せめて、人間らしく

 筆者が嫌いな人種の中に、『感情平坦・平常心感謝製造マシーン』と表現できる人たちがいる。

 言い換えると、「死んだような覚醒者(覚醒者と自称、あるいは誤解されて他称される者)」。生息地は、主に有名スピリチュアルブログ。(コメント欄が開放されているものに限定されるが)

 生態は、そこに寄生して常連状態でコメント投稿をし続ける。それにも、ふたつのタイプがある。ちなみに、これから文句を言うのは①のタイプ。



①純粋ファン型



 本当に、その指導者に心酔、全面的に支持するタイプ。

 特徴として、自説はほぼ出さない。必ず、その主がその日書いたメッセージの理解の補助的な内容にとどめ、あくまでも出しゃばらない。ほとんどのケースで余計なことを言わないが、例え何か自分の意見を言っても絶対にポジティブで、「(ブログ主ににとって)模範的」なことしか言わない。

 ちなみにこのタイプには、「この人もあるじと同じくらいすごい人なんじゃないか」と思われる傾向にある。いつも「明るく平常心」を崩さないので、その誤解にさらに拍車がかかる。

 


②下心ヤドカリ型



 基本は①なのだが、日によっては「チクリ」と自説(ブログ主とはちと違う意見)を匂わせる。

 そのコメント欄で他者の共感を得られたりしたら、内心かなりうれしい。学び共感に来ているというより、あわよくば「自己実現」の場にしようとしている。

 他人のふんどしで相撲を取るようなもの。成長の過渡期として、有名人のブログにヒマさえあればコメントをカキコし続け目立ち、あわよくば自分の信者を獲得するというのも悪くはないが、そんな方法論として行儀の悪いものは、早めに卒業あそばした方がいいとは言える。

 でも私としては、この②のほうが、①よりも人間としては好きだ。ゲスいが一方で「人間らしい」ので安心できる。



 私がキライなのは、①のタイプでなおかつ有名スピリチュアルブログで『発信者並みに覚醒しているのではないか』と評判になるような人物。

 たとえば、コメント欄で、その方にある種の「クレーム」が付いた時。平べったく言うと、「批判された時、悪口を言われた時」。

 だいたい、決まってこういう返答である。



●ありがとうございます (^O^)

 感謝☆感謝☆


(特にこのニコニコ絵文字が、さらに人の感情を逆撫でする) 



 「悟った」という人 (悟ったというのはこういう状態、と学習し意図的に振る舞っている人)の取りそうな言動である。悟ると、物の見方(視点)のプロになるので、どんな出来事からでもその良い側面を見つけ、心落ち着いていられる。だから他者から悪口を言われた時、そこで弁解したり相手を非難したりは、並のやつの振舞いだ、という無意識下の前提がある。

 人間的に、素直な感情を出せば同レベルだと思われてしまう。だから「自分はまったくそういうことに心動かされてはいない」と証明したくなる。

 こういう人種から、いくら突いても「感謝」「ありがとう」しか引き出せないのはそのためである。そのポーカーフェイスは、(悟っていると思い込んでいるので、まさか来るとは思っていない)限界にぶち当たるまで、やっていけなくなるその時までは崩されることはない。

 ちなみに、この「何を言われても何でも感謝ときれいな言葉で返す野郎」にも、二種類いる。



①仮面劇場自覚型



 心のどこかでは、自分がそう在りたい自分を演じている、と理解はしている。

 決して自分は、自然体ではないと。かなりの部分、意思の力を借りて自分を飾っていると。

 でも、やめられない。なぜなら、そうすることにメリットを感じる自分がいるから。どこかで、「外側を整えれば内側も整ってくる」という理屈を信じている。つまり、悟ったようなレベルが高い人ならそうするだろう言動をなぞることで、いつしかそれが自然になると希望を抱いている。

 このタイプはまだ人間らしく、目が覚める余地が十分にある。



②純粋無意識確信型


 

