少しも寒くないわ

『アナと雪の女王』という、ディズニー映画の大ヒット作がある。

 1作目がヒットしたのはもうずいぶん前で、2が上映されたことも記憶に新しい。我が家では娘がアナ雪が大好きで、一作目のブルーレイビデオをもう何十回再生したことか! 筆者は一回見たらもういい。それでも何度も見るのは、単に娘のお付き合いである。当然本気では見ておらず子守の要素が強いが、それでもやはり20回以上は見ているように思う。

 おかげで、事細かに場面やセリフが思いだせる。で、いつも思うことがある。



●こんなにツッコミどころ満載の内容が、世界的大ヒットなんだよな!



 皆さん、ファンタジーを求めるにもほどがある、という人気ぶり。

 登場人物同士の人間関係上のやりとりや政治的判断、お話の展開——

 無理があるものばっかり。まったく現実的でない。

 そんなふうにはせんやろ! 思わずそう叫びたくなる。

 冷静な現実的な視点からすると、このアナ雪のストーリー展開は成立しない。でも、これは現実問題として世界中で圧倒的に愛され、受け入れられているのだ。



 もちろん、人々の心をとらえるメッセージ性があるからこそ、好かれ愛されている。その価値は、間違いなくある。

 だからこそ、アラというか、細かいツッコミどころは問われなくなる。フォーカスした「好き」な一点のゆえに、他のアラは問われなくなる。それこそが、何かを好きになることの効果である。

 逆に言うと、何かが「気に入らない・キライ」ということは、その細かいアラの部分もしっかり見えている状態だということもできる。これを、ちょっと嫌われる表現で言ってみると——



●何かが好きであることは、かなり盲目状態。

 好き=その好きな一点以外は、どうでも大して気にならない。ゆるせる。

 かえって、嫌いと思う方が、実は冷静に見ていることもある。



 天地がひっくりかえることを言うが、好きという判断より嫌いという感覚の方が、物事を的確に捉えている場合が多いのだ。この世では、当然好きというほうがキライというより良いもののように言われる。もちろんそれで間違いはないのだが、結果どちらが事象をより的確に捉えられるかと言えば、キライだと感じる方である。



 何かを好きな方からしたら、それを嫌いと思う人に対して「それは偏見だ」と思うだろう。しかし、それは逆なのである。

「好き」ということのほうが、「嫌い」以上の偏見なのである。

 そのことに、気付いていますか? 「好き」こそが、もっともこの二元性世界の事象をゆがませて見せているのである。良い悪いは関係なく、ね。

 好き、という感情は世界最大の偏見である。

 何かを疑わしく思う、イヤな感じがする。そっちのほうが、実は当たっていることもある。こちらのほうが、確率的には偏見でないことも多い。

 もうひとつ、好き嫌いということを別の表現にすると——



●細かい部分がどうでもよくなるのが、「好き」。

 細かい部分をどうでもよくないとするのが、「嫌い」。



 だから、「好き」は人の人生を、この世界を動かしていく原動力としては貴重であるが、一歩使い方を誤ると大変なことになるのは分かるだろうか。

 この「好き」を人々が使い誤った歴史的な例としては、「イエス・キリストの十字架処刑」がある。最初、あれだけ民衆から圧倒的に好かれたイエスが、最後はあざけりとののしりの中で殺されていった。

 人によっては、「あれは権力者がエゴでやったことで、権力のない一般の人間は見ているしかしょうがなかったのだ」と、あくまでも権力者のせいにしたがる人もいる。しかし、考えてもみたらいい。いくらその権力者が叫んだって、周りが何もしなければ何も起こらないではないか。

 皆が合意しなければ何も起こらないのだ。皆さんはその当たり前なことを忘れて、「法律で決まっているから」「生活できなくなるから」とか言う。それがどれだけ腑抜けた言い訳か、分かりますか?

 やっぱり、権力者のせいだけでなく、皆のせいなのだ。あの十字架は。

「好き」が歪んでいたから、最後は殺すほどまでの逆転に転じた。



●歪んでいる「好き」よりも、冷静な「嫌い」のほうが、世の中を救う。

 そっちの方が、物事を良くする場合もある。



 嫌いだということは、その対象の良いところ以上に「問題点や改善点がクローズアップされて見える」ということでもあり、こちらのほうが的を射た話であることも多い。

 まだまだこの世では、「好き」であることのほうがその対象の真価を見ており、好きになれない、あるいは嫌だと見る方が「その対象の真価を分かっていない」と考える。

 いや、歪んでいるのは多分「好き」なほうだ。



 で、今日のお話のオチとして。

 何も、好きという感情よりも、キライのほうがちゃんとモノを見ているよ!

 だから皆さん、何かを好きになる前にまずキライになりましょう!

 ……なわけないやろ!

 何のかの言っても、好きというエネルギーはこの世を救うし、幸せにもする。それは間違いない。ただ、その特性は知っておいた方がいいよ、ってこと。「好き」の使用上の注意は、説明書読んで知っておいた方がいいよ、ということ。

 皆さんには、これからもどんどん「好き」を増やしていってほしいし、エンジョイしてほしい。でも、好きというエネルギーは諸刃の剣で、正の方にも負の方にも、両方に振れる可能性を併せ持っているということを忘れてはいけない。時として、大間違いや暴走を生むことがあるのが、この「好き」なのだ。



 現実人間ドラマとして見ると「全然ダメ」なアナ雪。でも、人の心を軽くする重要メッセージのゆえに、すべてのアラが帳消しになっている。皆、良いところしか見えなくなっている。

 もちろん、これはこれでいい。皆幸せだし、実害はない。

 ただ、実害の出てくるケースもある。その時に、今日のような話「好き、ということの盲目性」を知っておくと役に立つ。

 時に、「好き」は「きらい」よりも怖いことがあるのだ。



 おさらいするが、好きになることはその対象がボヤけて見えるイリュージョンにかかることである。魔法にかかると言ってもいいかな。細かいところがどうでもよくなる状態である。

 嫌いだ、あるいは好きなるところまでいかないのは、全体が均等に見えているからこその可能性もある。冷静だからこそ、手放しで好きにならない。

 好きな側からすると、「嫌いだと言う人」 のほうが偏見を持っていると思いやすいが、あなたのほうが「好き」という名の偏見を持っているかもよ? という発想ができたら、あなたの心はかなり柔軟だ、ということである。

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