純粋に善も悪もない
【純粋】
①まじりけのないこと。雑多なものがまじっていないこと。また、そのさま。
②邪念や私欲のないこと。気持ちに打算や掛け引きのないこと。また、そのさま。
(大辞林 第三版)
純粋という言葉を辞書で引いてみると、上記のようになる。
しかし、②は削除していい。
これは、人間の勝手な希望の裏返しというか、そうあってくれないと困るという思いが作らせた言葉の意味である。純粋とは、①だけの意味でいい。
●ただ、混じりけがないこと。
その条件さえ満たしていればよく、極論を言えば『純粋な邪念』『純粋な私欲』『純粋な駆け引き』というものが成立する。
純粋=善・愛と置き換えられると考える人が多い。
そこは、まったく関係がない。
愛という基準は、言葉こそ格好がいいがその人(広義には人類全体)にとって利益になること、気持ちがよくなることを指して言うに過ぎず、人類がオバカにも胸を張って叫ぶほど高尚なものでもない。我々の言う善や愛など、「純粋」とは程遠い。
人類のため、が地球にダメージを与えることがある。都市開発を仕事とする男とその家庭の経済的平和を維持するために、環境破壊を進めているかもしれない。
純粋、というのは限定的な認識の範囲でしか起きないことに注意。
たとえばここに、愛する女性が難病に侵されている男がいるとする。臓器のドナーが見つからないと、その女性はもうもたない。
ついにある日、女性の容態が急変。その日の夜が峠であろうと医師は宣告する。
その時、奇跡的に一人、ドナーが見つかる。ただ、諸々の手続きを通して正式に輸送すると、早くてもその臓器の到着は三日後になるという。それでは間に合わない。
男性は、正規の手続きで臓器を輸送していたら遅くなるので、車をブッ飛ばす。(映画みたいだが)滑り込みで間に合い、急ぎの移植手術で女性は生きながらえる。
手術チームも奇跡的な連携と自分たちの実力を出し切れ成果を挙げたことに満ち足りた満足感を覚え、何より愛する人を守れた男の幸せというか、その心の様はきっと「純粋」と呼ぶにふさわしいだろう。
しかし、この純愛ハッピーエンド話に水を差すことを言おう。
これは、男も助かった女性も関わった医療チームも知らないことであるが——
ドナー提供を受ける登録者で、この女性の次で順番だった人物が、この人物が助かった二日後に死んだ。ドナー提供者が現れるのを病状の悪化が待てなかったということである。
もしも、正式な手続きにのっとれば、先の女性は亡くなり、二番目の女性が助かっていたのだ。男性がムリした活躍をせず、彼女が素直に死んでいれば二番目の女性が生きていた流れもあるのである。
つまり、次の登録者の犠牲を踏み台にして、先の女性は生きた。そのことを知らない男は、「純粋に」良いことをした満足感だけを感じる。その純粋な幸福感の継続は、裏の事実を知らないことで保持されていく。
もちろん、一番目の女性が助かっていたほうがよかったのか、二番目が助かっていたほうがよかったのか、そんなことは誰にも評価できない。できないが、一方の幸せを満たせば他方にしわ寄せがくるのは確かだ。
だから筆者は、『この世界で幸せとは、他者の犠牲の上に成り立っている』と言うのだ。だから、魂の旅が高度に進んだ者(覚者)は、幸せこそが大事というメッセージを発しない。(ただし、生きるために世間に忖度をしない前提だが)外に何の犠牲も出さない、内なる静けさ(平安、いわば悟り)こそが至上だと認識しているのだ。
ゆえに、悟りと幸せになる方法・あるいは引き寄せなどをセットで説くような人物はニセモノの可能性が高いのである。
この世界に、「純粋」はない。
あるが、それは「どこで認識の範囲を区切るか」によって生じる。
知らない情報が残されていることでしか、純粋とは認識されない。
先に挙げた例で言えば、愛する女性を臓器を運んで助け幸せになった男性は、その代償として次のドナー待ちの人が死んだことを知らないからこそ、純粋に喜べるのである。もし知ったら、その情報が心に刻まれることでどんな化学変化が起きるだろうか?
すべての情報、あらゆる角度からの情報を認識した最終バージョンの気持ちこそが「純粋」だと言えるが、それは普通の「幸せ」とはかけ離れた状態のはずである。
それが喜びなどあればウソである。あなたは、宇宙のすべての情報を知れば、きっと絶望する。知らぬが仏、とは本当のことなのだ。この宇宙においては。
純粋な愛・善など誰も発見できない。断言できない。
必死の救助活動で救った命が、後に銃を乱射して大量殺人犯になったら?
助けた救助員は、ある瞬間は純粋に喜べるだろう。誇れるだろう。しかし後にニュースを耳にして以降、自分のしたことは正しかったのか? と苦悩する。
船が難破し、救助ボートの定員が限られた中、その時は助かりたい一心なので、必死さの中で他人を押しのけてまで助かった人がいるとする。
助かって落ち着きを取り戻すと、自分のしたことがとんでもなく悪いことに思えて、その人物はその後「人を犠牲にしてまで生き延びた」という十字架を背負い、罪悪感を持ったまま死んでいく。
しかし、その人物は知らなかった。もし死なせた相手が生き延びていれば、それは世にも天才的な詐欺師で、多くの人の人生を狂わせ、破産に絶望させ死に追いやったであろうことを。
私たちは、その時々の知っている範囲の情報だけで、善とか悪とか簡単に口にする。愛とか、愛でないとか、簡単に口にする。
その場限りの、他の重要情報を知らないだけのクソつまらない判断に過ぎないのに! もしかしたら、あなたが憎悪し、けなしているものが実は長い目で見たら「良い」ということだってあるかもしれないのだ。例えば、本書とか。(笑)
だから、純粋とかそうでないとか。愛や善でないものを純粋と呼ぶのはヘンだとか。そんなこともない。例えば次の言葉。
●君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる
これも、一種の「純粋」である。
悪には、「黒」とか「汚い」というイメージが押しつけられているので、悪に純粋という要素を結びつけるのに違和感があるかもしれない。
でも、その時その瞬間の総合的判断しか出せない人間には、本当のところを捉えきれない。話し手が「僕は悪にでもなる」と宣言してるが、それはその人物が、自分がしようとしていることを社会常識面や法律のたてつけから見て「悪」と名付けているだけで、究極的に「悪」なのかどうかは、分からないのである。
ピュアであるということは確かだが、善か悪かは誰にも分からない。分からないが、私たちはそれでもその今ここの判断を信じて生きる以外ない。
手探り状態が強制されるこの宇宙人生ゲームに、あなたは放り込まれ、現に存在している。
さぁ、覚悟を決められよ。
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