直感にまつわるエトセトラ

 キリスト教が真理であり、その価値観世界観が絶対常識としての独り勝ち状態だったヨーロッパの中世。

 地球は平たく、世界の端っこというものがあり、滝のように海の水が下に流れているような感じに思われていた。誰も、地球がまるいなんてことを考えない。

 しかし、科学的検証と観察によって地球がまるいということを提唱する者、空が動いている(天動説) のではなく、足元こそが動いている(地動説)と主張する者が現れた。

 これは、当時の権力者(教皇)には都合が悪いし、社会一般にもなじまない、当時としては突飛な考え方だった。進み過ぎた考え方であった。

 コペルニクスの著書が閲覧禁止になったり、ガリレオなどは裁判にかけられ、間違っていると言わされたりした。「それでも地球は動く」というセリフはあまりにも有名だが、まぁガリレオを英雄視する賛同者や弟子たちによる「後世の脚色・付け加え」である可能性が高い。でも、気持ちは分かる。



 さて、現代ではどうか。

 あなたがもし 「地球、という言葉は間違っている! 球じゃなく、地面は平たいんだ! 地面じゃなく、ここから上の全部が動いているだけなんだ!」と本気で言ったとする。

 あなたは、実力がないのに路上演奏をするミュージシャン志望の青年のように、無視されるだろう。皆、かかわりになりたくなくてそそくさと歩み去る。

 他人ならそれでいいが、その人物が我が子であったり身内であったり親友だったりするなら、心を痛めて心配することになろう。どうかまともになってくれ、と。

 中世に生まれていたら、それでよかったのに。今の科学的常識では、地球が丸く動いているのは当たり前であり、中世とは真逆である。



【筆者注】


※この記事を私が書いたのは5年以上も前です。

 近年、世界は平面で実は端っこがあるという考え方が一部で人気再燃となり、まだまだ世の常識を脅かすほどではないが、一定数支持者がいる。



 スピリチュアルメッセージで、「直感に従え」という内容はよく言われる。

 別の言い方をすると、「自分自身を信じろ」ということになる。

 自分の心の声を聞く。たとえ大多数の支持する話や有名人の言うことであっても、自分の中の「違和感」や「心地よさ」というものを優先させよ、大事にせよ、と。

 筆者は、もちろんこれは誤りだとは言わない。確かに有効なひとつの実践である。ただし、やりようによっては、問題が生じることもまた事実である。

 私がなぜ、最初にガリレオや地動説の話をしたか、分かりますか? 前提となる物差しが不十分であれば、その基準に素直な判断をしても、間違えるということが言いたいのだ。キリスト教的世界観の常識では、地球は平たかった。地面は動かない、というのが常識だった。

 で、その基準でガリレオの考えは正しいのに糾弾されたわけである。今なら、科学的知識が多くの人間の一般教養レベルで知られているので、誰も地球がまるいということ、地球が動いていることに異を唱える人はいない。(筆者注により現在では一定少数いる)



 直感を重んじる人たちは、次のような思いこみをしている。



●直感は、絶対に正しい。

 間違いのないソースから出たもので、無条件に信頼できる。


 

 イメージ的には、何か神のような絶対的な上位存在(意識)につながっている感じ。直感とはそこからの使者みたいな感じで、従って絶対に損はない、みたいな。

 今からそこを否定するので、イヤな人はもう読まないことをオススメする。



●直感とは、絶対に確かな何かからやってきたり、間違いのないものであることはない。結局はあなたの価値観・願望・精神ステージがかなり反映した内容になる。

 もっと言うと、あなたの「無意識」が反映している場合がある。



 つまり、直感とは「神からのお告げのように、無条件に信頼し鵜呑みにしていい場合のものばかりではない」 ということ。

 直感の生じる供給先が、絶対なる神でも高次元意識でもなく、単にこれまで蓄積した経験データや感情体験の総体が生みだす「願望要素を含んだ行動指令」である場合もザラにある、ということ。

 世界中の人の直感を集めることができたとして、その大多数は「自分に都合の良いこと、そもそも願っていたことに一致する」という観察結果を得ることができる。

「自分にイヤなこと、辛いことだけど直感が告げるので思いきって挑んだ、向き合ってみた」というタイプの直感は、その絶対数が少ない。なぜなら、多くのケースで直感が 「都合よく」利用されているからだ。



●あなたの直感は、ただあなたがもともと「そうしたい」と思っていた、という程度のことであることがある。

 


 この世界には、その程度の直感を神のようにありがたがり、あがめたてまつっているスピリチュアル実践者が多い。直感を信じる前にやるべきことは、その直感を生みだすあなた自身がもっと成長することである。

 外界の情報を判断するあなた自身の認識ソフト(OS)を、バージョンアップ(更新)し続けることである。そうすれば、あなたの直感とやらもマシにはなってくるであろう。

 ただあなたがそうしたいだけなのに。自分の願望の反映に過ぎないのに。「これは直感だ !いわば天啓だ!」と思えば、何だかそれが間違いないと保証されたかのように気が大きくなる。

