テクニックとの向き合い方

 世の中には「テクニック(技術)」というものがある。

 それは何も、科学技術やものづくり・スポーツという分野ばかりの専売特許でもない。目に見えない心の世界においても使えるテクニックというものが存在する。

 ひとつには、心理学的なテクニック。

 巷には、「人を惹きつける方法」「第一印象を良くする」「人を会話に引き込む」など、ちょっと怪しげな『心理テクニック』を紹介しているものもある。そういう情報をウリにした本はたいていタイトルに「~する20の方法」「~の超心理術」「あなたもこれで~になる(できる)」とか書いてある。

 こういったのは玉石混交で、ある程度有効なものもあればマユツバもある。

 人がその時々で置かれた状況というのは、一期一会で実に複雑なもので、誰一人同じ状況はない。そこにまったく同じテクニックを使おうというのだから、そりゃ結果は色々になる。



●常に変化し、一定でない諸行無常な世界に生きているのだから、固定されたテクニックを間違なくやったからといって、絶対に成功することが保証されない。

 このことを常に覚悟して、用いられたし。



 心理学的テクニックは、どちらかというと自分が得をする目的で使うものが多い。

 その対極として、自分というより向き合っている「相手」のために用いる「カウンセリング技術」というものがある。自分にひきつけたり、自分をよく見せるという心理学テクニックとは全然違い、こっちは話者が目立ってはいけない。ヒーローになってはいけない。過度に好かれても、逆によくない。

 ただ、相手の「幸せ・問題解決」のみを希求するものである。



 筆者はキリスト教会の牧師を目指していた頃、神学校でカウンセリング術というのを学んだ。一口にカウンセリング術と言ってもその内容は幅広い。私が特に訓練させられたのは、『傾聴』という分野。

 この技術には、ふたつの約束事がある。



①絶対に、「それはね、こうじゃないですか……」などと、自分から先に相手の話す問題の解決について意見を述べないこと。どんなに言いたくなっても我慢する。



②これこれね、こうだったんですよ~と言われたら、「なるほど、これこれこうだったわけですね~」 と、基本は相手の言ったことをまた再現して確認していく「オウム返し」みたいなことをしていく。

 こちらが違うことを言うのは、ここぞというタイミングの時だけ。



 ①に関して。おしゃべりさんや、自分に自信を持っている人には、難しい。

 特に、クライアント(相手)より自分の方が経験も豊富で、モノを知っている(解決法を誰よりも知っている)と少しでも思っていたら、できない。

 相手から「どう思いますか?」とか「先生の意見を聞かせてください」とこちらに話を振られるまで、絶対にこちらから議論を進めず、もちろん結論にも触れない。

 その約束事を守るからこそ、②の「オウム返し」が生きてくるのである。もし話が十分深まっていないなと思ったなら、相手に意見を聞かれてすら上手くかわして、さらに相手から情報を引き出すこと。



 私たちの日常でも、相手に悩みを話させるだけで、聞いてあげるだけで解決することがある。

 その人は、順序立てて落ち着いて口にする機会がなかっただけ。口にしてしまえば、それでスッキリして自己解決する場合もある。カウンセリングの真骨頂は、こちらが名探偵のように解決めいたことを与えて有り難がられるのではなく、「相手自身に解決させる」ところにある。

「なるほど、そういうことがあったんですね」と、何でも相手の話を受けてそのまま返す。相手は、自分の口から出た言葉と、カウンセラーの口から出た言葉と二重に問題を確認することになり、より落ち着いて認識することにより「問題と向き合う素地ができる」。

 で、それでもなかなかうまくいかない時に使うテクニックが、これ。



●相手が言うどんな否定的なことの中にも、逆の良い面を見つける



 傾聴とオウム返しで、こちらが余計なことを言わずに相手が納得するなら、それに越したことはない。でも、感情問題が強めに絡んでいる場合、時間がかかったり相手が自分で変われる糸口がつかみにくいこともある。そんな時は、今述べたテクニックの出番である。

 たとえば、「私って怒りっぽいんです」と言われたら……

「なるほど、怒りっぽいということは、それだけ物事に真剣だからですね」とか 「情熱的なんですね」というニュアンスの話に持っていく。

「私、優柔不断なところがあって」なら、「結構、慎重な方だということですね」。

「私、結構バカってに言われるんです」 なら、「それは、視点を変えると固定概念に囚われにくいところもあるってことですから——」。

 実際にこのような例の通りになることはないにしても、この「何でもよい側面を見つけるドリル」を訓練しておけば、他人と向き合った時に色んな局面で非常に役に立つ。「心筋力」がつく。



 時折、テクニックというのが悪く言われることがある。

 テクニックに走る過ぎるとよくない。大事なのはテクニックではなく、気持ちだと。真心があれば、あとはどうにかなるもんだ、とか。

 テクニックを使うことを考える分、意識が余分にそちらに割かれて、相手を見なくなってしまう、とも。

 でも、筆者は思う。たとえ、人と話している時に一生懸命覚えたテクニックのことを考えて頭をいっぱいにしたとしても、それはそれでいいじゃないか。



●気持ちがあるからこそ、相手のことを思うからこそ、そのテクニックを使おうとしているのだから!



 テクニックを使おうという行動の生みの親は、『思いやり』である。

 相手の問題を解決してあげたい。そのためには、私が学んだあの技術を使えば……

 だから、安心してテクニックに走ってもいい。中途半端に「テクニックに頼るのはよくないのではないか」という迷いが生じるからいけない。

 100%全肯定で、ぶっちぎりなさい。相手は、あなたのその一途さにきっと感じるものがあるだろう。カウンセラー側の迷いが、一番いけない。

 だから、『テクニックじゃなく、気持ち』という言葉はちとおかしい。そうじゃなく——



●テクニックは気持ち



 だって、相手のことを思ってこそ、使おうとしてるんだからね。

 今から思うと、私の神学校は結構進んだところだったと思う。

 たいていは、信仰がすべての解決にされる。神に、イエス様に祈れ、信ぜよさすれば道は開ける、という話で終わってしまうことが多い。そうじゃない世の知識やテクニックを使おうとする方が、良く思われないのが宗教の世界である。 



 だから、相手を思う気持ちさえあれば、テクニックはじゃんじゃん使いなさい。

 ただ注意点は、そこにエゴ的下心と「恐れ」はないようにしておきなさい。

 その二つは、カウンセリングを失敗させる最大の敵である。

 筆者は残念ながら、「意識が乗っ取られるシャーマンタイプ」になってしまったので、乗っ取ったそいつがしゃべりまくってしまい、せっかく覚えたテクニックがさほど生かせない環境が多い。

 そこだけは、自分でも「何だかなぁ~」である。

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