中でも難しい願望実現とは

「みょうが(茗荷)」という食べ物がある。

 その昔、「みょうがを食べると物忘れがひどくなる」ということが言われていた。現代では、まったく根拠がないデマどころか「逆に勉強や仕事の集中力アップにつながる」とまで言われている。じゃあなぜ一体昔の人たちは、これを食べたら物忘れしやすい、と考えたのだろうか? そういう研究も楽しそうだが。

 今から紹介するのはそんな昔の日本の民話、『みょうがの宿』 。



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 昔々、宿屋を営む欲張り夫婦がいた。

 その欲張り加減が他人にも伝わるのか、客はめったと寄りつかなかった。

 ある日のこと、久しぶりに「金持ちそうな上客」が泊まった。

 強欲な二人は、食べると物忘れをするというみょうがを客に沢山食べさせて、大金の入った分厚い財布を忘れていかせようと計画した。



 精が付くからと説得して、みょうがの串焼き・みょうがの浅漬け、みょうがの三杯酢、みょうがの煮つけ、みょうがのお汁、みょうが荷飯、にお酒。みょうがのフルコースだったが、どれも美味しかったため客は大喜びだった。



 朝もみょうが料理を食べさせられ、客はフワフワした感じで宿を出て行った。

 強欲夫婦は、客のいた部屋をくまなく探し回ったが、財布は忘れていなかった。

 しかし、夫婦はふとある重大な事実に気付く。宿賃をもらい忘れていた、ということに!

 財布を忘れさせるつもりが、宿賃を払うことだけをを忘れさせてしまった、というなんともしまらない話。がっかりした夫婦だが、いいことはあった。あの客が「あの宿のみょうが料理はうまい」と言いまわったため評判になり、その後「みょうがの宿」と呼ばれ繁盛したそうな。



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 ドラえもんのお話で、「ねがい星」という名の未来の道具の話がある。

 願いを何でもかなえてくれる、という一見すごそうな道具だが、勘違いするという欠点がある。たいやきが食べたい、と言えばタイヤと木が出てきたり、香水が欲しいと言えば洪水が起きたり……まったく、こちらの思い通りのものを出さない。



 スピリチュアルで盛り上がりを見せる分野に、『願望実現系』がある。

 文字通り、思い通りに願いを現実的に叶える、ということを目標としている。

 筆者はそういったことを決して否定はしないし、そんなことは無理とも言わない。ただ、みょうがの話とドラえもんの話をしたのには訳があって、次のことを伝えたいためである。



●願望実現ができやすいのは、「自分自身だけに関わる内容」。

 チャレンジしても思うように叶いにくいのは、「実現に他人の意思決定も絡んでくる内容」。



 例えば、「自分のことを好きになりたい」「ダイエットしたい」「逆上がりができるようになりたい」 など。

 自分を好きになる、すなわち「自己肯定・自己受容」は、そのために必要なプロセスはすべてその人の内面でなされる。まさに自分だけに関わることなので、まったく自分次第である。

 ダイエットも、時に他人と食事に行った時につられて皆と同じ分量を食べたいような誘惑にも駆られるし、「あんたも食べれば? うまいよ」なんて悪魔の囁きにも引っかかる。その点では、他人のせいにもなるかもしれないがそこまで考えるのは甘えである。自分にしっかりした意志があり、本当にやせたいのなら、自分とだけの闘いで済むのだから。

 鉄棒の逆上がりなども、最初の成功の秘訣はあきらめないでやること、勢いよく思いきり足を上げることがコツである。がむしゃらにやって一回でもできた感覚をつかめたら、あとは勢いや力ではなくむしろ力の入れ方だけで軽く回れると学習できる。



 しかし、「有名作家になりたい」「お笑いで頂点に立つ」「歌謡コンクールで優勝するぞ」などと願う場合はどうか?

 もちろん、願う人自身のポテンシャルや実際の努力があれば、いい線は行くだろうが、絶対ということはない。

 いくら、あなたが自分で「これは」と思う小説を書き上げて誇らしげでも、他人が同じように面白いと思わなければ出版などできない。選考会での、審査員の先生方の好みの問題もある。

 あなたの願望実現において。他者の意思決定にある程度頼らざるを得ない要素がある場合、確実な願望実現などあり得ない。ギャンブルと同じだと思っていい。



 あなたの意識の「イメージする力」「願う力」「信じる力(すでにそれを得た、という境地)」がいかに強くても、それ自体に他者の意識をコントロールして、あなたにとって有利な判定を下させるという力はない。

 他人の選択というものはただただ、誰にも干渉されない、その他人の閉じた内的世界における「自主選択」なのである。

 間違っても、引き寄せの主が他人に「そう動くようにした」ということは起き得ない。すべて個人が、自分の責任の範疇で「そうしたいから」決定したことである。

 他者があなたに有利な行動を取ったら、それが他者の決断が「たまたま」あなたの望む方向と内容が一致した、というだけのことである。なのに、傲慢な引き寄せ系の人は「私が (人を) 動かした」「これだけの人を集めた」という言い方をする。



 この世界で一番理解しがたいのは「他人」である。その気持ちであり、世界である。また一番思い通りにいかないのも、他人である。恋愛など、その最たるものであろう。

 あなたがいくら頑張っても、他人あってのことなら100%願い通りになるとか、夢は叶うとかいうことはない。さっきも言ったが、他人の意思決定がほぼ絡んでこず、自分の意志だけが重要な事柄なら、比較的叶えやすい。

(酒をやめるぞ、とか。それだって、意志薄弱な人には大変である)

 しかし、冒頭のみょうがのお話でいうと——



●物忘れをさせる



 これだけを目的とするなら、まだ望みありである。物忘れなら、何だっていいのであるから。

 しかし、単に物忘れさせるだけじゃなく——



●その物忘れが、「財布を忘れる」という方向で発揮されるのでなければならない



 これを狙うのは、無謀である。

 個人差、というものがある。他人の物忘れの出方など、コントロールできるか!

 ねがい星ではないが、基本的に他人は勘違いをする。勘違いするだけでなく、それぞれ自分の都合で基本物事を考える。

 その事実を受け入れ、ある程度人生の表裏を味わい知った者は、個性にもよるが多くのケースで願望実現など考えない。(そもそも発想しない)

 自分の世界に関わることで済むなら甲斐があるので努力もするが、他者の思惑も動く必要のある内容の場合、自分でできる範囲のことをし終わったら、むしろ力まず手放す。天に「お任せ」にする。

 他人がどう思うか、自分の願い通りの判断をしてくれるのかは、ある程度以上は努力をしても意味のない領域。自分ができる本分を果たして後は、何も期待せず自然体でいればいい。

(賄賂、または相手より上の立場を利用しての脅し、などという他人を動かす現実的手段があるが、そんなもので願望実現してもクソである。逆に、相手が高い精神性をもっていたらそれでも撥ね付けられる場合もあるので注意!)

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