人間としての「弱さ」とは、この世界が続く限りうまく共存していくしかない。それ以上にスピリチュアルな完全性を求めるのはやりすぎであり「マゾ」の領域だ。

 最後に残るのは、その人なりの人や世界との向き合い方、生々しい取り組みだけだ。あとは、自分からスピリチュアル的な特殊能力が失われた時、それでも自分が社会に役立てることは何かを考えておくことである。

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