波動と言霊
これが一般的なスピリチュアルの主流平均的な考え方なのだろうが、次のような主旨の文章をどこかのスピリチュアルブログで読んだ。
●もしあなたが悪い言葉(否定語、批判、中傷罵倒)を使うなら、あなたの波動は低くなる。そしてその低い波動に応じた現象(不幸・悪いこと)を引き寄せる。
もしあなたが良い言葉(肯定語、良いところを見つけて褒める、感謝)を使うなら、あなたの波動は高くなる。そしてその高い波動に応じた現象(幸せ、あなたにとって良い出来事)を引き寄せる。
これはスピリチュアルで言われるだけでなく、自己啓発の「成功哲学」の話でも使われる。その場合はお金に好かれる方法、逆にお金に嫌われるのはどうしてか、という話に変化する。
だから一流の人間、本当に豊かなお金持ちは、小さい頃から「絶対に否定的なことを言わない訓練」なるものを受けるそうな。ちょとでも悪い言葉を使いそうになったら、「あっ、いけない!」ってんで、ペナルティとしていくばくかのお金を罰金箱に入れる。金持ちの子はおこずかいを減らしたくなければ、全力で否定的な言葉を使わないように頑張る。
筆者は、失礼ながら本当にお金持ちと言われる人種が本気でそんなことをしているのだったら、実に滑稽だなと思った。
私は、この手に考え方には否定的立場を取る。そんなわけあるか!
ここで曲者となるのが、「言霊」という概念である。
上記の理屈、すなわち良い言葉を使うか悪い言葉を使うかで、その人が人生で受け取るものが違ってくるという話を裏付ける概念となっている。だって、言葉には命が、魂が宿っているのだから。「名は体を表す」というように「言葉はそれを発する者を表す」。だから言霊の働きで、使った言葉に応じた報いを受け取ることになるのだという。
確かに一見もっともらしく聞こえる理屈であるが、本当にそうだろうか? いついかなる時にでも、どこの誰にでも例外なく確実に、適用されるものなのだろうか?
皆さんよくご存知の大御所芸能人に、『ビートたけし』がいる。
彼は多くのTV番組に出たりするだけでなく、週刊誌に自分の定期連載枠を持っており、世相を斬った、時の人や事件を皮肉った記事を書き続けている。
よくよく読んでみると、たいていは「悪口」でありあきらかな「批判」である。時としてお下品な単語も出てくる。言葉にするのが恥ずかしい体のある部位の名称とか、人間の排泄物の名称とか。
内容は彼独特のユーモアが効いているので幾分か毒気が抜かれるというか、笑えるので聞きやすい形はなるが、でも落ち着いて読めばはっきり批判であることは容易に理解できる。
では、ビートたけしは世の出来事や芸能人や政治家をめった斬りに裁いた発言をしたり、汚い言葉を発したりしているが、不幸そうに見えますか? 彼が口汚く批判をするので、彼からお金や立場や人気が逃げていってますか?
全然そんなことはない。
スピリチュアルの理屈が真実なら、それはおかしい。批判をし、中傷とも取れる言葉の数々を言いまくっているのだから、それは低い波動となるはずではないか。
そして、それに応じた報いを受け取ることになるはずではないか?
人の魂の状態及び成長段階には、個人差がある。
もちろん、言葉に気を付けることで事態を良くできる(ように思える)段階というのはあり、そういう人はこの手の教えを受け入れ、よく守るように心がければいい。
でも、ビートたけしは、発した言葉の内容によって、それによって自身が何かの影響を受けるという段階を超えている。卒業している。
言葉に支配される段階ではなく、逆に言葉の主人になり、操る段階。
包丁の使い方がヘタなら、ケガをする。慎重に使うなら、ケガは避けられる。
もしその人がプロの料理人なら、包丁さばきを誤って手を切る、ということはまず考えられない。なぜなら、使いこなす手腕を持っているからだ。
それと同じで、人間はある段階の気付きに至れば、言霊の支配下から逃れる。
(というか、言霊というもの自体が存在しないことに気付くのが高次の・縛られない段階なのであるが)
言葉に振り回される段階が、言い換えれば「言霊を恐れる段階」である。
良いことを起こすために、悪い言葉を無くそうとするのは、まさにその段階。
それによって人生で成功を収めたり、お金持ちになったとしても、それは悟りという観点から見ると「幼い」段階である。
時々、本書内や動画配信の機会に他スピリチュアルの批判を展開することのある私は、「あなたはそんな風に人の批判ばかりしてるから、言霊の働きで波動が低くなって、きっとどんどん悪いことになっていくと思いますよ。人が離れていくと思いますよ」と冷やかされることがある。
まぁ、人が離れていっているというのは否定しない。(笑)
でも、私には何の問題もない。私は、もう自身の発する言葉に影響を受けない。いくら批判的な言葉を発しても、否定語を連発しても。
もう、そういう段階にはいない。私は言葉に対して主管性(完全にコントロールし、逆に言葉にコントロールの主導権を奪われることはない)を獲得しているから。
皆さんは私の心配などしなくていい。それよりも自分の心配をされた方がいいと思いますよ。
言霊という概念は、以上の考察からすべての人に例外なく適用される真理ではない。悪い言葉を発すれば、因果として悪い結果を引き寄せるという考えは「罪悪感」というものに支えられることになる。あるいは、「しまった、こんなことを言ってしまった」という後悔。言霊のせいとかじゃなく、それが正体。
そういう判断基準が、その人の中に恐れを生じさせ、その人の目にそのようなフィルターを通して現実への解釈がなされ「やっぱりあんなことを言ってたから、こんなことになったんだ!」と考えさせられるに至る。
要するに、自分が一番納得しやすい『因果物語』に仕上げてしまいたい誘惑に駆られる。実際は、その人が言ったことの内容があなたに悪さを働くことはあり得ない。あり得るように見えるのは、それはあなたの「悪い言葉を使った」という判断とうしろめたさのせいだ。
筆者はどんな言葉を使おうが、それは魂のオーダーであり、それに従っただけ。
その内容が結果として「何かの批判」に該当する内容になった、というだけ。
だから私の中には一切罪悪感はない。自分が悪い言葉を使ってしまった(反省!)とか、否定語を使うのはいけないことだなんて、ミジンコほども思わない。
いつだって、私は自身の言葉に胸を張っていることができる。そもそも、否定語を使ったら波動が低くなるなんて、誰が決めたんだ?
何千回、何万回の検証実験を経て出た結論なのか? そこまでしてないだろ。
所詮あなたの経験と、そこから考えられる「こうらしい」程度の想像上の法則でしょ?
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