とんでもないことはメッセージ
今から紹介するのは、ちょっとマイナーな日本の昔話。
他で話しているのをほとんど聞いたことがないし、絵本としてもほとんどない。
内容もちょっとえげつないだけに、普及しにくかったのか……
では、そのちょっと聞く者をドン引きさせる話の内容を、紹介しよう。
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昔々、あるところに小さなお寺があった。
そこには、和尚さんと小僧さんがひとり、暮らしておった。
ある日、和尚さんは町へでかけ、小僧さんは寺の留守番をしておった。
するとどこからか、身長と体の大きさは普通の大人の2倍はあろうか、という大男が、寺のお堂へ入ってきた。ただ大男というだけでなく、見た感じが普通ではない。もののけ(妖怪)のたぐいだ、と直感した小僧さんは恐怖にこわばった。
「おいそこの小僧。いまからわしの言うことを聞け。聞かねば、お前を喰っちまうぞ!」
「は、はい……」
勝てそうにもないし、隙を見て逃げれそうでもないので、小僧さんは言うことを聞くより他仕方がない、とあきらめた。
「何をすればいいんでしょうか」
「すり鉢をもってこい」
「はぁ、すり鉢ですか」
小僧さんが言われた通り持って来たら、大男はなんと尻をまくり上げてすり鉢の上にしゃがみ……
そのすり鉢に、ウ●コをし始めたのだ!
小僧さんは、どん引きした。
しかも、本当に恐ろしいのはそこからだった。
「やい小僧、これを食え」
「ええっ!」
そ…それだけはいやだ! でも、命は惜しい。食えば後で体に障るだろうが、今生きなければ。今死ぬわけには——
小僧は、人生最大の勇気を振り絞って(最大のやけっぱち?)、大男のウ●コを口にした。
「う、ウマッ!」
ビックリした。なんと、そのウ●コの美味なこと……
小僧さんは、あっと言う間にペロッとたいらげてしまった。
それを見た大男は、「また来るでな」と言い残して、去っていった。
小僧さんは、結果実害を受けたわけでなし、うまいもんが食えたのでそう深刻なことではないと考え、和尚さんに相談したりしなかった。
しかし、次の日もまた次の日も、なぜか和尚さんの留守の時にやってきては、ウ●コを小僧に食わせていった。あまりに毎日続くので、害はないと言ってもやはり不気味なことではあり、とうとう小僧さんは和尚さんに打ち明けた。
すると、和尚さんはこう言った。
「今度その妖怪が帰る時、こっそり跡をつけなさい」
小僧さんは言われた通り、ウ●コを食べた後大男が帰っていくその跡をつけた。
どんどん山道を越え、だいぶ歩いた後、ぽっかりと開けた場所へ出た。
そこには、大きな梨の木があり、たくさんの実をつけていた。
だが、その木の存在は人間には誰にも気付かれていないようで、誰も収穫しないため食べられずに悪くなりかけている梨も多かった。勿体ないことであった。
それを聞いた和尚さんは、こう言った。
「なるほど、ではその大男は梨の化身かもしれんな。お前が食わされていたウ●コは、実は梨じゃったんだな。誰か人間に食べて欲しかった。そして、気付いてもらいたかったのかもしれぬ」
後日、和尚さんと小僧さんは二人で梨の木の場所に出かけ、手厚く拝んでいった。
知った付近の村人たちもありがたく梨をいただくようになってからは、もう大男の姿は現れなくなった、ということだ。
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突然強面のデカいオッサンが現れて、ウ●コ食え!って強制されるのは、誰がどう考えても「不幸」なことである。残酷な仕打ちとしてはトップクラスを誇るだろう。
(この話でも、ウ●コが実は食えておいしいものだと分かるまでは、地獄の責め苦だろう)
でも、そこには意味があった。込められたメッセージがあった。他者からの心の叫びが、SOSが込められていた。
大事なのは、不幸の表面に惑わされるのではなく、その奥を探れることだ。
●幸せ探しのスキル・不幸のひっくり返しのスキルは「推理力」である。
頭を使わないで得る幸せは、大味で深みがない。賢く在ることでまさかのところからもぎ取った幸せは、隠し味の多い深い味わいがある。
悟り系スピリチュアルでは、「他人はいない」「問題などない。問題だと思うから問題になる」「何が起きても、あなたの正体(全体意識・ワンネス)には何の影響も問題もない」などということが言われる。問題にこちょこちょ取り組んでうまく解決しろというのではなく、「そもそも問題にするな」というのである。
