上手な他人へのあこがれ方

 最近、星野源と新垣結衣の結婚が大きく話題となった。結婚というのはめでたいものなので、たいがいは祝福ムードなのだが、あこがれる人も多い有名芸能人だと一部そうならない人種もいる。ひと昔前の福山雅治の結婚のときは、それが今回以上に顕著だった。

 いわゆる、何々ロスという言葉で表現される現象が起きる。福山の時は、女性ファンの次のような声が聞かれた。



「死にたい」 「虚しい」

「福山さんだけは独身でいて……」

「永遠の独身でいて欲しかった。好きだったのにショックです」



 当時、福山の結婚を残念がる声は少なくなかった。

 東京・新橋ではこのニュースのせいでやけ酒を飲む女性が続出。「福山雅治さん結婚 やけ酒割引」を表示する飲食店もあったというから、苦笑ものである。

 会社では、一部OLさんが、仕事で凡ミスをするくらい茫然自失状態になったみたいで、上司が困ったというニュース記事もあった。今回でも、ガッキーロスで会社を休むことを公に認めた会社もあった。



 この現象を通して、人間って厄介な生き物だなと思うと同時に、憎み切れないろくでなしとも思う。かわいいし、愛すべき存在だ、ってね。

 人を好きになるといっても、その好きになるなり方はピンキリである。

 ここでは話をシンプルにするために、大まかに二つのタイプの「好きになる」に分類してみる。

 ひとつは『同一化型』。もうひとつは『分離・逆転型』。



①同一化型



 あなたと、あなたが好きなその対象とが、一体不可分となること。

 たとえ話をすると、あなたの体とその他人との体がつながった状態になると考えるのがいい。

 肉体を共有するので、相手のテリトリーで痛みがあれば、それはあなた自身の痛みともなる。相手が幸せであれば、存在を共にしているあなたも、やはり幸せになる。

 相手と感情体験がリンクし、ほぼ同じ感情を味わう状態を言う。

 今回のケースで言えば、福山が結婚すると聞いて、「おめでとう!」「よかったね!」となる場合。一体化した相手方の思いに同調できているのである。

 ただ恋愛関係においてこの成熟した段階は、そう多くは見られない。相手が幸せになるのは「自分と一緒に」なるのでないとダメで、自分をのけた他人となるのでは喜べないのだ。

 親子関係などは、まさにこれである。相手が身を斬られたら、あなたも自分が斬られたように(時としてそれ以上に) 痛みを感じる。ここは親子関係の素晴らしいところでもあると同時に、場合によっては「超エゴ」として発現するやっかいなケースもある。



②分離・逆転型



 同一化型とは違い、好く相手とあなたが分離している状態。よって、相手が痛みを感じても、あなたは平気だし、相手が幸せな時でもあなたはそうなるとは限らない。

 むしろ、自分の利益のために相手に「寄生」しているので、相手が自分の満足を満たしてくれないと分かるや、容易に反撃に転ずる。「かわいさ余って憎さ100倍」というのもここから発動する。

 実は、「本当の意味で好き」なわけではないのがこちらだが、当人はある段階ではなかなか自覚できない。そういうほろ苦い、一定の迷宮をさまようような期間を経て、やっと気付きに至り、①の同一化型にシフトしていけるようになる。

 人生シナリオによっては、一生ここのままの人もいる。



 簡単に言うと、相手も幸せなら私も幸せ、が①.

 相手が幸せでも、あなたの立場や利害の面から好ましくない内容なら喜べないのが、②。つまり新橋でやけ酒を飲んだり、失望するのは明らかに②。

 女の子の立場に立ったら、何とはなしに分かるような話だけに、バッサリ斬りたくはない。だがやはり、その「好き」はどこか不健全なのだ。

「福山さんにはずっと独身でいてほしかった」「ああ、私の雅治があああ!」

 ……それって、どんだけ身勝手やねん。

 


 昔ある程度の人気を誇ったSFアニメ映画 『超時空要塞マクロス 愛・覚えていますか』。劇中、歌手のリン・ミンメイという登場人物の衝撃的なセリフがあった。



●どうして、この世界にいるのがあなたとわたしだけじゃないの?

