本当の伝達
その昔、ドラマ化映画化までしてヒットした少女漫画『スケバン刑事』。
斉藤由貴を初代とし、南野陽子・浅香唯。時代を超えて松浦亜弥が再演。
筆者は中学生当時、男の子だったが少年ジャンプをそっちのけでこの少女マンガを読んでいた。
絵的にも内容的にも言葉遣い的にも「昭和臭」の漂ってくる代物であるが、作品の根底に流れているマグマのような「熱さ」は、令和の今読んでも感じられるはず。
このマンガに、「沼先生」という主人公麻宮サキの元担任が登場する。
登場初期は、どちらかというとサキを追い詰める側の人間として描かれていたが、ただこの登場人物、非常に物分かりがいい。何が正しいのかということを見極める上で私的な感情やプライドを超えることのできる
最終話の、サキだけの卒業式のシーンは、感涙物である。
この沼先生が、サキに自らの『教育論』を語るシーンが今でも心に残っている。
●なぁ、サキよ。
俺は、正直今の学生たちが、何を考えているのか分からん。
ひとクラスには40人からの生徒がいるだろ? それだけいたら、誰がどう考え、どういう状態にあるか、一人の教師の力では把握できん。
だからなぁ、オレは生徒が2人、いやせめて5人くらいまでならなぁ——
いい先生、でいられる自信があるんだぜ。
これは劇中、大勢の生徒に人気があり、ものすごい「理想論」を振りまいて生徒を惹きつけるある教師を「胡散臭い」と見抜いたサキが思いだした、沼先生との会話である。
筆者は、ここ最近のスピリチュアルの在り方を考えると、このセリフが思い出されるのだ。最近のスピリチュアルが陥ってしまった、ある種の誤解。
●支持する人数が多いほど、それは「本物」であることの証しである。
弟子の多い師こそが、優秀な師である。
指導者は、「皆を愛しています。すべての人の幸せを願っています。祈っています」と言うかもしれない。
言っておくが、講演会の壇上に立っていない時、私生活の大部分で、その人物は世界平和など祈っていない。あなたの幸せになど関心を寄せていない。考えているのは今月の収入と、とりあえずの次の食事と、次の仕事の段取りくらいなものである。
本当の正直者は、沼先生のような人物である。
筆者はいち人間として、愛のキャパシティには限界があることを認める。
それこそが、誠実な姿勢である。ムリなことはムリと言う。たとえ商売のためでも、ウソはつかない。
それがウソだとすら自覚できておらず、自分は「できる」と思いこみ、本当に「全人類愛している」を言えてしまったら、相当な狂信者である。
「みんなみんな大好きだよ~! 愛してるよ~!」というセリフがある。
これは、(自分なりの)幸せがうれしくて、感極まって言う「自己陶酔」の言葉。愛に溢れた自分を勝手に想像して、その自分に酔っているだけである。
この人物が感極まって「愛してる~」と言ったその「みんな」には、殺人鬼も含まれている。とんでもなく残酷な行為に手を染めた人物も含まれている。そういう人を除いて愛してる、と注釈付けた人をまだ見たことがない。
私だったら、会ってもいない人物を無責任に「愛している」とは言えない。
もちろん、人間の魂の成熟度がある段階に至れば「人類愛」を口にしていい。そこには、例えその人がどんな人であろうと「構わない」という、静かで鋼鉄のような「覚悟」があるから。
私には、スピリチュアル界にそういう覚悟を持った者が多いとは思えない。多いどころか、ほぼいない。
もちろん、どれだけの人数がその人に関心を持ち、慕いついて行くかの人数が多いことそのものを悪いというわけではない。多くなれば、頑張ってでも(わざわざ嫌われてでも)人数を削ぎ落せ、というわけではない。もちろん、そんなこと無理にしなくてもいい。
指導者が愚直に、瞬間瞬間と真正面から向き合ってさえいたら、自然に調整される。ただその人数が多いこと、活動が広がりを見せていることをもって「それが何かスピリチュアリティの正しさの証し」のように自慢し、それをエサに「おおっ、これはすごいんや!」と集客するのは、いかがなものかと言いたいのである。
学校の先生で言えば、自らの人気を武器に、ひとクラスの人間を500人にも1000人にもするようなものである。外目にはそりゃすごいが、その人物はあなたと同じ、一人の人間にすぎない。一体、どこまで責任を持ってやれるのか——。
マンガ「北斗の拳」では、北斗神拳は一子相伝である。
スターウォーズでも、ジェダイの騎士の師弟関係はたいがい弟子は一人だけ。
もちろんそれは極端な例であり、スピリチュアルのセミナーや講演会に当てはめるものではない。ただ、『本来のスピリチュアルの伝達とは、理想はそういうもの』 だということを指摘しておきたい。
じっくり、ゆっくり時間とエネルギーを割いて向き合うのがいい。英会話スクールではないが、1対1、あるいは1対2くらい。
でも、この社会システムの中ではそうも言ってられないので、やはり一定の人数を集めてしゃべる、ということにもなる。それはそれで、お互いにその場を「楽しめば」いい。
ただ、根底の思いの世界においては、「本当の伝達は、1対1だ」ということを思って、謙虚に「多人数の講演会」に臨んでほしいと思うのである。
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