本物にまつわるエトセトラ
『本物』という言葉も、善悪という言葉と同じくらい適切に使うのが難しい。
本物の反対は、偽物である。人間の場合、「偽者」と書く。
「偽物」の場合は、一定の知識さえあれば誰にでも「正しい判定」は可能だ。
(もちろん、相手が目利きの鑑定士でも騙せるような、まさに芸術品のような偽物も存在するが、その域に達すると別の意味では「本物」になる)
しかし「偽者」、つまり人相手の場合。これが一番難しい。
ブランド品のニセモノなどのように、「具体的に目に見え、手に取れる」対象なら、見分けるポイントさえ分かっておれば比較的容易に真偽を鑑定できる。そしてその判断根拠と結果は、広く万民に了解可能なものである。ただし——
●人間相手に「本物、偽者」を語る時、それは鑑定根拠がモノほどにはっきりとはしていない。その相手の言動・精神的なものなど目に見えない概念的な領域の話になる)だから、誰もに有無を言わせず納得させる話にはならない。
モノであれば、本物偽物がハッキリすれば誰も偽物を欲しがらない。相手にしない。でも、人間の場合はその本物偽者論議が「目に見えにくい精神論的な話」になるので、ある集団は「偽者」と結論しても、別のある集団は納得せず「本物」として扱い続ける選択を取る場合もある。
オウム真理教などは、あれほどのひどい事件を引き起こしたにも関わらず、多くはないとはいえ現在においてもなお「信心している」人たちもいる。日本以上に、外国(ロシアなど)では活動が盛んだという情報まであったりする。
そういう人たちは、世間一般が出した評価には、納得していないということだ。むしろ、そういう集団は「悪いとする評価の方がおかしい」とさえ思っていることだろう。このように、人間やその人物が発するメッセージ等に関して「本物・偽者」を言う場合は、モノよりも難しく、扱いづらい。
ある時フェイスブックのタイムラインを見ていたら、興味深いブログ記事が紹介されていた。
『尊敬してる人が本物なのか偽物なのかを見極める方法 (口だけ人間に騙されない為に)』
そんなタイトルだった。筆者は悟りの視点から、そんな方法があると言ってしまえることに不誠実さと危惧を覚えたが、何せブログ自体精神世界とは関係ないフツー人のブログ(多少自己啓発系のニオイはするが)なので、まぁそういうことを言ってもいっか、と思いながら読んでみた。
案の定、やっぱり穴のある理屈だった。その人物の体験ではそうなんでしょうよ、っていうような。何も、得意げに「法則や定義チックなものに昇格させなくても」ってな程度の内容だった。
一応、そのブロガーが言う「本物偽者の見分けポイント」を紹介してみよう。
①発言と行動が一致しているかどうか。
②その人の周りに、同じくらいの(あるいはそれ以上)凄い人がいるかどうか。
この記事には、上記ふたつのポイントに関して、細かい説明をしてあった。でも私は、その説明を読む前からげんなりした。
なぜって? 実行不可能なことが書いてあるからだ。仮に実行できても、こう突っ込める。
この二つができるくらいなら、もうすでに「騙されない」完璧人間だってことなので、こんな「方法」を使ってわざわざ確認するまでもないので、この二つの定義はそもそも「意味がない」ことになるから。
プロのテニスプレイヤーが、テニスのルールや素振りの仕方を確認するようなものである。
①に関するツッコミ。
本物偽者ということを気にするような場合、その観察対象はかなりの確率で『あなたが日常的に接することのない、遠い他人』である。どこぞの政治家・宗教家・スピリチュアル指導者。芸能人。身近にその生活ぶりや言動を生で見る機会の少ない人たちである。
そういう他人を本物偽者と判定する材料は、必然的に「あなたが足を運んで、生で見聞きした情報じゃない」ことになる。人から聞いた話。テレビやニュースで流される情報、ひどい時には「噂」というものさえ平気で利用・採用される。
私が指摘したい危険性は、会いもしない遠い人物のことを本物・偽者と判定するのに使う情報が脆弱すぎる可能性である。無数の人間の思惑が絡んでいる情報かも知れず、必ずしもそのまま受け止めて問題ない情報とは言いきれない。
たとえばあなたが、あるスピリチュアル指導者の講演会に行ったことがあったり、数時間のセッションを受けることがあったりするとする。だが実際に「会った」人物ですら、あなたは本物・偽者をきちんと判定できないのだ。
●あなたは、宇宙の真理(絶対評価)として特定の人物の「本物・偽者」を判定することはできない。
ただ、あなたの世界観や願望に引きつけて、相手がそこにプラスになるかどうかは判定できる。
つまり、「好き嫌いは決めれる」ということである。イヤな言い方をすると、あなたの好き嫌いや都合に沿った「本物」しか決められない。
発言と行動が一致しているか?
一緒に暮らしてもいないあなたが、それを判定するの?
