人類のもつ深い病
あるチャネラーが、現宇宙で一番トップであろう存在、我々で言う「神」に近い存在にコンタクトし、こう聞いたそうだ。「あなた自身には原因(最初)はあるのか。あなたはどうやって生まれた(?)のか」
この二元性世界に生きる私たちは、なんでも「原因・結果」で考えてしまう。だからこの世界を創造した神がいたとして、その神にも「原因」があると考える。
神は何から生まれた? というわけだ。さて、聞かれた神は困った様子でこう答えたそうだ。
●あのなぁ。
本当に申し訳ないけどなぁ、お前が望んでいるような答えはやれんよ。
オレ自身も、気付いたらもう存在してたのさ。
お前たち人類が、生まれたら赤ちゃんで、物心ついた時にやっと自分というものが存在する、と理解できるようにな。だから、オレがどこから来たのか、何者かに創造されたのかということは皆目分からんのよ。
なぁ、人間よ。
そんなに大事か? 宇宙の最初とか。自分の原因とか。
そういうのが、ないといけないのか?
どうしてそんなにこだわるのか、我々には不思議だ。
その問題は、放っておくことはできんのか?
今の神(超高次元的存在)の言葉は、我々に大事なことを示唆している。
我々人間という種は、病的なほどに「原因」にこだわる。
もちろん、原因を正しく捉えることで解決できる問題というのはあるので、そういう意味では人類が原因探しを習い性にしているのは仕方がない。
でも、日常生活レベルを超えて、生命やこの宇宙というレベルで、それらの原因・根源は何か、と考えてしまう。人類のロマンなのだ、と言われてしまえばそれまでだが、ロマンにしては人間を苦しめすぎているような気がする。その哲学的命題のせいで、何人が不幸になったかを考えると、ね。
いまだに、そのことを考え過ぎるあまり苦悩している者もいる。
もう、やめない?
さっきの超高次元存在が言うようにさ、我々や宇宙の最初を追求するの。
ないんだよ。
百歩譲ってあっても、我々人間の認識の範囲を超えているんだよ。
それに病的に、無理に向き合わなくても、他にすることいくらでもあるやん。
そっちほうが、実生活では大事だったりするやん。
だから、筆者からも次のようにお願いする。
●もう、いくら分かるとカッコよさそうだからといって、宇宙の目的や神のさらに原因、なんてバカなこと悩むのよそう?
やるべき、またやりたいと分かっている範囲のことにこそ、命と思いを使おう? はっきり好きだと分かっているもの、愛していると分かっているものを大事にしよう?
何、愛はなぜあるか、だって? 思考がまたそっちにいくのかい! コラ。
愛は、愛そのものが存在するために存在している。それじゃあかん?
※参考文献:『ひきつりながら読む精神世界』 無明庵EO著
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