刺激ゲーム
昔、次のようなブラックジョークを聞いた。
【問題】
あなたは、体のある部分に深刻な痛みを感じている。
その痛みを今すぐに忘れることができる方法とは?
【答え】
どこでもいいから、今痛む箇所以外のどこかを刃物で強く切り付ける。
すると、新たにできたその傷の方が痛くなり、意識の注意がそちらに向くので、古いほうの痛みなど忘れる。
この、むちゃくちゃな冗談には続きがありまして。
今度はその新しい痛みを忘れるには? と聞く。すると、また別により痛い傷を作る、と言う。
でも、そんなこと続けていたら死んでしまうではないか、と突っ込みたくなるだろう。そう、それでいいのだ。死んで肉体を失えば、肉体の痛みは感じなくてよくなるではないか!
このブラックジョークのミソは、「結局その場しのぎで、何の解決にもなっていない」というところにある。目の前のことを何とかするために、結果将来的に大きなリスクをしょい込むことになる、ということの象徴である。この自転車操業システムは、必ず破綻が約束されている。
筆者はスピリチュアルという業界に多少なりとも身を置くことで、これと似たようなことが行われていると感じた。
スピリチュアルで本当に大事な理屈など、10本の指で数えるほどしかない。あとは、ただの応用や表現の工夫だけである。
でも、それをストレートに言い続けていたのでは飽きられる。スピリチュアルを商売にする者は、それでお金を稼ぎ続けなければならない。
結果、誘惑として何が待ち受けているかと言えば——
●悪気なく刺激・誇張を生みだす誘惑
いくつかのスピリチュアルを見ていると、「言い過ぎ」「カッコよく言い換えただけ」というのが散見される。同じ表現では飽きられるからか、結局言ってることはそう変わっていないが、より面白い表現・センセーショナルな表現で言ってみただけのものがある。それでも好意的なファンは「おおっ」と驚き、好意的な目で受け止めてくれる。新しいもののようにワクワクしてくれる。
スピリチュアルにつくファンとは、指導者には本当にありがたい、頭の上がらないATM的存在である。
また時として、焦りからか、集客が落ちてきて何とか盛り返さないとというのがあるのか、「ちょっと大げさに」言ってみることもあるようだ。まったくのウソではないが、他ではなくこちらを選んでもらうために「粉飾」することがある。
スピリチュアル指導者のたちの悪いところは、詐欺師とは違い「悪意なく、無邪気に」それができてしまうということだ。顕在意識にそれを上昇させない(自覚したらいい気分なはずないので)という特殊技能が搭載されているので、多分ウソ発見器にかけてもダメ。
これが、主観にすぎない自我が「神秘体験・超越体験」をしてしまった時に起こりやすい事故である。自分が「悟った」「分かった」という、ちょっと大きな気分になる。そこには軽い優越感も混じるが、たいがい「いい人」っぽい人がなりやすいので、それに気付けるのはずいぶん後になる。
今の傷の痛みを忘れるために、次の傷を作る。
今よりさらに人を惹きつけるために、もっと刺激的なことを言う。
もっと状況が悪くなると、陰ってきた人気の起死回生のために、すごいことを言ってみる——。
大衆は、常に新しい刺激を求めている。そして、そういうものに弱い。
それを無意識に分かっている提供側(発信側)は、悪気なく不可抗力で「喜ばせよう」と思ってそういう大衆ニーズに応えた内容を捏造さえしてしまう。
それらがすべて、顕在意識(詐欺師・犯罪者が自覚的にやる領域)ではなく、無意識下でなされる。すべてが無自覚化されるので、100%ピュアに行える。
罪悪感も一切ないので、思い込みとはいえ、ばかにできない「本気」がオーラのようなものになる。で、その人物に接する者は「本物のオーラだ、波動だ」と騒ぐことになる。
そろそろ、やめませんかね。
より強い刺激を求めるの。
発信者もだけど、受け手にも責任がある。
需要と供給なわけだから。需要がないと誰も供給なんかしない。
我々が「欲しがる」のだから、頑張って提供しようとする人間が出てくる。
音楽やその他芸能・文学などは仕方がない世界がある。それらは、より強い刺激、より面白いものを求めることは宿命的であり、本来がそういうものである。でも、悟りや精神世界はそうではない。
もちろん、スピリチュアルと娯楽要素を融合してもいいが、ちゃんと「融合している」ことに自覚的になった上で利用する必要がある。いっしょくたにガチの「真理」 「スピリチュアルメッセージ」 として受け取ると、かなりのズレが生じる。
「言うことが面白い系」「必ず笑いを取ろうとする系」メッセンジャーと付き合う上では、ここ重要。独特のユーモアはスピリチュアル本体とは関係ないことを理解しないと、あらぬ方向に誘導される。
●究極のスピリチュアルな理屈は、どう頑張って料理したとしても、面白おかしく言えるものなどひとつもない。
すべて、我々の希望を覆す、面白くはたとえようのない深刻な話である。
究極のスピリチュアルは、『笑えないスピリチュアル』なのである。
笑ってたかったら、深部に踏み込むな。
浅瀬で水遊びする程度なら、うん、確かに笑える。だが深海……悟りというものの深部は、笑えないゾーンである。冗談では済まされないゾーンである。
お金儲け特化するなら、次々上手に「新製品」を発表していくしかない。
お菓子や音楽と違って、スピリチュアルでそれをやり続けると容易に破綻が来る。
誠実にものを言っていたら、すぐに言うことなどなくなる。
ずるい言い換えを確信犯的にするのができない、四角四面な職人肌なら、すぐ廃業。逆に口から先に生まれてきたような、弁の立つ者なら長続きする。
それを長年続けるとなると、どこかで自分勝手な捏造や誇張も入る。息切れを誤魔化すためには、仕方がない。
筆者は……というと、初めから言いたいことを言っているだけと皆に伝えている。真理ではないし、発表する記事は私の勝手な遊び場だとお断りしてある。
本書は、これからも何ら問題なく続いていく。なぜならもはや「正しいことしか発信してはいけない、という足かせ」から自由だから。
ここほど「本当のことは言ってないかもけれど、自由」なところもないだろう。
皆さんは、「たいがいビミョーだけど、たまにいいこと言う」本書において、めっちゃテキトーに過ごしてくださればいい。他のスピリチュアルでは、少なくとも「真実を、正しいことを」書いてますという話だろうから、気を抜けないだろうから。
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