傷だらけのローラ

 国民的人気アニメ「ちびまる子ちゃん」で、次のような一場面があった。

 学校で、図画工作の時間に自由に絵を描く時間があった。

 で、ある男の子が描いている絵の前で、先生の足が止まった。

「……それは、何を描いているのですか?」

 画用紙の中には、何とか女の子だろうと分かる絵の中に、赤色の絵の具が散っている。何だか痛々しい絵だ。  

「あのね、ローラさんがね、傷だらけなの。だからね、これは傷だらけのローラなんだ」



 西城秀樹のヒット曲に、『傷だらけのローラ』というのがあった。

 きっと、その小学生の男の子は西城秀樹を良くは知らなくても、その単語を世間のどこかで聞きかじった。未成熟な(言い方を変えれば純真な)子どもは、その子なりに捉えた素直な出し方で何でも表現する。おそらくこの子は、「傷だらけのローラ」の歌に込められた恋の事情、その狂おしいまでの絶唱歌であるということとか、その辺の大人の事情は分かっていない。

 子どもなりに、言葉を文字通りに素直に捉えた結果が、傷をいっぱい体につくった外人の女の子の絵になった。



 世間でもよく言われることだが、「(心は) 子どもがいい。大人になると、何か大切なものを失う」とかいう考え方がある。子どもは世の何物にも染まっておらず、素直である。大人になるにつれて、色々な世の事情・生きるための術を学んでいき、すれていく……みたいな。

 スピリチュアルでもたまに、「赤ちゃんは悟っている(状態に近い)」という話がされたりする。筆者は、この考え方がきらいだ。



●大人になると、何かを失う?

 バカな。あなたは何も失うことはない。

 時間が進めば劣っていくって、退歩するって、あなたはどんな生き物なのか?

 そんな人生なら、やめちまえ。



 非常に迷惑な、有名アニメ作品「となりのトトロ」。

 子どもの時にだけ、しかも一般常識に染まらない、純真な者にだけ見える、森の妖精のお話。

 その寓話を通じて大人たちに,、「子ども時代を思い出して、当時の夢のある心を思い出して! 失った何かに気付いて!」 とメッセージしているようでもあるが、まったく大きなお世話である。

 この世界は、ちゃんとその時のその人に合うように作られている。

 子ども時代には子ども時代の、それを過ごすに適切な状態をくれる。

 大人になれば、その時代を生きるのに必要な感覚と学びと知識、理解力や忍耐力、場を読む判断力をくれる。(もちろん、個々のシナリオによって個人差はある)

 結局、赤ちゃん・子ども・大人・老人の間に差はない。

 視点を固定すれば、当然その基準から「差は創造される」。ゆえに子どもの方が素直だとか、大人になると何でも一度「学習した行動基準フィルター」を通してしか言動を選ばないので、素直じゃないとかいう話が出る。

 筆者は、子どものほうが自分より優れているとか考えていない。

 逆に、大人が子どもより優れているとも考えていない。

 どちらも、その時に応じた最善を生きるために「今現在ただそういう状態であるだけ」なのだ。



 じゃあ、純粋だから子どもに政治を任せますか?

 間違いばかり犯し、何千年も世界を治めるのに失敗ばかりの大人は社会の一線から退き、子どもの素直さに賭けますか? バカな。



●子どもに世界を任せたら、世界は滅びる。



 この世界は、どういう仕様になっていると思います?

 失敗や過ちを犯す可能性はあるけど、「ある程度大人でないと治められない」ように出来ている。だから、時間の経過とともに多くを学び、色んな情報を手に入れた大人になることは必須なのである。子どもでは、やっていけないのである。

 大人は大人でいい。無理に子どもを引き合いに出して、いかに大人がすれっからしてしまっているかを議論するなど、時間の無駄であり愚の骨頂。

 子どもは、子ども時代だからこそいいのだ。



●「子どもの心を持った大人」なんて、社会の迷惑である。



 ちなみに、例外がある。

 子どもが大きくなったような大人が、世間でやっていける場合がある。



①超お金持ちで、純粋培養で育ち外界を知らなくても生活が支えられる者。


②芸能人や芸術家など、特殊なセンスさえあればあとは対人能力はさほどうるさく言われない人種。


③覚醒者。



 上記のケース以外で子どもっぽいのは、やめてくれと思う。

 ②などは、一度その道で頂点に立つと、皆が人格面のことで多少は「割り引いて」受け取ってくれるので(むしろ好意的にすら解釈する)、やっていける。

 偏屈な芸術家や音楽家でも、作品さえ素晴らしければ後世にいい意味で名が残せる。ただし、よき理解者(協力者)を見つけられるかどうかもある。

 ③。覚醒者と分類される人は世に一定数いると思うが、普通一般に埋もれて生きる分には、注意が必要である。

 下手なことを言えば、「ちょっとおかしい」と思われる。適切に伝える話術がなければお口にチャック、がよろしい。

 なぜなら、子どもにも似た、スッキリした(し過ぎた?)境地に到達した者が口にすることは、この世界でうまく生きなければいけないその事情に適合しないことを言うので、一般会話ではそれが首を出さないように要注意である。でないと不必要に普通に生きる人の神経を逆なでし、けむたがられる。

 覚醒者の語るのは「この世を超えた事情」なので、この世界で意味するところの幸せをつかもうとする人の役に立たない。

 人の役に立つ「成功哲学」を語るなら、それは覚醒者とは言わない。

 時に、言うことが面白く受け取られてブログやYouTubeが当たったり、沢山の人が興味を示して「有名人もどき」になる覚醒者もいる。それは、弁舌力も文才もないおかげで世には出ない一般人覚醒者よりラッキーで幸せかというと、それはちょっとビミョーだ。

