悲しき玩具

石川啄木いしかわたくぼく』という人物名は、誰しも耳にしたことはあるだろう。「短歌」というキーワードや「文学」というキーワードで皆さん記憶されているだろう。

 でも、いったいどういう人物であったかとか、どんな人生であったかとか。彼がどんな苦悩や絶望を体験したのか、などは案外知られていないのではないか。

 かく言う筆者も、大人になるまでは彼に関して「素朴な短歌を残し、若くして死んでお金に縁がなかった可哀想な詩人」と、一言で表現できるような単純すぎる認識をもっていたものだ。



 調べる気になればいくらでも詳しいサイトがあるので、私ごときがここでわざわざ言うこともないが……ホントにちょっとだけ、彼の人物像の一端でも知れる情報を紹介しよう。

 啄木は、26歳と2ヵ月で亡くなった。肺結核であった。

 彼は、その自分の命を奪う病気に対し、このような歌を詠んだ。



●かく弱き我を生かさず殺さざる姿も見せぬ残忍の敵



 啄木には金がなかった。

 医者が手を尽くしたが死んだ、というわけではなく、お金がなかったので入院中に服用する薬を買えなかったのだ。もし、薬が十分あったら、もう少し彼は長く生きていたかもしれない。

 彼は、もともとそうではなかったが、傾向として現実主義にならざるを得なかった。社会主義やアナーキズムに傾倒したのも、押しとどめられない流れだったのかもしれない。



 啄木は、若かりし頃に文学に惚れ込み、本来の学業をおろそかにした結果、カンニングをしてしまう。(それも2回)要領が悪かったのが運が悪いのか(笑)、2度ともバレて退学。

 その頃、文学雑誌に投稿した短歌が採用されたことで気をよくし、文学で身をたてることを決意。「オラ東京さいぐだ!」と出てきた東京であったが、もとから病弱であったのと無理とがたたり、ドクターストップがかかる。

 父が上京してきて啄木を連れ帰ったが、決して病気が理由ばかりでもなく、仕事もなく無収入で、家賃を全然払えておらず生活が破綻していたからでもあった。



 故郷へ帰った啄木は、詩集『あこがれ』を出版する。

 中学時代からの馴染みの女性と結婚したい、ということもあり、貧乏な啄木は「この詩集は売れる」と考え、その印税を「皮算用」して、式の日取りや必要なものの手配を計画する。

 しかしフタをを開けてみれば、文壇で好評は得たものの実売には結びつかず、ゼンゼン売れなかった。その後、啄木はひねくれた行動を取る。正式な結婚式の少し前にひょっこり旅に出てしまい、式当日も帰らず新郎不在の結婚式になった、という無茶なエピソードがある。



 その後、いろいろあるが全部紹介しているとそれだけで長くなる。

 だからかなり思いきって要約すると、以下のことの形を変えた繰り返し、が啄木の人生である。



●病気。


●仕事を見つけても、続かない。

(人間関係・本人が興味を失ったり、気が変わったり)


●借金。

(とにかく人にお金をせびるクセがあり、人生で彼が借りたお金の総額は、今のお金の価値に換算して1400万ほどになる)


●自分の考えや信念のために、友人知人・親族を振り回す。


●身近な人物の早逝が続く。

(自身だけではなく、後に妻も若くして亡くなり、啄木の存命中に一人子どもを亡くしている。啄木の死後、二人の遺児(女の子二人)がいたが、この二人も後に亡くなる。ただ、うちの一人が子どもを残して亡くなったので、啄木の子孫は残された)


●才能は確かにあったのだろうが、時代の流れとの相性の悪さ、本人の人となりとしての 「クセ」 のようなもののせいで、結局そのごとくを認められ、開花させることはなかった。



 また啄木は、良くも悪くもその今の気持ちに正直すぎた。

 たとえば、かつて世話になった恩師や、支えてくれた知人に対しても「時代遅れのダメ作家」と言うなど、思ったままに遠慮なく批判したり、絶交を言い渡したりしている。

 世話になったことは感謝しているが、それはそれ。でも、本当に今ダメだと思うんだからそう口にする。そういう、啄木なりの考えがあるのだろうが、並の人間(?)にはついていけなかった。

 啄木は、己の中に確かなる『血』の胎動を感じていたんだと思う。

 自分には間違いなく表現者としての力があり、また使命のようなものがあると。

 でも、彼はそれを認めてもらう機会に恵まれなかった。彼の出し方にも問題はあったのかもしれないが、「表現する → 売れない → 仕方がないから普通の仕事をする → なにかこれじゃない感にイライラ → 結果仕事が続かない →さらに貧乏に → 気持ちがすさむ」という悪循環を繰り返す。



