エゴとは何か
心理学・スピリチュアルともに頻出する単語のベスト3に入ると思われる『エゴ』という言葉。
みんな、スピリチュアルな会話でエゴエゴ言いまくっているけど、どの意味で使っている? 辞書的な意味としては——
1 自我 (自意識)
2 利己主義な考え (自分の利益だけを考えること)
3 利己主義な人
一般会話的には、だいたい上記の意味で収まる。
ちょっとスピリチュアルがかった話で使う時は、「自分勝手」という意味より深い、心的機能の話になる。
『自分(と、それに属するもの)を守ろうとする心の防衛機能』
そのように表現することもできる。
この時、補足情報として——
「守る時に優先されるのは自分とその守る何かであり、仮に他人(及び他人の事情)がその優先順位において守るべき対象と比較して下位にランキングした時、その大切は考慮されない」
そんなただし書きを付ける必要がある。
まぁだいたいそんなところでいいと思うのだが、今回は筆者独特の「エゴの定義」というものを表明したい。
まず、エゴとは「自我」ではない。
私にとって、エゴとは「あるものの見方、考え方」に付ける名称である。
言い換えると「視点」と言ってもいい。では、どういうものの見方を「エゴ」と言うのか。
●自分の望むある目的を達成する上で、その実現を阻むものを敵と見なす視点。
単純には、そういうことである。
ちょっと具体例を挙げてみよう。
たとえば、あなたが万引き犯だとして。
あなたの目的は、「バレずに万引きを成功させること」である。
あなたがまさにその行為を行おうとした瞬間、店員が商品棚の通路を歩いて近づいてきた。笑顔で「いらっしゃいませ~」と言い、近くで商品整理を始めた。
店員側の立場で考えてみよう。
店員は、悪気一切なし。ただ、職務に忠実なだけで、まさか万引き犯を捕まえてやろうと思って近付いてきたわけでは全くない。目の前の万引き犯のことは、この時点では普通のお客様だと思っている。良かれと思って、歓迎の意味も込めて「いらっしゃいませ」と意識を向けたのだ。
しかし、注意を向けられた万引き犯にとっては、「ちっ」となる。
●店員は悪気なく職務を果たしているだけなのに、万引きという目的を達成する必要のある犯人には、憎悪の対象となる。
「なんでこのタイミングで来るんだよ!」と毒づくことになる。
恨まれた側にしたら、まったく理解できない、迷惑な話である。
今度は、私の体験から言ってみよう。
今はスマホが当たり前なので、ラブレターなるものはほぼ世から消えた。
私の中高生時代には、まだそんなものはなかったので、正面切っての告白ができない場合、ラブレターを書いた。高校時代、ある女子をどうしても好きになり、どちらかというと内向的で自分に自信がなかった私は、彼女を呼び出して直接伝えるなどむりだった。
ある日、放課後誰もいなくなった教室で、ひそかに彼女の机の中に手紙を入れておこうと計画した。
昔のドラマなどでよくある、下駄箱にラブレターを入れておくという手もあったが、うちの学校の下駄箱は私立のきれいな設備ではなく、公立のおんぼろだった。創立以来、一度もメンテしたことないだろ、ってなボロさだった。扉もなく安っぽい、サビた下駄箱に入れるのはどう考えてもロマンチックじゃない。
一晩かけ、睡眠時間を削って書かれた名文は、次の日いよいよ出番を待った。授業を受けている間は生きた心地がせず、身に入らなかった。
そして……ドキドキの放課後。皆部活やなにやらで散って、教室に誰もいなくなった夕方5時半ころ、入れようとした。
もちろん、最後は日直が教室に鍵をかけ職員室に返すのだが、私は首尾よく自分がその当番の時に決行した。日直は男女ペアで女子の相棒もいたが、「自分が日誌も含めてやっとく」 と言ったら喜んで帰っていった。
鍵を返すのが多少遅くなっても、(6時7時になるとさすがに怪しまれるが) 大して追及されないアバウトさがあったので、5時半なら問題なかった。
いよいよ、あの子の机に手紙を……と思った瞬間、最悪の事態になった。
「よぉ! まだ残ってたんや。こんな時間まで何やってんの、お前?」
本当に、心臓の鼓動が跳ね上がった。よく休み時間にしゃべる間柄の男子生徒だった。
部活を終えて帰ろうと思ったら、外から見て教室のドアが開いてから、誰が残っているのか気になり覗いたのだという。この時ばかりは、その友達の野次馬根性を呪った。
教室の明りはつけない、程度の配慮はしていたが、うっかりドアは開いていた。
今から手紙を入れたら、絶対に何なのか聞き咎められるー。
私はその日はあきらめ、適当にお茶を濁して鍵を返し、そいつと一緒に下校した。
道中、にこやかに会話しながらも、私のはらわたは煮えくり返っていた。
「こいつのせいで! こいつのせいで!」
重大なことをやり遂げられず、それが先延ばしになった精神状態ほど不安定なものはない。次の日までメシの味も分からず、授業も意味が入ってこずやっとこ、次の日の朝に実行できた。
最初放課後にしたのは、朝が苦手だったからなんだが——でも、一次作戦が失敗したので、頑張ってでも朝早く起きた。
朝は、日直より早く来た者がいたら、そいつが教室のカギを開けてもいいことになっていたから。
おかげで、登校して手紙に気付いたその女子と、リアクションがあるまで同じ空間で授業を受けるその緊張感と言ったら!
