小手先のテクニックでは到達できない境地
こんな話を聞いた。
中学校の技術家庭の時間。
木工で、木棚(マガジンラック)を組立てていく授業があった。
ある生徒は、受験科目ではない技術家庭を少々舐めていた。テキトーに過ごして、単位が取れればいいと考えていた。
それは一回の授業で組み立てられるような簡単なものではなく、授業は一か月以上にも及んだ。
もちろん、その生徒の作品はいかにも「やっつけ仕事」的な仕上がりになった。
そりゃそうだ。とにかくやることやって終わらせりゃいいや、っていう気持ちでやったから、見た目にまぁ何とか「棚」と言える代物である、という感じだった。モノは入れられるし、入れたから壊れるわけでもないから、辛うじて木の棚として成立はしていた。
技術家庭の先生は、必要以外は少々無口で、昔軍人でもやってたのかと思うくらいのいかめしい初老のおじいさんだった。先生は生徒の提出した木箱を受けとり、ジロリと眺めてからこう一言。
『聞くが、本当にこれは君のベストかね?』
その言葉は、まっすぐ生徒の心に突き刺さった。
もしその言葉が、相手をとがめるような、いい加減にやったんだろ? と責めるニュアンスがあったとしたら、きっとその生徒は反発していたことだろう。うるせぇ、ジジイ! みたいな反応になっただろう。
しかし、生徒いわく、先生のその言葉は——
●相手を見下す感じはまったくなく、ただ「そうかどうかを聞いただけ」。
ただ、これはベストを尽くした結果なのかそうでないのか、を聞いただけ。
……そのように聞こえたそうだ。
で、その結果として生徒の心に渦巻いた感情は、次のようなものだった。
『いいや、違う。
自分は本当は、こんなものじゃない。
やれる、もっとやれる!』
その生徒は、先生に申し出て、自主的にまた最初から作り始めた。
今度は、気持ちの入り方が違った。
木ねじを使い、ネジの頭を目立たなくしたり。彫刻の要領で浮き彫りの模様を表面に彫ったり。
材料も、木材を厳選しこだわった。仕上げにニスも塗った。そうして、最初とは見違えるような作品が出来上がった。
その経験は、その生徒の中で命を持ち続け、それは将来の仕事の選択にも影響したということだ。
この先生の一言は、深い。
これは、言おうと思って誰もが言えるものではない。
たとえ同じことを言えたとしても、この先生が言ったように言えるかというと、ただ言葉だけの真似で終わることも多いだろう。言葉以上の、目に見えない無形なるものが解釈に重く加味されるからである。
「いい加減にやったな、と責める感じなら反発を食らうから、できるだけさらっと聞く感じを出そう」などと意図したとしても、まずそううまくはいかない。
こういうものには、その時だけの瞬発的な頑張りなどは通用しない。その人が人生で積み上げてきたもの、培ってきたものだけがモノを言うのである。小手先のテクニックや言葉選びなど、さほど重要ではない。
だからこそ、「これは君のベストか?」という、たったそれだけの文章の中に、相手を素直にさせ奮起までさせるものを込めることができた。
ゆえにある大事な瞬間において、意識的に気を付けたり行動したりできる範囲のこと以上に重要なのは——
●その瞬間にはどうにもならない、その人がそこまでで積み上げてきた全体験のトータルである。 また、その内容が導き出す「あなた自身が紡ぎ出したこの世界が何かという解釈の質」である。人生観・世界観とも言う。
その時だけ頭を働かせて口先だけ策を弄するのではなく、あくまでも自然に、サラッと、技術家庭の先生のようなセリフを言える人になりたい。
スポーツと同じで、試合の直前だけ頑張って練習しても仕方がない。日常の積み重ねなのだ。
常に、他者に良い影響を与えることのできる機会、すなわち「本番」が来る日のために、日常から「生きる」ということに常に本気でいたい。生きている実感をリアルに感じながら、今の一瞬を大事にしたい。
さぁ、今日も一日、大事なここ一番の時のために、魂を磨くとしますか。
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