誰にとっても絶対良いものはあるのか

【筆者注】


 この記事で扱われているのは古い情報で、記事を投稿した時点での最新情報ではないことをご理解の上、お読みください。


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●「近くにあると住みたくない」施設、3位ラブホテル、2位お墓。では1位は?



 物件選びを話題にした記事で、そんな特集がネット上にあったので読んでみた。



【5位 パチンコ屋】


①うるさいイメージ。ガラの悪い人が集まりそう。周辺の治安も心配

②近いと、仕事休んで通ってしまいそう (マジか!)



【4位 遺体安置所・葬儀場・火葬場】


①直接死体を見なくても、『あの建物のなかに、亡くなった人がいる』と思うだけでいたたまれない気持ちになる。霊について半信半疑でも、やっぱり気持ちは良くない

②夜、近くを通るのが怖い



【3位 ラブホテル】


①夜間でも人の出入りが多いので、単純に治安が心配

②「あぁ、あそこで今誰かと誰かが……」 と思うと、悶々とする。(爆)



【2位 お墓】


①幽霊とか人魂とか出たら、と思うと怖い。昔聞いた怪談とか思い出しちゃう

②4位と同じで、死を連想させる場所のそばでは、心休まる暮らしができなさそう



【1位 キャバクラ、風俗店etc】


①深夜になっても近所で人が騒いでそう。うるさくて眠れないんじゃないかと心配

②キャッチや呼び込みがいっぱいいて、道を歩くのが面倒くさそう

③酔っ払い客が大半だと思うので、運悪く絡まれたりして、なにか面倒なことに巻き込まれるんじゃないかと不安



 ……以上が、ある程度アンケートをとってみた結果らしい。

 何かの意見が1位に輝くということは、「そう考える人が多い」ということでもある。この世界は、良くも悪くも民主主義社会である。この世界では何事も、圧倒的多数の支持するものが「正しい」というお墨付きを受けがちである。

 でも、ここで注意が必要である。

 


●必ずしも、1位の意見のように考える人ばかりではない



 たとえば、今回の1位、『キャバクラや風俗店のそばには住みたくない』という意見と真反対の意見が、少数だがいた、という。さて、その言い分とは——

「昔、キャバクラ通りの先にあるマンションに住んでいたけど、深夜でも常に呼び込みの男性がいたので、帰宅途中に変質者につけられたり驚かされたりするなど怖い思いをすることはなかった。今住んでいる閑静な住宅街の方が、夜道は怖く感じる」 (28歳・女性)



 深夜に帰宅する女性にとっては、騒がしさと人の多さが逆に安全に感じられることもある。



 スピリチュアルは、そのほとんどが積極的に宣伝し、広まろうとしている。

 ランキングとか、クリック推奨などもその表れである。

「一人でも多くの人に伝わりますように」という言葉が出てくるのは、自分のメッセージによほど自信があることの表れである。これを裏返すとー



●このメッセージには絶対の価値がある。

 だから、真価を見出してもらえず(つまり問題はメッセージではなくその人の視点にある) 誤解されることはある。でもその価値が分かる人、時を迎えた人にはプラスになる。



 多くの指導者は、そう考えているんではないだろうか。

 自分のメッセージに価値がない場合がある可能性を考えていない。

 かっちりした「価値」というのはあって、あとはそれに触れる人のレベル次第で、嫌われたり好かれたりするがそれは仕方がない、と。

 でも、それは間違いである。



 たとえば、ここに「松葉杖」があったとする。

 足を骨折したりした人には、必需品である。価値が生じる。ないと大変である。

 しかし、足に何の問題もない人がいたら?

 その人が松葉杖いらない、と言ったからといって「松葉杖の価値を正しく分かっていない」というのもヘンだ。足に問題がない人からしたら、視点どうこうではなく「本当に必要ないのである」。

 スピリチュアル指導者は、他人においてはその価値が分かるか分からないかだけの問題で、そこさえクリアするならすべての人に有効であり、必要であると考えている場合がある。

 筆者は、自分のメッセージを広めようとすること自体は問題ないと思う。ただ、広める際の認識の前提だけが問題なのである。



 × → 絶対にいいものだから、誤解される分は仕方ないが一人でも多くの人に目覚めてほしい


 〇 → ひとりとして同じ人のいないこの世界で、自分の教えなど「本当に必要ない」タイプの人もいることを認める。自分と似たタイプの人生ゲームをしていて、苦労を分かち合える人にとってだけ相互理解を得られる可能性がある、程度に考えておき、自分のメッセージに関心を示さない(それどころか批判してくる)人を分かってない人・残念な人だとは考えない。



 だから、似た者同士発見、ってことかな。

 すべての人に有効、ってのはもうそれはすでに宗教だよ。

 世の中で一番支持されているスピリチュアルがあっても、それは世界の真実とはならない。あくまで、結果として「同調する人がたまたま多かっただけ」である。

 それだって絶対評価ではなく、時が流れれば人の気持ちも趣向も変わる。十年程度後には、それは影も形もなくなったり人気がなくなる場合もある。

 だから、スピリチュアルを発信してる人なら最低限分かっておいた方がいいこと。

 誤解されたり分かってもらえないと思えることが起きた場合、次のことを心の中で唱えるようにしてみてはいかがか。


 

●私の意見など本当に必要ない人だっている。

 そのスピリチュアルな教えなど知らなくても、幸せに生きるのに何ら問題のないタイプの人もいる。



 先に上げた、キャバクラや風俗店のそばに住むのはイヤという主流意見の陰で「深夜でも人がいることが、かえって安心材料になる。よかったとさえ思える美点になり得る」という事実。それこそが誰にとっても『絶対に必要なもの』などないということを示している。

 すべては、ある瞬間において「それが必要な事情」のある人だけにしか必要とされない。たまたまその必要数が平均を上回った場合に「人気がある」 「普通・当たり前」となるが、それをもって「正しい」というのは論理の飛躍である。あくまでも、数字上、統計学上のたまたまである。

 


 筆者がここで書くようなメッセージなど、クソと思う人もいる。

 そしてそれは誤解などではなく、その人にとっては本当に「クソ」なんだろうな! そういう人にたまたまこのページがモニターに表示されちゃったら、お目汚し失礼。謝ります。

 これが必要な誰かに届くために書いてるので、その人はちょっと我慢してね。見ないように気を付けてもらえればいいだけだから!

 そう思えるのが、本当の謙虚なメッセンジャーである。



 一人でも多くの人に分かってもらえるように、ではない。

 一人でも多くの隠れた同士に出会いたい。そして仲良くやりたい——

 そういう、仲良しグループ作成、程度で良いではないか。

 自分の教えが世界を変えるとか、どんだけ傲慢なんだ。

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