その経験をしてもしなくても

 たとえば、ここに生まれてこのかたずっと貧乏で、お金に困らない日はなかった人がいるとする。

 で、その人を、生まれてこのかたずっと裕福な資産家の子どもで、お金に困るという経験など一度もしたことのないような人物が、慰めるとする。「きっと今後いいことあるよ」とか「あきらめなれば、いつか運が向いてくるさ」とか言って。

 もしかしたら、その時金持ちはこういう言葉を相手から返されるかもしれない。



●お前に、何が分かる?



 確かに、貧乏という経験がなく、その辛さがどういうものか分からない人物に慰めてもらっても言うことに説得力がないだろうし、聞く方の虫の居所によってはバカにされているようで、カチンとくるかもしれない。

 今の例のように、ある問題で困っている・悩んでいる人物の気持ちを理解してあげられるのは——



●それと似たような問題や悩みを経験した人物(さらに、それを乗り越え済ならなお理想的)



 ……である、というような考え方がある。

 受験で落ちた辛さは、一発合格したやつには分からない。その人物の気持ちが分かり慰めることができるのは、やはり同じように試験に落ち、その苦しいところを通過したことのある者。

 子を失った親を支えるのに一番適役は、やはりかつて同じように子を失う経験をして、それでも今を生きようと前を向いている人物。

 たとえ問題を乗り越えていなくても、同じ問題を抱えている者同士であれば、ある程度「分かち合える」部分があり、何も分かっていない人物と話すより重荷が楽になる。辛い体験をしてしまった者ほど、今幸せで人生がうまく回っているやつに、教科書にでも書いてそうな「正論」で慰められなどした日には、ぶっとばしてやりたくもなってしまうだろう。



 しかし、この「ある人の気持ちを理解し慰めるためには、その人と共通の経験が必要」という理屈は、真理や法則と言うには穴だらけである。例えば、『人殺し』の経験をもつ人物の気持ちを理解し支えてあげられるのは、やはり「人を殺したことのある人物」でないといけないか?

 じゃあ、人殺しの気持ちを理解するために、自分も人殺しをするか? その理屈は、明らかにヘンだ。



 私たち人間は、ひとつでも多様な状況に対応できるように、知識と経験を追い求める。経験を増やそうとする。ものを知らなければ、何かの問題に出会った時にその知識や経験がないことで対応できない可能性を増やすことになる。

 だからカウンセラーは、場数を重ねようとする。学者は、一冊でも多くの書物を読もうとし、プロのスポーツ選手や囲碁将棋の名人も、あらゆるパターンを想定し、どんな手で来られても対応できるように訓練を重ねる。

 確かに、ひとつでも多くの特殊な経験や、その経験でしか味わえない感情をもつことで、それは対応できる問題のバリエーションが増えることに繋がる。



 しかし。

 ある格闘家が、スランプに陥っていて、たまたま格闘の「か」の字も知らないような、ヒョロヒョウロの弱そうな男が発言した何気ない一言が、その格闘家にある「気付き」をもたらし、「これだ!」とひらめいた格闘家はその優男に感謝する、なんてことが起きることがある。

 このように、こちらの事情や問題などに全然関わりをもたず、こちらの気持ちなんて分かるはずもないであろう人物の言動からヒントをもらい、それがきっかけで良い変化を起こせたり、立ち直ったりできることがある。

 その事実も併せて考えてみた時に——



●必ずしも、問題の経験者しかその問題で悩む人を救えないのではない。

 まったく問題とはかけ離れた位置にいる人でも、役に立つ時には役に立つ。

 結局、経験してようがしてまいが、結局その時々で色々なんだとすれば、あなたは本当にしたい経験だけを追い求めたらいい。

 勉強のために、経験値を上げるために何事も経験せねば、と頑張る必要はない。

 


 あなたはその経験を、『したいかしたくないか』で選んでいいのだ。したくなくても、「いや、しないよりは役に立つのでは……」と頑張らないで良い。

 人を救うために、人の役に立つために、あらゆる経験をする必要はない。

 あなたが頑張らなくても、色々な立場の他人がいくらでもいる。あなたが必死でやってもできないことを、他人はいとも簡単に成してしまうことがあるのだから、分業すればいい。この世界には、何のためにこんなにたくさん人がいると思っている?

 


 一人のオールマイティースピリチュアル指導者とか。どんな問題にでも、どんな人にでも対応完璧な最強カウンセラーとか。

 そんなもん無意味。(というか存在できないが)

 あなたは、自分が大好きで、人よりも比較的少ない力で大きな効果を出せる分野のことだけしたらいい。それを磨けば、あとは同じ世界に生きる別の役者が担当してくれる。

 あなたが無理して頑張っても、それを最小限の力で軽々しくやってのける人を見れば、きっと任せたくなるはず。その方が、その人の活躍の場も広がって、かえってよいではないか。

 あなたはあなたで、あなたが苦もなく好きで続けられ、人からも頼りにされる何かを探せ。それがひとつあれば、十分である。



 筆者は、映画が大好きで読書も大好きだ。

 かつてはこう考えていた。「ひとつでも多くものを知っている方が、いざという時にものを言う」「ある問題の答えを知らなければ得点にならない。知っていれば点になる。ここには天地の差があり、我々が経験と学習を積み重ねる意味がある」と。

 つまりは、持っている武器の種類をひとつでも増やそうという努力である。状況によって、適切な武器を使い分けるための。でも、そうやって頑張っていた時代には、大事なことを忘れていた。「人に頼る」っていう。

 今の筆者にとって、映画を沢山見るのはただ「映画が楽しいから。今見たいから」にすぎない。本を読むのも、単に面白そうで、読みたいから。

 昔のように、何かの目的や下心(頭が良くなる、物知りになる、何かの時に役立つ)を持たなくなった。一人ひとりがそのように 「自分というパズルのピースがピッタリはまれる場所を見つけられる」ようになったら、その時こそ本当にその人の身近な世の中が潤滑に「回り出す」。



 今後も、自分の発信は一視点からの偏りのあるものに過ぎず、全員のお役には到底立てないにしても、誰かの役には立ち、誰かの気付きにはなり得ると信じて、続けていきたい。

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