 あなたと私以外、みんな死んじゃえばいいのに!



 で、彼女はこのセリフの後、主人公の男性に平手打ちを食らう。

 めっちゃ自己中だが、ミンメイの偉いところはこのビンタで目が覚めて反省するところである。

 この言葉は極端だが、心理的構造は結婚を嘆く福山ファンと同じである。



 これを一般に期待するのは酷だろうし、私は達成などできなくてもいいとさえ思っている。でも、愛ということに関して理想的高みを言うと——



●好きな人がいても、その人が幸せでありさえすれば、それで満足という境地。

「そばにいるのは自分でないとイヤだ」がない境地。



 もちろん、自分が好きな人と結ばれるなら、それが一番いいに決まっている。

 それを遠慮などしなくていい。ただ、あなたが最大限努力して、その結果他の誰かに好きな相手のパートナーになられてしまった場合、その相手の「決断」を尊重できるということである。もちろん、100%ピュアに祝福はできないだろう。でも、心の中の評議会が、賛成多数で「祝福を可決する」ことができるのがよい。

 筆者がこの話で真っ先に思いだすのは、「男はつらいよ」の寅さんである。

 毎回マドンナに恋をし、空振りに終わるのだが。時として、本当にマドンナのほうに明らかに「寅さんに好意がある」 のに、寅さんのほうでそれが分かってて逃げるようにしたり、「それはお前さんの勘違いだ」みたいに気のせいだと説得する場面もあった。



 最近主流のスピリチュアルからしたら、寅さんは最悪の見本だろう。

 自己否定。「自分なんか彼女にふさわしくない」と考えてしまうほど自己受容できていない。自分の幸せを追ってしまうことを怖がっている……

「フーテンのオレなんかと一緒になるよりは、他のまっとうなやつと一緒になったほうがいい」

 これは、確かにスピリチュアル的には褒められた言葉ではないが、私は好きだな。この寅さんの優しさが。 

 ちょっと歪んでいるかもしれないけど、相手の幸せを何よりも願っている。そのためには、傍にいるのは自分でなくていい。いや、自分じゃないほうがかえっていい——

 もう少し自分に自信を持ってもいいんじゃない? とは思うが、一方で寅さんらしいとも思う。

 寅さんは男としては少々情けないかもしれないが、一部福山ファンよりは「人を好きなること」に関してわきまえている。



 AKB系列のアイドルなどでも、「恋愛禁止条例」なるものがある。

 これは、アイドルで儲ける会社側が、②の分離・逆転型のファンが多いことを確信犯的に見越して、彼らに夢を長く見させておけるように配慮したものである。

「そんなもの要らないんじゃないか」という意見のメンバーもいるようだが、分かっていない。人としてはその通りだが、お前さんはアイドルであって、契約してその仕事をしている。

 プロはプロの仕事に徹しろ。

 話が逸れたが、AKBや坂道系グループの推しメンに恋愛沙汰が発覚して、逆ギレするようならあなたの「好き」はその程度。本当に彼女を応援してたわけではない、ということ。

 まぁでも、アイドルの好き嫌いに、こういう高度な話を持ち込んでも……ねぇ。(笑)最終、好きにしなさい。



 結論として、皆さん①の愛し方を目指しましょう! ということではない。

 そんなこと言ったって、それぞれの置かれた立場は実に千差万別。理想通りにいくケースばかりではない。

 だから、いくら良い悪いを論じようが、現実的には「とにかく今を一生懸命あなたなりに生きなさい」という話にしかならない。時として、個人の努力の範囲ではどうにもならないこともあるのだ。

 そういう時、「生い立ちや環境のせいにするな」という冷たいスピリチュアルは放っておきなさい。

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