……思い出話を長々と、失礼。
あの時は、友人に殺意すら覚えたね。「コイツ、こんな時に!」 って。
でも、相手からしたら私がラブレターを入れようとその時のために画策した努力など、露程も知らない。相手に、悪気は一切ない。
でも、こちらが一方的に、相手を「自分の計画を台無しにした悪いやつ」と捉える。そのギャップこそが「エゴの視点」の特徴なのだ。
●その人物だけが作り上げる、その人にしか通用しない評価基準。
私が、個人的動機から教室に来た友人を憎んでも、その憎さは世界に私一人だけがもっている。世の中の、他のすべての人は、彼にそんな評価をしない。
本来の相手の評価・価値とは全然関係のないところで、相手の評価をする。
万引き犯には、職務をまっとうしているだけの店員が「ウザイ存在」になる。
ラブレター作戦を抱えていた私には、友人が「迷惑極まりなかった」。本人は、私のそんな事情を知らないだけなのに。気さくで、どちらかと言えば人気者の彼は、その計画さえなければいいやつなのだ、普段なら。
犯罪を行うとしている者には、警官は悪魔のように見えるだろう。向こうでは、何かあなたを個人的に悪いやつと決めつけて探してくるわけでもないだろうに。単にメシ食うために職務を遂行しているだけなのに……
筆者は、エゴという言葉を次の意味だけでつかう。
●自分独自の何かの目的のために、相手が邪魔な場合。
その相手の実際の評価や事情とは関係のないところで、不当に「敵視」すること。
それ以外で使うと、ややこしい。
難しいことは考えなくていいと思う。実害があり、実生活にも関わってくるのはこの部分だけだから。
売れようと必死だが、でも芽が出ない芸人志望の人物がいたら、同期でチャンスをつかみ売れていくやつを見て、一方的に憎悪するかもしれない。オレよりアイツのほうが面白いと思えないのに、なぜアイツなんだ……とか。
でも、当の相手はこの人を見下げてもいないし、何とも思っちゃいない。ただその人なりに頑張っているだけ。悪いことは何もしてない。
だから、胸に手を当てて考えてみたらいい。
時折、自分に問うてみたらいい。
●自分だけが独り相撲で憎んでいる、嫌っている相手はいないか?
自分の事情が先に立って、相手本来の価値を見誤っているやつはいないだろうか?
自分の都合だけで評価して、不当に悪く考えている出来事はないか?
他の皆は何とも思ってないのに、自分ひとりだけが勝手に悪いと思っていることは何かないか?
エゴとは、外部に自分の都合上の評価を押しつけ、あたかもそれが「それ本来の価値であり本質」であるかのようにすりかえて考えしまう病気である。
人は自分の目的を邪魔されると(邪魔されて困るのは、悪い目的あるいは恥ずかしい目的である場合が多い)相手本来の評価や事情に関係なく、憎悪が湧く。時には殺意すら発生する。
このメカニズムを知っていれば、多少の武器にはなる。
しかし、なったことのある人なら分かると思うが、一度このエゴモードになったら抜け出すのは大変。大変抗いがたい、アリ地獄のような罠だからである。
しかし、その罠があなたの人生を損なうレベルだったら、命を懸けてでも踏みとどまれ。健闘を、祈っている。
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