太古の記憶

『人生の意義・目的』に関しては、色々言われる。

 表現は人により、視点の違いにより無数にある。

 今回は、そのうちの筆者の好きな『表現のひとつ』について話してみよう。



 人生の目的は、『太古の記憶の確認』である。

 忘れていたそれを思い出し、感じ、外に語り、語り継いで後世に伝えることである。語り継ぐという経路以外にも、世代交代によりDNAを通して伝えられる。

 ただ、そのDNAに刻まれた鉱脈を掘り当て、たどり着けるかどうかはその人にかかっている。

 生きている間に、何度その 「太古のDNAとの共振現象」 を体感できるか?

 訳も分からぬ、説明できない胸の疼き、自分が感動しているはずだけど、どこか「自分じゃない」ような不思議な感動。それを感じた時、何かが開ける。

 世界の見え方が、その体験のたびに少しづつ変わっていく。



 海外旅行をして、世界遺産を見る。壮大なスケールの自然を見る。

 そこに来たのは初めてのはずなのに。その風景を目にするのは初めてなのに。

 なぜか、涙が出る。胸が、不思議な思いのエネルギーであふれるばかりになる。

 そして不思議なことに、以前からそれを知っていたような感覚にも囚われる。

 あれ? どうしてだろ? こんな場所には来たことないはずなのに……



 ジブリ映画『かぐや姫の物語』では——

 最後、地球での記憶を月の世界の者に消されたかぐや姫は、何とはなしに宇宙から月を眺める。

 記憶としては、すべて忘れているはずなのに。なぜか、地球を見ると涙が出る。愛おしい、でも辛い寂寥の念がこみ上げてくる。



 日本映画『陽だまりの彼女』。

 ラスト、彼女の正体がネコだと知った男性(松本潤)は、彼女にまつわる一切の記憶を消される。しかし、彼女が好きだった曲がどこからか聞こえると泣けてくるし、ネコを見るとなぜか目を奪われてしまう自分を発見し、不思議に思う——。



●単なる情報(データ)としての「記憶」と、強烈な感情体験を伴い、魂に刻まれる「DNAに刻まれるほどの記憶」は別である。だから、頭の記憶を消されても後者が残っているので、完全には忘れ去れず、自分でもよく分からない部分が反応するのである。



 あなたという存在は、人類歴史上で言えば「今」を走っているアンカーである。

 血筋とか前世とかいうちっぽけな話ではなく、総合的に代表なのだ。

 あなた自身は日本で生きて大して外へ出ていないかもしれない。なおのこと、昔に外国で生きたはずなどない。自分の人生で体験したこと以外の記憶などあるはずはないから。

 でも、やはりあなたの中にはあるのだ。あなたという個が知らないだけで、太古からの人間の感情体験の集積が。そこは、擬人的に言えばあなたに見出してもらえることを心待ちにしている。

 そしてひとたび見出されたなら、それはあなたとの再会を喜ぶだろう。

「見つけてくれてありがとう。また会えたね」と。



 成功や生活の安泰、表面的な幸せの方が追われがちな人間界。

 でも、やっぱり大切なのは、自分の内なる太古の記憶を呼び覚ますことである。

 そして、そことリミット限界まで共振・共鳴することである。

 その時、あなたは単に何かが成功した、願いが叶ったという時に感じる喜びとはまた全然別の、同列に並べて比べることのできない奥行きのある、壮大な感情体験をすることだろう。

 それが、あなたを深めてくれる。

 あなたの眼を開いてくれる。

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