一本の鰹節
『鴨川つばめ』というギャグ漫画家がいた。
かなり昔の話で、今現在50代以降の世代が何とか知っているくらいの人である。
彼の代表作が、『マカロニほうれん荘』である。人によるだろうが、その作品を知る人で「日本ギャクマンガの最高峰」とたたえる人も少なくない。
筆者自身も、それはかなりの部分で支持する。直近のギャグ漫画家で何とか面白いと思えたのがうすた京介だが(それだってもうそれほど新しいとは言えないが)、私の中でまだ鴨川つばめを超える人物はでてきていない。
鴨川つばめはいったん売れ出してマンガがヒットしたのはいいものの、人気作ゆえに続きを描き続けていく事のプレッシャーに心身とも疲れ果て、何度も出版社側に「連載をやめたい」と訴え続けるが、聞き入れてもらえない。
結果、作者がわざと作品を雑に書くなどの非常手段に出たため、出版サイドもしぶしぶながら認め、連載終了となる。
私は「マカロニほうれん荘」という漫画と、その続編に当たる「マカロニ2」を読んだが、やはり初期・中期の圧倒的な面白さが、後期・最終話近くではなりを潜め、笑えなくなってくる。ギャグマンガというより、作者の内的世界を表したような、哲学的内容も散見される。
さすがにそれではまずいと思ったのか、何とか普通に笑える路線に戻そうとの努力の跡が見られるが、結局失速。その後も漫画自体は書き続けているが、実質ヒットしたものとしては2年間という短命な活躍であった。
メディアへの露出を嫌っていた人物だが、「消えた漫画家」という企画のインタビューに応じている。そこで彼は、自分が二年間という時間の中で描けなくなっていったことを次のように表現した。
●ギャグ漫画家の才能は、神様が一生の中で、たった1本だけくれた鰹節のようなものだと思う。
裏を返せば、使い続け削り続ければ、いつかはなくなるということを意味してもいる。でもこれは、アイデアが湧かないこと、創作ができないことへの言い訳ではない。全力でやったからこそ、力を尽くしきったからこそ言えることなのだ。
冷たいスピリチュアル世界の住人のように、「そう思うからそうなるんだ」(意識が現実化する)というひどいことを私は言わない。鴨川つばめは、本当に持っているすべてを人のために使い果たし、潰れていった。そして消えていった。
ゆえに決して負けではなく、壁を超えられなかったという評価は不当である。
筆者は今日も本書を更新し続け、動画配信も含めスピリチュアル情報を発信し続けている。でも、事情は鴨川つばめと同じではない。
私の場合は、誰も「書け」とお尻を叩かない。たといえ書かない日があっても、誰からも何も文句を言われない。
でも、それでも毎日書いているのは、「書きたいから」である。書きたい気持ちがあっても、書くことがないならどうしようもない。
(あと、書く暇があるかの問題もある。忙しい方なら、書くことがあっても毎日更新は難しいだろう。それだけ筆者にヒマがあるということでもあろう)
私はかつて「書くことがないなんて、真剣に生きてない。何からでも、どこからでも気付きは毎瞬あるはずで、ネタがないなんて甘えだ」というふうに思っていた時期もあった。
でも、私が本書で再三再四言ってきたように、「すべての物事には二面性がある。あることが言えたら、そのまた真逆も成り立つ」ことを忘れてはならない。
だから今回言いたいのは、私も毎日書けるのはある視点では私の意欲や創意工夫かもしれないが、究極には「恩寵、贈り物 (ギフト)」である側面もある、ということが言いたいのだ。
たとえは少しよくないが、トイレで大をするようなものである。
大の本体自体が、私がインスピレーションを受けて日々書く内容である。そしてウ~ンと「きばる」行為が、私という人間が実際に文字にしてブログで発表する、ということに当たる。
当たり前の話であるが——
●ないのにきばっても、何もでない。
便意がないのに、トイレの便座に座ってウンウン頑張っても、何も出ない。
これは、出したい時にコントロールして出す、というわけにはいかない。便意は不意に襲うし、願わないタイミングで来ることも多い。
電車の中でそれが来て、目的の駅までまだまだある時など、地獄だ。遅刻をしてでも途中下車してやるべきか、我慢して押し切るかの選択が辛い。
筆者は、発信するネタがいまだ尽きないと偉そうなことを言っても、結局「便が来るからきばれる」にすぎない。ないものはきばれず、そうなればいくら私でも何も書けない。自我(エゴ)で無理に何か書いたとしても、それは相当に「出がらしのお茶」のようにいただけないものになるだろうと思う。
だから、私はそういう切り口において謙虚になれる。鴨川つばめではないが、先のことがまったく分からない身としては、いつまでこの調子で発信し続けられるか分からない。いつの日か、鰹節が全部削れることもあるのかもしれない。
でも、それを今心配したってしょうがない。明日、きばろうとしても実弾が降りて来ない、ということを恐れても仕方がない。
明日は分からないが、今日は書けた。そうして、本のページをめくるように、一日一日を受け入れ、追って行く。
それでいいじゃないか、と思っている。
●出し尽くす時が来たのなら、それは敗北の日ではない。
そうなるまで、惜しみなくやったという勲章なのである。
何も恥じることはない。かえってほめたたえられるべきである。
そういう時こそ、何で続き書いてくれないの? ではなく本当にありがとうね! お疲れ様、なのである。
鴨川つばめさん、笑いと夢をありがとう。
私も書ける限りは頑張るよ。
賢者テラ、という鰹節をいつの日にか使い切るまでは。
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