 名役者すぎて、役(悟り)が本当の自分と思えてしまっている、アブナイ領域。人間性を損していることに気付けず、むしろ自分は平安で、問題ないと思えている。

 第二次大戦時の日本兵がほら穴で生き続け、発見されたことがあった。彼らは、いくら戦争は終わったんだ、日本は負けたんだと説明してもなかなか信じなかった。

 そういう状態に似てるので、目が覚めるのは①に比べてちと至難の業である。



 筆者が、こういう「なんでもかんでも判をついたようにキレイな反応を返す」人種に言いたいのは——



●せめて、人間らしく。



 悟るのは勝手だ。だが、あなたがたが重力で足を付けて立っているその場所は「地」である。

 そこには、あなたというキャラの置かれた「環境設定」と、人間関係という「他人設定」とがある。その中で、あなたは独自の脚本を演じることが期待されている。

 悟りという概念は、一歩間違えると「心的振れ幅のフラット化」だと誤解される。

 感情の振れ幅の少ないもの、穏やかな振動だけを維持するのが「上等なこと」だと思われてしまう。何、覚者たる者何が外であっても「動じない?」

 まぁ、そういう側面もないことはないが——



●内側が動じないのと、外に現れる言動も連動して同じになるというのとは関係ない。



 たとえばだが、筆者は人を叱ることがある。

 その時、内側が荒ぶっているから、そういう「怒る」という結果になると普通は思われる。でも、内側は凪いでいるのに、外側の表れとして「叱る」という行動が出ることがある。

 ある境地はつかんだけれども、それでも地を生きていることを忘れていない。だから、私というキャラが私らしくあるならこうだろうな、という言動を選択できる。それは、あえて言うなら「配慮であり、思いやり」である。

 たどり着いた高みにしがみついた、その視点からの言動を下ろすだけなら、その悟りとやらに大した値打ちはない。

 


 頬の一発でもはたいて、「お前、生きてるのか?」と肩を揺すぶりたい。

 でも、そういうヤツって、うつむき加減で「フッ」と笑みを浮かべるんだろうなぁ~(葛城ミサトに叱られる初期のシンジ君みたい)

 気持ちわるるるうううう~!

 ここ(地上)へは、あなたがあなたらしくあるためにやってきた。

 最大限、その個性から引き出せる楽しみ方を満喫するために来た。決して、完璧人間みたく振る舞うためではない。

 筆者は、もし自分が少しでも目覚めた、気付きを得たと思っている人物には、こうお勧めしたい。



●あなたが、どこかから不当な悪口を言われたり、人間的に歓迎できない行為をされた場合。


 ①まったく無視する。

 ②中途半端はナシで、とことん向き合う。


 そのどちらかであってほしい。

 どうか、開口一番批判してくれて「ありがとう」「感謝」はやめてほしい。

 そういう人物は、人相手のスピリチュアル商売はやらないほうがいい。絶対に、カウンセリングの資格なし! だって、他者の気持ちを分かろうとしないんだもん。



 これは自説に過ぎないが、誰に何を言われても「宇宙は完璧」「すべては感謝」につなげるなら、その人物の精神ステージは幼い、と思ってまず間違いない。

 私的には、アニメ「一休さん」のモデルともなった一休宗純が分かりやすくていい。極端だが、あれくらい悟っても人間臭いと、好感が持て面白い。

 何を投入してもフラットな反応しか返ってこないのは、毒にも薬にもならない。いや、受け止める相手によっては「毒」とさえなる。

 そのあたりをちゃんと考えた上で、こういう人物は始終穏やかで(表面上は)ニコニコしているのだろうか?



 人に対する思いやりがあるのなら—— 

 本気で怒っている人物には、同じような本気モードで相手をしてあげる。

 それは礼儀である。もちろんケースにもよるが、明らかに「ここは感謝とかでスルーしちゃ相手に失礼だろ!」ってな時でも 「全体の表れを見せてくれるあなたに、ありがとう!」はないだろ……。

 演劇でも、相手のセリフや感情に合わせて、こちらも受けて自然な演技を心掛けるじゃないか。そこを、正しいからといってチグハグな反応をしたらマズいだろう!



 同じことをマザーテレサやガンジーがやってもいやみを感じないのは、それを自然に扱えるレベルにいるから。役者が違う。にわか仕込みのやつが背伸びをしても、無理が生じる。

 大阪のおばちゃんあたりが、かのう姉妹や海外セレブのファッションを真似るようなもの。決して大阪のおばちゃんを悪く言っているのではなく、それぞれの「役割」があるのだ、ということ。

 だから、何かの境地を目指すより大事なのは、あなたがどうやったら一番あなたらしく輝けるのかということ。悟りというものを目指す群れの一部の気持ち悪さに、私はそういうことを思った。

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