 そういう、自分の才能に確信を持ち、それがきちんと理解されないことで世間や文学界が「分かってない」と考え、そのねじけた思いから時代と戦ってきた啄木。

 そんな彼の、最後のエピソードには、心打たれる。

 亡くなる10日前。薬を買うお金がなく困り果てていたところへ、友人が遠慮がちにお金を貸してくれた。(相手はこれまでの彼のせびり癖、借金魔としての彼を知ってるはずだから、なおさらこれは何よりも驚きで、有り難いことだった)

 啄木は黙り込み、奥さんは泣いた。大変なところを貸したのかと心配させないため、貸した友人は「著作の原稿料が出たばっかりだから、気にするな」と言ったところ、啄木には珍しく、まるで自分の本が出たかのように喜んでくれたという。



『こう永く病んで寝ていると、しみじみ人の情けが身にこたえる』

『友だちの友情ほど嬉しいものがない』



 何だか、亡くなる間際になって、彼の人生が「原点回帰」しているように思える。天才啄木はある意味「間違ってはいなかった」のかもしれないが、正しい間違いを超えた「この世で生きる以上、正しい間違いに関係なくどうしても大事なこと」に素直になれたのだろうか。

 彼の、人生の最後の詩と言われるのがこれ。



●庭のそとを白き犬ゆけり

 ふりむきて 犬を飼はむと妻にはかれる



 最後に、「犬でも飼うか……」 とボソッと言って死んだのだろう。

 非凡な才を持ちながら、その出し方が世の中とうまくかみ合わなかった、怒りとやるせなさを湛えた人生。でも彼が詠んだ最後の歌は、そんな彼だったことを一瞬忘れさせてくれる。

 お金がなく、あまりにも不憫な天才の死に、これではあんまりだ、彼の才をできるだけ後世に知らせたい、と若山牧水らが啄木の死後奔走して出版にこぎつけたのが、最後の歌集『悲しき玩具』である。



●途中にてふと気が変り つとめ先を休みて 今日も河岸をさまよへり



●新しき明日のきたるといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど——



●真夜中にふと目がさめて わけもなく泣きたくなりて 蒲団をかぶれる



呼吸いきすれば 胸のうちにて鳴る音あり こがらし よりもさびしきその音



 私は、何かの「才能」というものは、時として『悲しき玩具』と言えるかもしれない、と思う。

 その玩具おもちゃで遊んで、楽しい結果になればいいのだが。

 この世界は、あらゆる可能性が存在するようになっている世界である。だから、才能(玩具)を与えられても、無数にいる与えられる側は、一人ひとり違う。才能が花開いて世に還元できている人は、才能だけでなく世とのすり合わせもうまい。

 その意味で啄木は、かなり特殊なシナリオを担当した人物だったようだ。玩具を使っての遊び方が下手だった。

 まさに、啄木の人生をトータルとして見た他人の評価は「悲しき玩具」だった。

 おもちゃを正しく扱い切れなかった。他者の理解を十分に得られなかった。



 もちろん、本人自身が人生を終える時にどう思ったのかは分からない。

 事実がどうであっても、啄木自身にしか、本当の評価は決められない。

 ひょっとすると、これまでが悲しき思いや憤怒に駆られることの多い人生でも、最後は友人たちの心遣いが身に染みるというところに返ってきて、おだやかに逝けたのかもしれない。

 それなら、他人がとやかく評価することではなく、最後啄木は「幸せ」だったのかもしれない。



 世に埋もれた才能は、世のために生かすべきだ。そう言われる。

 しかし才能を持った者が、必ずしも人当たりが良く、うまく世に提供するスキルがあるとは限らない。

 また世の側も、全体が「無難に動く」ことを守ろうとする動きになりがちなので、それを損なうリスクを取りにくい。才能は時に、その時代の(良くも悪くも)安定した流れと対立することがあるから。

 もう、互いの歩み寄りしかない。どちからかだけの努力ではムリ。鍵と錠前が両方要るのと同じ。

 玩具(才能)を天からもらった者は、たとえ自身が正しくとも、世の者への出し方に配慮してやること。また、その才能が生きる世の中の大勢も、目の前の安定や利益よりもその才能が「長期的にもたらしてくれること」のほうを見抜き、大事にしようとすること。



 まぁ、啄木の人生にしても、結果何が起きてもそれが起きるべくして起きたひとつの可能性(ストーリー)だし、宇宙で誰かがその役をやる必要があった、と言えばそれまでだ。

 でも我々が生きているのはすべてを超越し、俯瞰した『天』ではない。自分で選べ、人生を作っていくことができるという実感に生きる『地』なのだ。

 だから私たちは、才能が『悲しき玩具』となる損失を減らし、世界に健全に還元していくためにも、賢く在らねばと感じる。その賢さとは単に頭がいいという賢さではなく——



●自分にとっての損得や個人的感情を超えて本当にいいものはいい、と言える素直さ

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る