善人の弱点

 ほとんどの人が知らないだろうが、外国の昔話で『3月と魔法の小箱』というのがある。正確には分からないが、ヨーロッパのどこかの国に伝わる話だったと思う。



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 昔々、貧乏な兄弟がいた。

 弟の方は優しく、兄の方は意地悪な性格だった。



 ある日、弟が夜中道に迷った。

 気温が低く、寒すぎて暖を取る必要が出てきたが、周囲には何もない。

 それでも歩いて行くと、テントが見えてきた。

 近寄って見ると、12人の男がたき火の周りに円になって、火にあたっていた。

「私も、お仲間に混ぜてくれませんか?」と弟が言うと、12人はいいですよ、と快く承諾。

「暖かい。生き返るようだ……ありがとうございます」

 すると、弟のちょうど横に座っていた若者が、声をかけてきた。

「あなた、3月をどう思います?」

 いきなりそう聞かれて、どう答えていいのか分からず黙っていると、若者はそのまましゃべり続けた。「分かりますよ。あなたも3月なんて……て思っているでしょう。寒いし、雪解けで地面だってぬかるんで歩きづらい日が多いし、それに——」と、悲しそうに3月の悪い点ばかりをあげつらった。



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 ここでちょいと補足。

 日本での3月を考えてこの外国の話を読むと、違和感を感じる。3月って、春が来て結構暖かくなるんでは? 三寒四温ではあるが、2月よりもだいぶ暖かいイメージがあるはずだ。

 要するに、気候の違う遠い外国の話なので、ここでは3月が日本での1月・2月あたりに相当するということ。



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 でも心優しい弟は、3月の悪口ばかりを言う若者が話し終えたタイミングで、次のように言う。

「でも、3月だっていっぱいいいところがあるじゃないですか。今まで眠っていた木々に芽が付き、新しい命の息吹を感じる。私は、3月は大好きですよ!」

 弟がたくさん、3月が素敵な理由を話すほど、若者の沈んだ顔がみるみる明るくなっていた。

 お別れ時、若者は木製の小箱を、弟に手渡していった。

「あなたのように、3月を好きでいてくれる人がいると分かってうれしい。さっきの話を聞かせてくれたお礼に、この小箱をあげましょう。これに向かって~が欲しい、というとそれが現れます」



 受け取って家に帰ってきた若者は、半信半疑で小箱に言ってみた。

「あたたかく美味しい食事をおくれ」

 すると、肉料理を始め豪華な料理がズラリ、テーブルに現れた。

 驚いて、服や馬車まで出して、弟は裕福になった。



 噂を聞きつけた兄が、弟のところにやってきた。

「一体なぜ、急に裕福になった。何か方法があるんなら、兄さんに教えてくれ」

 弟は、夜中に道に迷ったあたりの場所を教え、そこのテントの中に入って仲間に入れてもらったことを話した。そこで会話の相手をしていたら、もらえたんだと。

 そこで兄は早速真似をして、夜になってわざと弟が迷ったであろう場所に行った。

 寒いのを我慢して歩くと、確かに弟の言う通りほのかに火の光がぼうっと見えるテントを発見。

「お邪魔しますよ」 兄は、12人の男たちが承諾する返事も待たず、どっかと座った。しばらくして。兄の横の若者が、やはり「3月をどう思います?」と聞いてきた。で、ここぞとばかり「3月ほどひどい月はないですねぇ」と、3月の悪いところをこれでもか、というほどあげつらった。

 それを聞く横の若者の顔は赤くなったり、青くなったり。兄が帰り際に、若者は木の棒を渡して言った。

「これに、100ほどおくれ、と言うといいよ」



 家に帰った兄は、きっと望むものが100ほど出てくる魔法の棒だと勘違いして、『金貨、100ほどおくれ!』と叫んでみた。するとその棒は空中に飛び上がり、兄のお尻が腫れ上がるくらい、100回ぶっ叩いたとさ。



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 テントにいた12人は、1月から12月までを司る「神様」のような存在だった。

(神様にも、自己承認欲ってあるのね……)

 3月を褒めた弟、腐した兄。それぞれに受け取るものが違った、という話。



 皆さんお気付きと思うが、日本の昔話でも同じパターンが存在する。

「花咲じいさん」「こぶとりじいさん」「舌切り雀」「おむすびころりん」

 良いおじいさんと、悪いおじいさんという対照的な二人が、やることは同じでも全く違う結果を受け取る、という話になっている。ここで、ちょっとひねくれた視点で物語を見てみよう。



 3月の話では、弟は兄に、どうやって小箱をもらったのかという「方法」だけを話した。夜中道に迷って、テントに入らせてもらい、横の若者の話し相手をしたとだけ。弟に悪気はないが、一番肝心なことを教えなかった。



●礼儀正しくすること。

 聴かれたら、3月のいいところを言ってあげること。褒めること。



 これをしないのに、場所にだけのこのこ現れても無意味。

 じゃあなぜ、弟は悪気なく「一番肝心な情報」を言わなかったのか?