 もちろん、それで流れに乗ってうまくいくことだってある。そうなれば言うことはないが、中にはうまくいかないケースもある。そんな時あなたは、「直感に従って選択したはずなのに……なんで?」ということも起きる。それを覚悟の上で、直感に従われたし。



 もっとイヤな話をしようか。

「違和感」。あなたがこれを感じる時、たとえそれが世間的に良いとされていることでも、支持されている先生の言うことでも、離れなさい。そして心地よさを選びなさい、と。

 もちろん、そうすることが有効に働くことは認める。しかし、何か標語か格言のように「直感に従え、違和感を大事にしろ」と言い切ってしまうのは、危険である。

 直感は、あなたのエゴ (自分の願望・都合)が美しい隠れ蓑を被って現れてきたものに過ぎない可能性がある。違和感というのも、ただあなたが感情的に「気に食わない・イヤ」なものを排斥したいだけの、あなたなりの好き嫌いの反映なだけなこともある。

 直感、ハートの「違和感」ということにしたら、カッコいいよね。そりゃ誘惑だ。

 直感も違和感も、純粋な上位意識から来ているというより、ただのあなたの価値基準、判断基準の投影だ。覚者や精神ステージの高い人物は、そこがバージョンアップされまくっていて、洗練されまくっていて、上等なのだ。精度が段違いに高いのだ。



●直感に素直に従って意味の出てくるのは、人生の学びがかなり進んだ者だけである。ほとんどの人は、直感に従う以前に、自分の内面にもっと向き合い、人生観や世界観をバーッジョンアップさせる方を優先的にするほうがいい。

 ものの見方の未成熟なあなたが楽ちんこに直感を採用し続け、違和感を優先させてキライなものを全部遠のけていくと、あなたは不幸になる可能性が高い。

 あなたのお眼鏡違いで、本当は価値あるもの、あなたを成長させてくれる何かを「直感がダメと告げている、違和感がやめておけと言っている」ということで逃すかもしれないのだ。



 だから、軽々しく直感や違和感を絶対視するな。あなたは、何様なのだ? それほどに、あなたのそれは絶対?

 だから筆者なら、直感や違和感については以下のように説明する。

 あなたの現時点での直感や違和感は、たとえるなら中世の価値観だ。それが今のあなたの全力。もっと磨かれる余地のある、未成熟な知識や認識の前提である。

 そんなもので、ガリレオの地動説に触れたら、そりゃ直感として「これはおかしい」となるし、それが違和感となる。正しいとあなたが思う基準からのズレが、そこに生じるから。

 しかし、現代の科学的価値観にまで前提をバージョンアップすれば、それは受け入れることが可能である。正味の正しさが見抜けるので、そこに違和感など生じる隙はない。

 ただ、もちろんそれだってゴールとは言えない。現代科学ではまだまだ、解明されていないことも完全に正確に捉えられていないことだってあるだろう。

 直感とは、もうそれ自体がすでに完璧で、ただ従えばいいという対象ではない。常に進化させ向上させ、精度を高める不断の努力を必要とする対象である。

 一生、「これでよし」となるものではない。



 話のオチとして、「直感など従うな、違和感など疑え」と言いたいのではない。

 直感に従ったらいい。違和感に素直になったらいい。

 ただしそうすることで、あなたは決して「良い体験」ばかりをすることはない、というところが注意点なのだ。あれ? 直感に従ったのに、違和感を大切にしたはずなのに……という「裏目に出る現象」も置き得る。

 その時には、「ああ、自分の直感をバージョンアップしないと!」と思ってもらったらいい。つまり、間違いながら学ぶ。その都度間違いを認めて、自分の認識をより良く更新していくのだ。

 試行錯誤を繰り返すんですな。そうやってしか、知的生命体というのは成長していかない。

 間違っても、その瞬間の自分に100%従い続けてすべてがウルトラハッピー、なんて起きない。あなたはやっぱり間違うしかないのだ。そして、経験から学び続けるしかない。

 


 トランプで遊ぶのと同じである。

 あなたという人間、あなたという意識(人格)は、地の視点では「配られたトランプの手札」と同じである。最初から強い手がくる人もあれば、かなり工夫しないと勝てないような、条件の悪いカードの組み合わせが来ることもある。でも結局、その手札で勝負するしかない。全力を出すしかない。工夫するしかない。

 直感もある意味、それぞれに配られた内容の違う手札だと思ったらいい。誰もが同じ規格ということはない。だからある人物が直感に従って大成功してそういう本を出しても、読者が自分の直感に従ってうまくいく可能性は低い。だって、互いに直感のモノが違う。精度が違う。

 もちろん、たゆまず磨き続けるなら、個人差はあるがそれはいつかは役立つ。



 あなたが汗をかくことなく、試行錯誤して自分を磨くことなしに直感や違和感に従っても、それが単なる「わがまま」になることもあるから注意。

 くれぐれも、本当はしたほうがいいし向き合ったほうがいいんだけど、あなたがイヤで逃げていることへの「言い訳」に、違和感や直感という言葉を都合よく使わないようにね。

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