取り組むのではなく、そもそもの意識の在り方によって一気に問題を無効化しろ、と。まぁ、そりゃそうなんだが。それが手っ取り速いんだが。
でも、筆者はそのやり方を勧めない。そんなやり方だとしまいには——
●あなたという人生のストーリーが、(相対的評価だけど)面白くなくなる。
たとえ問題がなくなっても、深みも味わいも薄くなる。
名探偵が難事件を暴くような賢さが、実は人間には必要なのだ。
職業的名探偵になるのは限られた人間だけでいいが、すべての人に「自分の人生の謎を解く名探偵」にはなってほしい、と思う。
スピリチュアルは、どうしても根源論的な究極的な話を扱う性質上、問題の解決よりも「そもそも問題としない」とか、意識の在り方を変えることで、戦わずに済む方法を考える。
実際これは楽なので皆殺到するが、たとえるならトランプでジョーカーとか強いカードばかりいつも手元にあって、ゲームが楽過ぎて大して楽しくないような状況を生みやすい。
(実は本当に楽になっているのではなく錯覚だと気付く時がくるが、だいぶ後である。ただ後回しにしているだけなので当座は問題が消えているように見えるだけ)
●この世界には、わざわざ問題を作ってそれを解決して、物語をどんどん先へ進めるために来たのに、「そもそも問題がない」という持っていき方は、多用しすぎると人生の怠け者になる。
筆者はどうしてもしんどい時、たまにならその方法でもいいと思っている。そもそも問題などない、という非二元や悟りの視点は。
でも、私に言わせればそれをやれる人が立派だとは思わない。むしろ、その問題を何とかしようと、責任感をもって誠実にぶつかっている人のほうが好きだ。
「そもそも、それは問題でなんかありません」というのは、スピリチュアルの世界では通用してもこの世界では失礼に当たったり、無責任に相当したりする。
スピリチュアル界の住人が「この世界に問題などない」という意識の持ち方で楽になっても、その世界に生きていない周囲の人間を不快にさせていることがある。
あなたは、周囲を不愉快にするという代償を払って、自分だけ楽になろうとしているのである。なぜなら、あなたが勝手に「問題ではない」と捉えているだけで、周囲にとっては依然として問題に違いないからだ。
周囲を置いてけぼりにして、自分だけ問題のない世界に逃避行する。それはいただけない。
どうしてもつらい時は、意識の在り方を利用させてもらって楽になっていい。どうしても解けない問題の答えを仕方なく見るような感じかな。
何でもかんでも安易に答えを見ずに、できる問題は自分で解く。どうしても無理なら答えを見て、あとでもう一度自分で解く、ということをしておけば、それはあなたの力となる。
あなたの人生がドラマチックで、面白いゲームであるためにも、あまり意識の在り方に寄りかかり過ぎた解決ばかりしないように。
どこかからジョーカーをもらって簡単に勝つより、自分が持っている手札の中から、自分の力と知恵、そして素直な気持ちを武器に現実と向き合うほうがいい。
悟り系スピリチュアルは、自分という自我にまつわる思考を回転させて物事にうまく対処する、ということを少々低く見ている感じがあるが、どうしてなかなか立派な人間の営みである。
二元性の中で持てるものを精一杯使って、その範囲の中で最善を尽くそうとすることこそ、美しい在り方だと思っている。安易に、問題そのものがどうとか根源論的に無効にしてしまう非二元は、人を楽にさせる錯覚はあるが人間としての怠け者を生みだす危険がある。
昔話の小僧さんが、もし「私にウ●コを食わせ、困らせる大男というものがそもそもいない」「どこにも問題はない」と、最初から問題にすらしない意識だったら、その現象の奥に秘められた「秘密」「正解」にたどり着けない。テストの問題用紙に書かれた問題の文字を消してしまうような行為が、「そもそも問題ではない」と意識の持ち方で逃げる行為に当たる。
テスト問題に対して、そもそも問題を解くことに意味はない、問題そのものにも意味がないと相手にしないことは失礼だ。あなたは高尚な乗り越え方をしたつもりかもしれないが、そんなの0点である。
ちゃんと問題に取り組み、あなたなりの全力の解答を書きこんでこそ得点となる。非二元とか悟りもよいが、そういう基本的な姿勢がないと人としてはどうかと思う。
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