それはあなたの経験でしょう

 ある、先輩と後輩のお話。

 仕事の帰り、ちょっと飲みに寄った二人。水割りのグラスを傾けながら、後輩が口を開く。

「実は僕、社内で好きな子ができたんです」

 ちょっと驚く先輩。「え、それは誰なんだ?」

「総務課のSさんです」

 Sさんはルックスは決して悪くなく、容姿はむしろ美人と言えなくもないレベルだ。ただとにかく男勝りな性格で、大概の男性社員は口げんかで彼女に勝てない。いや、合気道をやっているらしいので、力でもかなわない男も多いかもしれない。

「ちょ、本気なのか?」

「はい。向こうも同じ気持ちだったようで、付き合うことになりました。応援してくれますか?」

 ぜ、絶対尻に敷かれる! 一応は良かれと思って、先輩はこう言った。

「優男のお前とアイツのペアなんて……気は確かか?」

「大丈夫です。僕らには愛がありますから」

「そうは言うが、愛なんてもんは、壊れやすいガラス細工のようなもんだぞ?」

 そこまで話して、後輩はため息をついて一言。

「……それ、先輩の経験ですか」



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 この世に真理などない。本書ではそう言ってきた。

 でも憎めない現象として、人はその人生で多く経験しそこに主観から見出した「人生観・世界観」を、時として他人に説くことがある。大げさに言えば、そういう時人は誰でも「にわかスピリチュアル指導者」になる。

 言ってる本人は、深い実感や体験から語るので、自分では「真理と同等」に考えている。でも、ここで忘れてはいけないことがある。

 どんなに一人の人間にとって、その到達した境地や結論、真実が素晴らしいものであっても、あくまでもそれはその人物の「主観」の域を出ない。

 何が正しいとか間違いとか以前に、それぞれ個性も成育歴も生きる環境も出会いも違う個々の出す「世界の見方」が完全一致することはない。



 最初の例で、先輩社員の言葉「恋とは壊れやすいガラス細工のようなもの」はもちろん、彼自身の実感である。

 彼は人はいいが服装のセンスがないのと空気を読むのが微妙にヘタなのとで、女性からの人気はいまひとつである。もちろん、それがすべてを決めはしないが、未だ彼女ができないのもまた事実である。

 もし彼が、素敵な恋愛を奇跡的に成就していた人物なら、「俺たちを見ろよ! この奇跡的なペアだって生まれたんだ。お前らほどのキャラの開きがあっても、うまくやれるさ。だって愛とは奇跡、なんだからな!」と応援してもおかしくない。

 先輩が悪気なく、むしろ善意から口にしたのは、宇宙視点での普遍真理でも絶対法則でも何でもなく、ただの「彼自身の体験から彼なりに学んでしまったこと」に過ぎない。



●スピリチュアルな理屈のほとんどは、これであると思われる。

 発信者自身が体験から本人なりに学んだことに過ぎない。それを悪気なく勘違いして、100%真面目に「宇宙の真理」に格上げしてしまった。

「それって、あなたの体験でしょ?」と言ってやろう!



 すべての人に当てはまる普遍真理など、そうそうない。

 先日、あるスピリチュアル畑の住人が、ブログでこういう発言をしていた。



●見た目を気にしない(オシャレに関心がない)人は、老化が早い。


 

 これを読んだ時、私は面白くて吹きそうになった。

 よくもまぁ、断言したもんだ!

「~という傾向がある」という表現ですらなく、断定。

 見た目を気にしない人は、例外なく老化が早いと言っているようなもの。

 えっと、そんなことは普遍真理ではないし、絶対法則としては成立しない。

 なぜか、なんていちいち説明するのは、読者が幼稚園児並の理解力しか持っていないと暗に言うみたいでイヤだからしない。

 もちろん、言いたいことのエッセンスは分かる。

 でも、世の中には色んな人がいるのだ。もう少し、表現というものに配慮していいのではないか。気心の知れた友人知人、身内だけで会話する分には、多少ザックリものを言うことがあっても通用する。その場合の一番大事な意味だけを捉えてくれる。

 でも、ネット上で発信するとか、電波や出版物を通して何か言う時には、一定の責任が生じる。そこに、テキトーさと甘えがあってはトラブルが起こる。

 見た目を気にしない人の中にも、平均よりはるかに若々しさを持ち続ける人だっている。そんなことは、当たり前中の当たり前、である。



 バッサリ断定的にモノを言う言い方が、カッコイイからって簡単に使うな。

(エッ、私? 笑)

 あなたは、あるインスピレーションによって大事なことを悟ったのかもしれないが、そのあなたの悟りが万民共通に必要な真理かどうかは怪しい。あなただけでいいし、もうちょっと範囲を広げてあなたとウマが合う同類たちだけでいい。

 間違っても、すべての人に、あまねく知らされるべき内容ではない。受け入れないと損をする代物でもない。

 キリスト教などは、自らの教義を「福音」と呼び、全人類が聞くべき、従うべき言葉としている。私は元そこに身を置いていた者だが、「そんなことはない」と今なら声を大にして言える。



 宗教界・スピリチュアル界・自己啓発界。

 そこに蔓延する理論理屈、断定的メッセージはそのほとんどが、発信者の体験から来る「ひとつの意見」に過ぎない。

 だから、好きだったら採用し、そうでないなら無視したらいい。

 真理にしてしまうと、「従う人は正しく、従わない人は間違っている」ことになる。そして「従わないといけないのでは」という恐れと義務を生みだすこともある。



 見かけを気にしないタイプの人間は、老化が早いんではないかと恐れる必要はない。まったくそういう真理はないので、「見かけを気にしたかったらしたらいいし、やっぱり気にしたくないなら気にしないで大丈夫」であると言っておこう。

 ただし、沢山の人で創り上げている世界ではあるので、賢くスマートに生きたかったら、やっぱり最低限の身だしなみ(オシャレ、というところまでいかなくても)は、気にしておく方がいいとは言えるだろう。

 それは老化云々のレベルではなく、エチケットや常識的礼儀作法の部類に入る。

 オダギリジョーじゃないなら、無精ひげは剃れ。ズボンは仕方ないが、下着と上着は毎日着替えろ。(セーターなどもまぁ、二日ならゆるそう)

 夏場汗をかく折は、デオドラントスプレーしてこい。

 老化とかではなく、周りとの円滑で快適な人間関係の維持のためにこそ「小ぎれい」ということは大事だ。それは「オシャレ」とは違う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る