覚悟なき者の行く先
こんな面白い、考えさせられる話を聞いた。
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マタギ(猟師)と言われる人たちがいる。
彼らは猟銃で動物を仕留めて暮らしている。
彼らのところへ、「動物愛護団体」がやって来るようになった。
なぜ罪のないクマを撃ち殺すのか、直ちにやめなさい、というのだ。
マタギは、「伝統を守る」ということと「生活のため」という二点を挙げて説明するのだが、動物愛護団体は納得しない。彼らは、他にすることがないのかと思うくらい何度でもやってきて、マタギを閉口させた。
あまりに困ったあるマタギのじいさんが、ひとつ妙案を思いついた。
動物愛護団体がやって来たタイミングで、知人とひと芝居打つことにした。
知人が、「近くでクマがでたぞ! 凶暴な奴で、まだ捕まっていない」と駆け込んでくるようにしたのだ。
さて、困ったのが団体様ご一行。人数が多いため自家用車ではなく、公共のバスを利用して来ていた。ちなみにバス亭へは20分少々山道を登らねばならず、バスも2時間に1度しかこない。その間、怯えながら待つことになる。
「私たちは安全に帰れますでしょうか……?」
青ざめてこう聞く彼らに、爺さんは言う。
●熊に遭ったら、アンタの名刺を見せればいいじゃないか。
自分を愛護してくれている団体だと分かれば、熊も襲わんじゃろ。いや、むしろ感謝するかもしれねぇぞ?
仮に襲われたとして、それはそれで愛する動物様のエサとして役立てるんだから、名誉なことじゃないか。
それとも何かい、オレを警護に付けて「私たちの安全のために、熊が襲ってきたら撃ち殺してください」なんてお願いしてくるなんて、そんなバカなことはないよな?
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マタギのじいさんと、動物愛護団体の関係者との違いは何か?
それはもちろん、「動物を殺す人と守る人」「残酷な人と、愛の人」などではない。(笑)
●生きる上での覚悟の違い
動物を生活のために殺めるのは是か非か? という問いに正解は出ない。
(いや、絶対殺しちゃだめだろ! という感性の方は本書の読者には向きませんので、お帰りください)
それはもう価値観の違いという次元であって、この衝突は仕方のない部分がある。この話は、動物の命を奪う是非で考えていたらあまり得るものはない。
じゃあ、別の視点で捉え直せばいい。それが、私が先ほど挙げた『覚悟』という観点である。
マタギの爺さんは、猟師一筋に生きている。
価値観の違う者(動物愛護)からしたら、責めたくなる部分もあろう。でも彼らはそこにすべてを懸けて、腹を括っている。
マタギをすることで自分に降りかかることは、背負う覚悟で生きていらっしゃる。
(それほどの人物でも、うるさい動物愛護団体にはちょっと参ったようだが)
動物愛護団体は、単細胞的に『守る』という言葉に酔っているだけの軟弱者であることが多い。守るという大義名分と、組織の後ろ盾があって初めて吼えることができる。自分単体で、個人名で戦うほどの覚悟はない。
もっと言えば「突き詰めて考えることを放棄しているくせに、突き詰めて考えないとできないようなことをしてしまっている危ないヤツ」であるという表現もできる。
人間の多様な生活様式を支える前提から、乱獲はせず必要な数の命をいただく、ということなしには世界の維持は考えられない。それを「しなくていい」というのだから、本当にそれでも世界を維持できる確信がないと、ねじ伏せるマタギ側に失礼である。でないと、伊達に修羅場を生きてきてはいないマタギに、己の未熟さを見せつけられるだけだ。
そして、動物を殺さないことで生活に支障の出る者への保障は? それもなしにいきなり無条件に「やめれ」と言うとは、交渉のイロハも分からないバカか。
よっぽど「自分は正しい。相手は間違っている」と思えないと、とてもこの話の動物愛護団体のような振る舞いはできない。これはもう、一種の宗教である。
自分の立場があやうい、という状況になって初めて、人は己の正味の姿を知る。
それが暴かれるまでは、幸せな勘違いをしていられる。その状態の人が、宗教でもスピリチュアルでも多いということは言える。
「あなたは、これでもそれを言い続けますか? こんな目に遭っても、まだ曲げませんか?」
人生どこかで、そう問いかけられるようなことが起こるものだ。その時に、そんな時のことまで考えていなかった動物愛護団体の人のように、自分の命(損得)を心配して「やっぱり前言撤回します」というのは人情的には分かるが、やっぱりカッコ悪いのは否めない。
筆者は、今言ったことを日々自分に問うている。その前提があって、私は日々のメッセージを綴っている。
どこへ出しても、恥ずかしくない。ちょっと誰かに何か言われたくらいでヘイコラ変えたりしない。
そのせいで瞬間瞬間を切り取れば割を食っているし、損はしているけれど、長期的には得るものが多い。
機を見るに敏で、上手く立ち回ってもだめ。結局最後にものを言うのは「自分に恥じるところのない行為を選択し続けているか」である。
中には、胸を張って「私はそうできてます!」と言う人もいるだろう。
ただその際には、二点注意事項を。
①他者評価は、見誤りやすい。本人が正直にどうかである。
②かといって自己評価でOKであっても、その人が無意識に目を背けているものがあって、無意識で自覚できてないからこそ言えている場合もある。知ってて誤魔化しているか、本当に自分でそれに気付いていない場合とがある。
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