まぁ、無責任な判定をして「たまたま当たる」ことはあるかもしれないねぇ。
世には、「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という言葉がある。本人にそのつもりはなくとも、他人から誤解されることというのはある、ということ。
言動が一致しているかどうかの判定において、相手の腹積もりがきちんと読めてなくて「瓜田に靴を入れた行為」を見とがめて判断してしまう危険は大いにある。
その人物とは縁遠い者が、本当に正確に「言動の一致」を判定することができるのか? ブログ主の言ってる「本物偽者の見分け方」は、見分ける側が「正しく言動一致という判定が下せる」という前提でしか成り立たない。そしてそれは、限りなく不可能に近い。
では、②に関するツッコミ。
「その人の周りに、同じくらいの(あるいはそれ以上)凄い人がいるかどうか」
……が判定基準だそうだが——
●あなたって、それをちゃんと見抜けるほどすごい人だって言うわけ?
いったい、何様? どんだけエライの?
すっごく、傲慢じゃありません?
それが(本当にすごい人かどうか)判断できるくらいやったら、こんな議論最初から要らんやん! あんた、スピリチュアル指導者やれまっせ~!くらいの勢い。
「類は友を呼ぶ」というようなことを言いたいんだろう。世間でも、「その人が付き合っている人を見ればその人が分かる」というようなことは言うから。
それは確かに、一理ある。ただ、逆にこうも言える。
●一理しかない。
イエス・キリストは最後たった一人になった。
そりゃ、遠巻きに彼の死を眺めて嘆いた人もいたよ。心痛めた人もいたよ。でも、自分が同じような目に遭ってでも彼を弁護し、助けようとまでした人はいなかった。
12弟子は、最後皆逃げた。ユダなどは、イエスを売った。(とされている)
周囲の人間を見ればその人が分かるというのも、そういう傾向もあるという程度で、絶対ではない。その理屈で言うと、イエスは偽者である。だって、最後誰も彼と運命を共にしなかったのだから。
確かに、イエスの死後心を入れ替えて頑張った弟子もいる。しかし、それを議論の有効な範囲に入れてしまうと、話の本筋がボヤボヤになるので、後の改心は関係なしとする。
●本物の周囲に、本物がいない現象はある。
ただし、ある一定期間限定である。物事は常に変化するから。
だから、その人物の周囲の人が大したことない奴らであっても、それを理由に「本物じゃない」と決めつけるのは危険だということである。
そもそも、「本物・偽者」という議論自体が、私に言わせればくだらない。
あなたが本物だと思うんなら、それでいいじゃないか。なんで、そんな一般論的な正しさをそこに求めようとする?
確かに、「騙されて損をしたりしたくない。遠回りしたくない」という思いは皆あるだろう。でも、試行錯誤をかさねてこそ、学びがあるのも確かだ。
そこを、間違えたくなく汚れたくなく、スマートな道を最短距離で行きたい、とはムシが良すぎ。
人には、小中高大みたいに「学びの
あるステージにいる時に、その段階にふさわしい先生は「本物」である。
でも、ステージが変わると、本物、偽者の基準が変わる。つまりは、あなたが誰を本物と見るかで、あなたの段階が分かるとも言える。
でも、ある高い段階にいない人に対してその人の信じる「本物」をあなたにちょうどいい「本物」に過ぎないと指摘しても、理解されない。拒絶されたり、怒られたりする。
だから、要らぬトラブルを避けるためにも、あまりあなたが考える「本物偽者」に関する情報を、ベラベラしゃべらないほうがいい。そういうのは、自分の胸にしまっておくのが丁度いい。
ただし、ズケズケ言っていい場合がひとつだけある。信頼できる世の情報を基準としてあきらかにその指導者が反社会的であり(または詐欺であり)、信じるとその人物だけでなく他人にも迷惑が及ぶと分かる場合。そのケースだけは、うるさくやめるように言うのは良い。
どんなに気を付けようが、騙される時には騙される。
本物を見抜く方法、なんてのを探したりするよりも、今を一生懸命生きてさえいたら、それに付随して起きてくることは全部引き受ける覚悟を固めていさえしたら、あまり気にしなくていいことなのではないか。
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【編集後記】
今なら、別のことも思う。本当に、先の「本物偽者の見分けポイント」は穴だらけな、頭の悪い人の書いた記事だと思う。
①発言と行動が一致しているかどうか。
②その人の周りに、同じくらいの(あるいはそれ以上)凄い人がいるかどうか。
① → 怪しい新興宗教をいくつか調べても、結構一致しているよ。ただし、その集団の中の人間にそう思えるに過ぎないが。一致しているからこそ(そのように底辺の信者には思えるからこそ)ついていくのだ。実際、過去に筆者もそうだった。
②オウムを考えたまえ。東大や超難関校を卒業した優秀なエリートが結構教祖の脇を固めていたぞ? だから、ニセモノの周囲にすごい人がいるのもそうおかしいことではない。
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