●当たり前だと思っているから。

 人には優しくする。辛そうにしている人がいたら、励ましてあげること、物事のいいところを見つけてあげることは、弟にとっては当然のことだった。

 当然のことだから、いちいち言う必要もない、という意識があった。

 弟は、兄には自分の当たり前ができないということに、善人過ぎて気付いてあげられなかった。



 日本の「花咲じいさん」も同じ。

 ポチがここ掘れワンワンして、大判小判がザックザク出た。

 それを見た隣の悪いおじいさんが、「ポチを貸せ」と言ってくる。

 結局貸すのだが、「やることだけ真似しても、意味ないと思うよ」とどうして言ってやれない? その後も懲りずにいくつかの行為を真似するが、悪い方のおじいさんは全部結果が裏目に。

 自業自得で痛みを学ぶことも大事ではあるが、大変な学びになる前にちょっと「誰かが、なぜうまくいかないか教えてあげてもいいのに」。

 これらのことから、善人と言われる人々の弱点は次のように言える。



●他人が、自分と同じレベルの優しさや考え方を持っていると信じていること。

 その前提で、必要な説明を省く。無言で、良い行動を相手に期待してしまう。



 善人の説明は、きわめて雑である。

 意識的に、いわずもがなという部分が多い。

 良いおじいさんが悪いおじいさんに、ただ自分の真似だけしても意味がないよ、と伝えられなかったのは、優しさのあまり「罪を憎んで人を憎まず」の度が過ぎたからかも。

 悪いのは、ポチを優しく扱わなかったり、無理やりお宝を出させようとする行為そのものであって、そうさせる隣のおじいさんの人生経験であって、おじいさん個人という存在を憎むべきではない——。だから、良いおじいさんは相手を「注意できなかった」。

 悪いところを悪い、と指摘できなかった。優しさをはき違えているのである。

「お前が優しくせんからじゃ! 生き方の前提からして問題なんじゃ、ボケ!」 と一喝してあげるほうが、きっと悪いおじいさんのためになったはず。

 昔話の善人は、ただ憐れむような、悲しい目をして悪人の所業を見つめるだけ。

 それでは、何も変わらんのだよ。

 悪人がひどい目に遭う話を子どもが聞いて、「こうならないようにね」と反面教師的に学んでも、心は深まらない。そんなのよりも、良いおじいさんが悪いおじいさんに「どうしてお前ではうまくいかないのか」を教え、両方が幸せになる話にした方がいい。

 結果、良いおじいさんだけが幸せになり、悪いおじいさんはひどい目に遭って終わる話が多い。

 皮肉な話、善人は「自分だけが幸せになることが多い」。肝心なポイントは悪気なく教えないからである。でも逆に、他人を信じる分(疑いが薄い分)被害者にもなりやすい。

 その話もしていくと長くなるので、やめておこう。



 ある人から見て、宗教家のメッセージやスピリチュアルのメッセージが分かりにくい、あるいは「きれいごと過ぎる」と感じる時には、今日の話を思い出してほしい。

 善人には、配慮する力が欠けていることが多いのだ。

(悪人の方が、抜け目ない傾向があると言える)

 おそらく、自分の思っていることで「これはみんなもそう思ってるっしょ」と簡単に思い込んでいる部分の説明がまるごと省略されるので、まるっきり違う人生を歩んできた悪人には、いきなりには呑み込みがたいというわけ。



 皆、自分とは違うのだということを深いレベルで実感すれば——



①この世界にスピリチュアルメッセンジャー(宗教家)はいなくなる。すべての人に当てはまる真理なんてないから。



②いなくはならないが、結局皆ベースが違うということが分かっているので、感謝されても批判されても「どうでもいい」という境地で、それでもあえて語りたいから語る、というスタンスになる。



 まぁ、この複雑な成り行きを見せる宇宙ゲームで、①はまず起きないだろう。

 ある種のあきらめ(諦観)をもって、それでも生きてるし時間もあるし、言いたいこと言うかという感じになる。ただそこに、世界を救おうという気負いはなくなる。

 結果として世を救ったり、ある個人を救ったりはあるかもしれないが、最初からそれを意図などしない。筆者は、今日のお話で言う「善人」に当てはまらないからだろうか、とにかく説明が長い。(笑)

 本書も長文で、しつこく詳しく補足説明している。でもそこまで言って、丁度いいと思っている。 



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【補足】



『3月と魔法の小箱』という話の結末であるが——

 兄は、弟に自分がうまくいかなかったことを正直に話し、弟の魔法の小箱を二人で仲良く使い、兄弟幸せに暮らしましたとさ、ということである。

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