 それには、それなりの苦がちゃんと待ち受けている。

 


●この世界では、一瞬だけを切り取れば偏りがあるように観察されるが、ある程度のスパン(まとまった幅の時間)で見ると、結局はプラマイゼロになるように調整されている。



 だから、子どもと大人どっちがいい、ということは究極にはない。

 有名人と一般人、どっちがいいということもない。

 金持ちと貧乏、どっちがいいということもない。

 そのどれにも、その位置でしか知り得ない幸せがあり、逆にその立場独特の苦悩がある。

 今私はハッピーハッピーなのよ! という有名人や指導者に騙されるな。

 彼(彼女)らは、対外的に良いことしか言わないだけである。24時間、毎日生きていれば色んなことがあるはずのに、よそ行きのその人しか見せていないだけ! そういうのについて行って「私もそうなるぞ!」って、どれだけマヌケなんかと言いたい。

 苦は、死ぬまでの絶対のパートナーである。不幸もまた、しかり。

 視点や解釈を変えることで回避できる不幸など、不幸の内に入らない。

 もうハッピーしかない、不幸はないと言い張るスピリチュアルや自己啓発を、私はこれからも糾弾し続ける。



 赤ちゃんは悟ってるというが、赤ちゃんでは何もできない。

 その精神状態で、この二元性世界の人々の組織を運営などできない。

 悔しいが、海千山千の政治家のほうが、まだマシとは言える。

 我々は善良な市民の立場から、よく政治家を糾弾する。でも、やはり彼らの方がちゃんと事情を分かって、できる限りの対処をしてる場合も少なからずある。

 だから、一部の愚か者が考えるように「この世のトップや総理大臣や大統領を、覚者やスピリチュアル界のトップがやれば世界は平和になるのではないか?」 という単純すぎる妄想は、超がつく的外れ。

 そんなことをした日には、世界は未曽有の混乱に陥る。

 なぜかって? スピリチュアル人口が少ないからさ。

 あなたみたいな人はまだまれで、圧倒的多数の人はスピリチュアルなぞに人生の重きを置いてない。だからそのスピリチュアル住人が考える理想の師の価値を、普通人はまず理解すまい。

 スピリチュアルブームとか、非二元ブームとか言われているが、こんな流行ただの興味本位。それに群がるほとんどの人は、非二元と自分の人生を分けて考えている。

 要はオフの時に面白がる「ヒマつぶし」である。あなたはいない、この世界は幻想であると聞いて「へー」「ふーん」 で終わり。相変わらず、その人は週五日働き、オフには別の面白いことを探してまた仕事に出る。なんら、世界は変わらない。

 ついていく民衆側がそのレベルだ。しかも筋金入りの覚者の考えることなんて、基本的な政治経済の仕組みと逆行している。覚者を世界のトップに据えて、うまくいくはずがない。



 この世界が一度、天変地異や大災害でぶっ壊れてリセットされ、いちからすべてを作っていくという状況でなら、それもいいかもしれない。

 しかし、既存のものを壊さずに、積み上がった積み木の上にさらに積み上げる要領で覚者やスピリチュアル指導者をすげるなら、崩れる。

 海千山千の取り巻き(側近)に世の知恵で潰されるか、本人がいつか我慢がならなくなってやめるかという結末になる。イエス・キリストの場合は殺害されたが。

 悟りの観点とは、この世の組織運営や帝王学には屁ほどの役にも立たない。したがって、世を治めるのに最も不向きなのが覚者であり、精神ステージが下手に高い人物なのである。

 マザー・テレサが仮に生きていたとして、世界のトップになってもうまくいかなかっただろう。実際にイエス・キリストは自分が王として祭り上げられそうになって、逃げた。それは「高尚な精神状態では、政治に興味など持てない」という上品な理由ではなく——



●マジでオレ向かないから。

 オレがやったらダメなの分かってるから、最初からやらない。

 


 イエスは、ちゃんとわきまえていたのだ。自分がすべて素直に行動したなら、個々の歯車が噛み合って動くこの世の組織システムに合わず、かえって壊すことを。

 お話の結論として、『子ども・赤ちゃん・覚者などに比べ、一般人が自分たちには何かが欠けている、不十分であるという発想は卒業しろ』ということである。

 トトロが見えない? ふん。大人はな、その代わりお前らガキが見えてない部分が見えてんだよ!

 精神的赤ちゃんに政治はムリ。子どもに政治はムリ。

 大人のあなたに、子どものような夢や希望が欠けているとか思いなさんな。

 トータルとしての大人としてのあなたの中に、ちゃんと生まれてからこの方のすべてのあなたが詰まっているのである。安心しなさい、すべては損なわれずちゃんと今もあるから。

 子ども時代に比べて大人のあなたが何かを失った、何かが減ったなどそっちこそ大いなる幻想。



「傷だらけのローラ」が、傷だらけで血が出ている女の子?

 素直でよろしいかもしれませんが、微笑ましいもしれませんが、ただそれだけです。そんな素直で直接的過ぎる視点では、この世界と向き合っていけない。それこそ、親の保護がないと生き延びさえできない。

 そんなものを、大人になったあなたが無理に思いだそうとしなくていい。あなたは、自然なあなたでいい。

 あなたはいつだって赤ちゃんであり、子どもであり、大人であり、老人である。

 つまり、その時々であなたはそのあなたでしかいられない、ということである。



 今回は、赤ちゃんや子どもがある面大人より優れている、というものの考え方の風潮に警鐘を鳴らしたかったので書いた。その考え方こそ偏りなので、少々壊したかったのである。

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