驚愕のオチ

 先日聞いた、笑い話。

 ある人が、自動販売機でジュースを買った。それは、当たりが出たらもう一本!の抽選付きの販売機だった。

 ルーレットのようなものが音を立てて点滅する。やがてある場所で点灯が止まった。『当たり』 である。

「おおっ、やった!」

 ……ちなみに筆者は、そういうもので当たったためしがない。だから、実は当たり付き機能というのは見せかけのハッタリで、当たることなどないんじゃないか? などという悲しい妄想にもとりつかれた。でも、皆さんの話を聞いていたらやっぱり当たっているんだよね……(涙)



 もう一本、のジュースを選びボタンを押すと、音を立てて二本目が出てきた。

「ラッキー♡」

 すると、また電子ルーレットが回り出した。おそらく、当たりが出たらもう一回チャレンジできるというシステムなのだろう。

 ここで、普通なら次も当たりが出る、などということは思わないだろう。滅多に当たらないのに、二度連続などあるものか、である。買った本人もそう思って、ルーレットなど眺めていなかった。

 しかし……しか~し!

 依然として、商品選択のボタンが光り続けているではないか!



 3本目、4本目——

 その人物は、『当たり』を出し続けた。

「ええっ、マジで!」

 ……これは友人に自慢できる。ブログネタにでもできるかな?

 そんなことを考えながら、ツイている自分に浮かれたそうだ。

 なんと、「8本」を出して、やっと当たりは止まった。7、8本目になるとさすがに「機械の故障なのかな?」とすら考えだしたそうだ。

 しかし。しばらくして冷えた頭で考えた時、驚愕の事実に気付くこととなる。



 その人物は、最初に『千円札』を投入していたのだ。

 あれ、すぐにはお釣りが落ちてきませんよね? 一本だけ買っても、まだ買うかもしれないと機械が判断して、買えるお金が残っている限り商品選択ボタンは点灯し続ける。それでも一定時間操作をしない、あるいはお釣り返却レバーをひねったら、やっとお釣りが落ちてくる。

 そのことに気付いた瞬間「あっ」と思った。



●当たっていたのではなく、千円で買える分を買い続けていただけなのだ。



 ただ、最初の一本だけは本当に「当たり」だった。

 ルーレットをまじまじと見ていたから、確実だ。しかし、二回目は「当たるわけがない」と思って表示など見ていない。

 それ以降も、「どこまで当たるんだ?」と思うのみで、ルーレットに注目していなかった。ただ、電子音の最後に「商品選択ボタン」が点灯しているかどうかだけを見ていた。

 一本を130円として、買えるのは7本。でも、一本当たりなので8本。結局、当たったのは最初の一本だけで、あとはちゃんと「買っていただけ」。買うたびに、新たな挑戦権を得てルーレットが回っていただけ。(で、ハズレ)

 その人物はガックリしたが、まぁお釣りをまるごと取り忘れるよりは、等価値の現品化をしたというだけマシか——そう自分を慰めて、元の千円が化けたジュースたちを持ち帰ったそうな。 



 筆者はこの話を聞いて、「引き寄せの調子乗り」のことを思った。

 まず最初に、人が販売機に千円を投入し、その後そのことを「忘れる」。

 それは、あなたが地球ゲームを開始する前に、設定を「決めてきた」ことと考えていい。どの親に生まれるか、性別や特性、性格、人生航路の青写真……しかしオギャアと生まれた後は、一部の例外を除き決めてきたことは「忘れる」。だから「なんで自分はこんな風に生まれてきたのか?」 なんて悩むことが可能だ。



 さて。この世界では、大方の人は「自由意思」を信じている。

 可能性は無限だ、と。何だってできるし、何にだってなれる、と。やるか、やらないかだと。

 無論、この世界には「そう本気で思えに来た」ので、全然OKである。でも「千円を入れてきた」。言い換えると、大筋での出来事(成功の範囲)は決まっている。

 決まっているが、そのことを忘れているので、その時に頑張って「おおっ、当たった!」と喜べる。その後も何回も当たるが、それは青写真を辿っているということを忘れ、有頂天になる。

 で、人によっては「自分は明らかに他人より実績を出している。私は、もしかして世の大して成功していない人に教えてやる使命があるのではないか?」などと考え、成功哲学の本を書いたりする。全国を講演して回ったりもするかもしれない。



●引き寄せ、に成功してハマるのは、魂の成長途中の一段階である。



 そういう時期も通過する。(人間キャラひとり分のワンチャンスで来るとは限らないが)しかし、それは学びの終局(達成)では全然ない。

 意識を変えることで現実を変えた(ように思える)万能感は、実は千円を入れていたということを忘れていることから来る「勘違い」である。

 そういことを言うと、「千円払っていた、と言われるなら、たとえばその人がずっとごろ寝して、何の行動も起こさなかったとしても、いやでも決まっていたら成功するということですか? それって、おかしくないですか」と反論する人もいるかもしれない。

 このことに関しては、ふたつのケースがある。

 説明ができるだけで、メカニズムは知らない。



①お釣り返却レバーがひねられる。だから、買えるのだが権利を放棄する。

②あなたの「内側」が絶妙なタイミングで「衝動」を起こさせ、知らず知らずのうちにその通りの行動を取っている。



 内なる声のようなものや衝動に素直に従った結果、目標や願望が達成された、というのはよく聞く。

 それは、お金を入れて素直に商品ボタンを押したようなことである。人間は、人生においてチャレンジを繰り返し、成功と失敗を繰り返し、最終あることに気付く。

 それは、「実は千円入れていた」ということである。

 その時までは、自分の力であり、自分が頑張ったからだ、と思ってきた。で、自分のように成功しない他人はただやるべきことをやらない怠け者だと下に見ていた。

 でも、結局この次元レベルのものはすべて「縁起」に依っている。

(そうではない、原因と結果すらないというのが因果を否定する非二元であるが、この次元の話は我々に実用的ではない。こうだからこうなる、という理屈に縛られるな、というのはよりよく生きる上での方便であって、そんなものは意味がないということではない)



●分かりやすい意味で言うと、すべて「お蔭様」であるということ。



 自分が汗した部分は確かにあるだろうが、それは前面に出して他人に誇ることではないのだ。オチとして、そこに気付く。

 だからイエス・キリストは次のように言った。

 ここからの話に関しては、ご興味が湧けば筆者の別作品 『クリスチャンがひっくりかえる聖書物語 ~イエスが本当に言いたかったこと~』 にある記事を参照してほしい。以下にリンクを貼っておく。


しもべなんで、当然のことをしただけです ~メイドどう


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054890980046/episodes/1177354054891870345



【第一段階】 心から疑わず信じれば、その通りになる。(引き寄せ実践)


【第二段階】 成功後、「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と言いなさい



 第二段階は、引き寄せ出来たことが自分の手柄などではなく、そのような道筋が与えられ、取り巻く世界があなたの目的に沿うように動いてもくれたことへの感謝と謙虚だけが、最後に残る段階。

 感謝など、せよと言われてするものではないし、自己暗示をかけてやるものでもない。ただただ、溢れてくるものである。

 引き寄せ三昧したあとに、すべてが支えられ、生かされて在ったことに気付けた時。そこには、ただただ凪いだ海原が広がっている。



 あなたに、それが見えるのはいつの日だろうか。

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