引き寄せに関する苦しい説明

 ある引き寄せの発信者が、こんな説明をしていたのを読んだ。



●例えば、棚の上にある物を取ろうと思ったとします。

 その時に右手をあげてそれを取りました。

 あなたの「あれを取りたい」という現実は引き寄せられました。

 その現実に必要な「手を動かす」という動作も、無意識的に行われ、引き寄せられました。



 引き寄せの前提がそれでいいのか、というツッコミを入れたくなるが、それを最初から言うと話が長くなるので、そこは流す。まぁ、この話者の言う通りだとして先を進める。

 話者は、突っ込まれることを想定し、こう続けている。



●「そんなの当たり前じゃないか」と皆さんは思うかもしれません。

 そんなこと普通で、引き寄せじゃないとおっしゃるかもしれません。

 でも、引き寄せを本当に理解する上で大事なことは、引き寄せが「当たり前のように、いつどこにいても必ず作用している」ということ。

 皆さんが考える以上に身近なのだ、ということです。


 

 うん、ここもその通りとしよう。さて、重要なのは次の箇所である。



●皆さんは、引き寄せと言うと何か「大きな夢や願望の実現」といったスケールの大きいもののことを考えがちだと思います。

 実は、そういった夢や願望を実現することも、棚の上にあるものを取って引き寄せることと何ら変わりはないはずなのに、どうしても難しく考えてしまいうまくいきません。なぜ、その差が生まれるのでしょうか?

 それは、望むものを引き寄せるのを一番邪魔するのが「疑い」であるからです。

 あなたはレストランでパスタを注文した後で「リゾットが来たらどうしよう……」などと心配するでしょうか? 疑いませんよね?

 そこでちゃんとパスタが出てくる。これこそが引き寄せです。

 日常当たり前なこと、自然にそうなっていることには誰も疑いを差し挟みません。確信があるから、疑いなく待っていられて、その通りになる。

 でも、大きな夢や願望の実現となると、訳が違う。複雑な思いや信じていることなどが影響してきて、パスタの注文ほどスムーズにはいかないのです。



※私は過去に、『二つの鍵 (本書内2021年3月11日更新の過去記事)』というメッセージを書いた。今からする話は、そこで言っていることと原理的には重なるので、未読の方でかつお暇のあるかたは読んでみてください。



 まず、指摘したい点。

 棚の上の物を取るケース、レストランで注文したらちゃんとその料理が来るケース。この二つに共通する要素は何か。



●対象(相手)が、全面的にあなたという主体を受け入れようとしている状態にある。



 完全受容態勢、とでも言おうか。全面的に協力する気なのである。

 棚の上にある物体は、あなたにつかまるのがイヤだと言って逃げはしない。レストランの店員だって、あなたが注文した料理を意地悪してもってこない、ということはない。お客様なので、全面的にあなたの言う通りにする前提ができている。

 今回の引き寄せの発信者が分かっていないのは、この二つのケースと、夢や願望の実現とを同じ扱いにしている点である。二者は、どう考えても同じではない。



 夢や願望の実現というステージになると、必ずしもそれに必要なファクター(関わってくる人、物理的状況や事情)といったものは流動的、変動的になり、棚の上の物体やレストランの店員のように、あなたを全面的に受け入れようとして待ってなどいない。場合によっては障害とさえなって立ちはだかる。

 だから、いかにあなたが「信じて疑わない」を完璧にやっても、向こうの事情で引き寄せに失敗することはある。よって、他の要素によって結果が変動するようなものを法則とは言わない。



 金魚すくいは、なぜ難しいか。

 金魚がピクリとも動かず、あなたがすくうのに抵抗を一切しないなら、あなたが慎重に事を運ぶ限り紙はやぶけず、金魚すくいに成功するだろう。

 でも現実は、ピンピン跳ねる。つかまりたくないから動く。それで、逃げられたり紙を突き破られたりする。

 それと同じことである。もちろん、熟練すれば金魚が動いていてもそれをうまくすくうことはできる。いわゆる、金魚すくいのプロになるのだ。でも、そこには必ず「個人差」という要素が働き、同じ結果にはならない。



 思考は現実化するという考えは、あなたを傲慢にさせる。

 なぜなら、他人だって明らかに独自の意識や考えがあるのに、あなたはそれを外部からコントロールできるはずなどないのに、この考え方を受け入れた瞬間、他人の選択や反応さえも自分の心の在り方が生みだした産物だ、と考えてしまう。だから、それさえどうにかできると。

 生きた他人を、自分の投影程度に考える。それが「意識がすべてを作っている」と考えることの怖さ。

 引き寄せに関しても、自分が完璧に信じてさえいれば、疑わずにいてさえすれば他人や変化する環境などといった要素さえ吹き飛ばして、成功できると考えてしまう幼稚さがある。



●いくらあなたが意識で完璧に疑いを排除しても、失敗する時には失敗する。



 だから、今日紹介した話の発信者が『疑いを排して信じ切ったからといって、100%の成功などあり得ないのがこの世界です。でも、成功確率を高める努力はできるんです。最善の手は打っておきましょう。万が一の失敗はあるにしても、人事は尽くして天命を待ちましょう』と言うならまだ話は分かる。しかし、それを匂わすような文章はまったくなかった。 

 最後に、この引き寄せ指導者が見落としているもう一つの点。



●注文を聞いた店員が間違える、という可能性。



 今日の話では、レストランの店員が絶対に注文を間違えない「完璧なロボット」という前提でしか成り立たない。店員側の個人事情として、注文を聞いても疲労が蓄積していて休めてなかったり、個人的に人生でショックなことがあったり、でも仕事は休めない……という場合。そういうコンディションの店員にたまたま当たってしまった場合、うっかりミスでパスタを頼んだのにリゾットが来たりする。

 引き寄せの弱点は、あなたの側で疑いを完璧に取り除くなり信じ切るなりという責任さえ果たしたら、世界は間違いない同じ反応をしてくれる、というのでないと成り立たない点である。

 この世界では、結局人間関係だ。相手は、あなたの想像を超えた内的世界をもつ。個性によっては、あなたの予想を大きく外れる反応や行動を取ったりする。決して、あなたの側から見た「適切」な行動を取るとは限らない。



 筆者は何も「引き寄せそのものに反対」というわけではない。生きる姿勢として、追いかけている夢や目標はかなうと信じることは素晴らしいと思う。

 でもそれを、こうすれば実現するなどという法則として売り出し、それで商売をし、確信犯的にちゃんとは言わないが「こうすれば、誰でも必ず願望実現できる」というのを暗に匂わせている点が、いけ好かない。

 発信者がそのつもりでなくても、この言い方では読む者は「ああ、これを間違いなくやれば成功するんだ」と思っちゃう。でも残念なことに、この世界は何らかの法則に従っていれば成功できるような単純な構造ではない。無数の流動的力学が目まぐるしく絡み合う、一期一会の一瞬が恐ろしい速さで積み重なる世界。



 結論として、引き寄せはあくまでも成功率を高めるための行為、とするべきだ。

 これをすればあなたも成功する、と読める表記こそが「看板に偽りあり」なのだ。

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