鋼のアルケミスト
人は、何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
何かを得るためには、同等の代価が必要になる。
それが、錬金術における等価交換の原則だ。
その頃僕らは 、それが世界の真実だと信じていた。
【アニメ・鋼の錬金術師 オープニングより】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
最近のスピリチュアルメッセージで言われやすいことのひとつに、『等価交換への疑問視』がある。
平たく言うと、次のようなことだ。
人はおしなべて、何かを得るのにそれ相応の代価を払う必要があると考えている。考えているというより「刷り込まれている」と言っても大げさではない。
これは逆を返すと、「代価を払わずして何かを得るなどあり得ない」と自分を限定することに繋がり、その意識通り(望み通り)、その人の人生では代償なくして良いことは来ない……ように観察される。
しかし、そこの思い込みに気付いて「沢山苦労をしないとビッグな幸福は来ない」 という認識のフレームを外すとどうなるか。「別に犠牲など払わなくてもすごいものが来てもいい」という、新たな可能性に関して、許可ができるようになる。
成功哲学系の話や、開運や豊かさ追求系のメッセージで、このような「等価交換の呪縛からの解放」というのが語られる。こうだからこうなる、という因果からの解放、という。
筆者も活動開始後しばらくは、そういうメッセージを語っていた。こうだからこう、しかない世界観ってどーなの?って。火のないところに煙が立ったって、いいじゃないか!(バルサンがあるじゃないか!)
もちろん、今だってそれが「間違ってました」とは思っていない。ただ、多少の追加説明が必要だな、と最近感じるようになった。
でないと、幼い捉え違いが起きやすい。
筆者が危惧する捉え違いは、「おかしな意味で肩の力が抜けてしまう」という現象である。
もちろん「頑張らないと、苦労しないと得られない!」とガチガチにこわばって生きるよりも、「何でもアリ」と考える方がいいに決まっている。
ただ、この話の勘所はどこかというと——
●等価交換が真実の全部じゃない、と知る前と後とで、何かを得る・あるいは成し遂げるために必要なあなたの情熱や努力、かく汗の量が減るわけではないということ。
視点(意識)が変わっても結局、人生の営みそのものはそう変わらないということ。ただ変わるのは、心理的負担の大小。
要するに、等価交換の破壊はただ意識上だけのことなのである。
「たなぼた的な良いことを、労少なくして起こす」ことを目的として等価交換を否定するなど、とんでもない。火の怖さを知らない幼い子供が火遊びをするようなもので、まかり間違えば家が全焼する。
結果として、「あなたの主観として、大して苦労してないと思えるのに、それに見合うと思える以上のすごいことが来た」と解釈できる出来事が起きてくるというだけのことである。狙って意識を変えるのではなく、意識を変えた結果、気付いたらそういう現象が起きていた、というのが自然だ。
あなたのスピリチュアル的視点が「見習い」段階か「熟練」段階かのバロメーターとして、次の質問を自分に問うてほしい。「何のために、等価交換の概念を超えようとするのか?」
さて、あなたの答えは次のふたつのうちのどちらに近いだろうか?
①等価交換しかない、という思い込みを外すことで、もっとたくさんの良いことや奇跡が起きることを心のどこかで期待する。狙う → ザンネーン!あなたのスピリチュアルは、あまり実になっていませ~ん!
②素直に、「そっか。等価交換も思いこみなのか~どんなことがどんな時に起きたっていいんだよね! ワクワク」 という風に、思いこみを外すそのこと自体が目的な場合。そのこと自体が素直にうれしい場合。
それで結果何が起きるかは、流れにお任せ。良いことが起きたら感謝して受け取るし、そうでなくてもそれはそれ。「狙って」いない。気付いたら、等価交換を超えたと思える現象が起きている。
もちろん、この地球ゲームでは②推奨。
でも、ゲームですからね! それでその人間に値打ちがあるとかないとかは言えません。たかがゲーム。でも……やっぱりこの舞台に身を置いているわけなので、されどゲーム。
同じ演じるなら、熱演・好演・怪演 (?) を! その思いから、私は日々の言葉を紡いでいるのだと思う。
等価交換を疑問視するメッセージが、幼いあなたが「楽をする口実」に使われたら残念だ。
それは、誤った学び方だ。ちゃんと知っている先生から教わらず、生半可な知識で独学で本を読み、自己流で身に付けて「解釈を誤った」ことをそうと知らず吸収してしまうようなものだ。
もちろん、センスがある者は独学でもいけてしまうが、皆が皆そうではない。むしろ、その数は少ない。
このメッセージであなたが変えるべきは、あくまでも認識枠(フレーム)だけである。あなたが「等価交換じゃなくていいんだから、頑張り過ぎなくていいんだ」という安心感から手綱をゆるめるなら、あなたは願望実現からさらに遠のくことになる。
行動も努力も、注ぐ情熱の量もそのまま。これまでと何も変わらない。ただ、起きていい可能性の「幅」が広がるのみ。
あなたの心の許容度が増すというだけ。でも、そのことが実はすごく大きい。
●意識を変えることでその変更に見合ったものを期待するなら、「等価交換を超える!」とかい言いながら結局等価交換に絡め取られている皮肉。
結局、すべての鍵を握っているのは「今という瞬間において、何を選択したいか。そしてそれが本望か(ただの心地よさや楽しさというレベルのことではない)」だけに自然にフォカースできるかどうかにある。
結局、どんな立派なスピリチュアルワークをしても、結局そこに下心(狙い)があっては台無し。結果的、副産物的なものに主眼を置くのではなく、あくまでも「対象そのもの」に心躍るかどうかだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます