自由とは本当に良いものか
今朝、夢を見た。
目覚めた時に、夢って結構忘れていたりすることも多いのであるが。珍しく、今回のは起きてからもしばらくは覚えていた。
夢が、なぜ記憶しづらいか。覚醒してからも忘れずにいるのが難しいか?
●支離滅裂だからである。
夢が映画のように、完全に筋が通ったストーリーであることは、まれである。
絶対にあり得ないとは言わないが、あってもレア中のレアである。
「いいえ、私の見るのはだいたいは筋が通ってます!」と言えてしまう人は、印象に残った部分しか頭に残っていないので、そこだけをつなげて見れば意味を成す話に見えるだけ。無意識にそのつなげる作業をしているくせに、してないように言ってしまうだけ。
何かを記憶する、と言う時に人は工夫をする。英単語だったら、何か日本語的なものに引っかけて覚えるし、電話番号などの数字の羅列も語呂合わせで覚える。
歴史の年号も、同じ。応仁の乱などは1467年。『人の世虚し』 → 1の467し。このように、人は「意味づけ」をして、自分なりの理解の範囲に消化したものしか覚えにくい。
夢が記憶に残りにくいのは、この世界の認識の流儀に慣れているあなたの脳のキャパシティでは、つなぎとめておくことができないほど無茶苦茶だからである。
起承転結と因果を、まるっきり無視しているからだ。シャッフルしてもはや順番通りに並んでいない紙芝居だと言ってもよい。
たとえば、私が見た夢。
覚えているストーリー以上に細かく色々あったはずなのだが、前後関係が無茶苦茶なせいで、強烈に印象に残っている一部しか記憶にない。何とか覚えている場面のひとつをここで言うと——
●修学旅行先みたいな旅館の大広間で、友人と会話していた。
……はずなんだけど、数分後には宇宙服を着た状態で、宇宙遊泳をしていた。
あれ、さっきまで大気圏内の地球でジャージ姿だったはずなんだけど?
これだけ何とか覚えていたが、今となっては他はさっぱり……。これだけ前後関係が不規則なら、前後の関係性やストーリー性が身についたこの世界の住人の頭には残りませんな。
そう考えると、『究極の自由』とは、不便すぎるものであると分かる。
この二元性世界に生きる我々には、やはり「ある程度の縛りを受ける前提での、限定的な自由」が身の丈に合っている。それはもはや自由とは呼べないのであるが!(苦笑)
我々は「論理的な範囲、常識の範囲、倫理、道徳に反しない範囲」など、無数の条件付けをクリアした自由しか受け付けない。それはもう「不自由」のはずだが、人は残りかすのような少ない選択肢に甘んじて、頑張ってあえて選ぶ行為を「自由」と呼んでありがたがっているわけだ。
実に面白いではないか。
もうこりゃ『我々は本来、もっと縛りのない次元の意識であって、その縛りのなさすぎさ加減ががかえって面白くなくて、あえて「縛った世界を味わいたくて」この世界にやってきた(正確にはわざわざ箱を作って、自らその中に身を投じた)』というのが本当なのだ、と実感できてくる。
人は、本性的に自由を求めているんじゃない。
●不自由を望んでいる。
不自由こそが、可能性に満ちているのだ。
不自由こそが、楽しさと喜びを生みだすのだ。
完全な自由の中では、価値判断が起きない。
善も悪もないので、感情が発生しようがない。
何かを基準として判断を起こすからこそ、感情が動くのだ。
良いとか悪いとか。守りたいとか、ゆるせないとか——。
反論もあるかもしれない。『善も悪もないことが自由なのではない。善は良くて悪は悪い、その前提がしっかりあってそれでも善を選ぶ、という自由を行使するのだ。それでいいではないか』と。いや、条件付きの自由は自由とちゃう。
昔、筆者のオカンが『自由にテレビ見ていいよ』と言うから8時だヨ全員集合を見たら、「そんなアホみたいなん見なさんな」と怒られ、チャンネルを変えさせられた。自由でええゆうたやんか~!と不満に思ったものだ。
善悪あるなかでよいものだと善を選ぶのは、善を選ぶ自由を行使しているみたいにみえるがそれは錯覚だ。明らかに、最初から(善人と呼ばれる人は)悪の可能性を排除しており、それを不自由なのだと筆者は言っている。
ここで重要なのは、感情論ではない。あくまでも理屈としてどうだ、である。
夢の世界、つまりは睡眠中であるが、自分というアイデンティティーが曖昧になるのと、自分がいると思っている幻想世界の流儀(脈絡・起承転結。ああなるからこうなる、という因果)を守る義務から解放されるので、支離滅裂になる。
自由かもしれないが、やっぱりお話として成立するほうが(順序という縛りがある中で不自由なほうが)人間にはもっと楽しめる。だから、筆者個人としては「夢よりやっぱり現実のほうがどちらかというと楽しい」。
不自由かもしれないが、やはりこの世界は楽しい。思い通りにはいかないが、こうなったらああなる、という筋の通った展開は安心できる。
もちろん、あなたの理解力の範囲を超えた部分では、摩訶不思議に見えたり、奇跡に見えることも起きる。でもそれは本来的には奇跡でも超常現象でもなく、どこかには筋の通った説明は存在する。ただ、あなたがその説明を発見できないので不思議や奇跡に見えるだけだ。
そういう世界だから、探求のしがいがあるのである。夢の世界(言い換えれば、条件的縛りの少ない上位次元)は、何でもありな分自由かもしれないが、「理由」を探ることの意味がほぼゼロになる。ストーリー性も、その世界では期待できない。
やっぱり、人間はこの宇宙が住み心地良くできているんだな。
今日は、そのことに感謝するとしよう——。
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