悪人正機

 親鸞聖人の唱えた『悪人正機』という思想をご存知だろうか。

 小学校の頃、日本史の授業で初めて習ったのだが、筆者は最初「悪人正気」と間違って覚えていた。だってだって、悪人が正気にかえる(真人間に戻る)ことなんでしょ? 当時、間違いに気付いた私はそう文句を言ったものだ。



 仏教をちゃんと勉強しようとしているわけではない一般人には、「いくら悪人であっても、そもそも人間は善の心があるのだから、信じて接してあげれば必ず改心のチャンスはある!」というふうに、この思想の意味を想像してしまう。

 昔筆者も勉強不足で誤解していたが、決してこの「悪人正機説」は「性善説」ではない。むしろその逆で、「性悪説」と言っても過言ではない。

 人は皆、生まれながらに「悪人」である、というのが基本的な考え方である。この場合の悪人とは、我々が良く使う「善人・悪人」という単純な分類のそれではない。どんなささいな悪をも見逃さない、善の体現者である御仏みほとけの眼から見ればすべての人は悪人以外の何者でもない、というのが浄土真宗の考え方らしい。

 ここは、キリスト教と親和性がある。あれも「人間は生まれながらにして原罪(罪の根源)を持った罪人つみびとである」という前提があり、どんなに善人でも絶対なる神の目から見れば誰も根源的な罪からは逃れられていない、としている。

 だから、自力ではなく神・あるいは御仏の愛と慈悲によるしか救われる道はない、ということになる。それが、宗教というもののメインテーマである。



 ここが難しいところなのだが……

 ここ(仏教)で善人とは、決していい意味で言われていない。

 善人という言葉を使う世界では、「善を行うことによって報われる、自分が救われる」と考えていることになるらしい(これを自力作善、と言う)。だから、自発的な善は、すべての衆生(生きとし生ける者すべて)を救う阿弥陀仏の救済とは無関係であり、そういったものが直接その人物を救う、というからくりにはならない。

 厳しい基準だが、自我が意図して行う一切のことに救いを左右する力は本来なく、すべて御仏の慈悲と導きによるとされる。その恵みによって初めて悪人の中で「気付き」が起こる。

 面白い話、この悪人正機の理屈でいく限り、善人とはダメな在り方なのだ。良いことを行うことで自身が救われる(いいことがある)、と思っているのだから。少なくとも仏教的にはそれは誤りなのだ。

 筆者が本書で主張してきた「すべて個々の人生シナリオは決まっている」というのと通じるところがある。我々の自我の意図や心がけなど、幻想なのだ。何もできない、自身の力では救われないと分かるからこそ、その自覚(認識)こそが救いの糸口になるのである。

 

 

 ただし、この考え方にも欠点があって——

 じゃあ、自分が悪人であり御仏の慈悲にすがらねばと思えるまでは、悪いことをしていいんだよな? という屁理屈も生まれる。また自力で成す善に意味がないなら、「なんじゃ、何もならないんなら、善行なんてや~めた!」という話にもなってしまう。

 だから、そういうくだらないツッコミをする人には、まだ向かないのだ。

 いやらしい表現で言うと、ここで紹介する「自力の善行・悪行に意味はなし」というのは、精神的にかなり高い境地の人向けの教科書に載る内容なのだ。無差別に皆が知ってしまっては、よいことにならない。

 本来こういうのは、北斗神拳並みに信頼できる少数者だけに相伝していけばいいもの。豚に真珠というのはこのことである。



 とまぁ、難しい「悪人正機」の話はここまで。

 以後は、一般人が考えやすい「悪人正機」の話をしたい。

 例えば、ある人が目の前の悪人に対して、「この人だって、救われる可能性があるんだ。どんな悪人だって、こちらが信じてあきらめなければ、真心は通じる!」と、信念をもって接したらどうなるだろうか。

 結論から言うと、「通じるかもしれないし、通じないかもしれない」。

 相手が涙を流して改心する可能性は無くはない。在り得る。

 でも、それ以上に可能性の高いのが……「バカか? お前」と刺されて殺されるとか。そこまでいかなくても「はぁ? お前キモイ」とあきれられてボッコボコにされたり、余計ひどい目に遭わされたり。

 どんな時でも100%信じれば絶対うまういく! 信じてまったく疑わなければ必ず相手に通じる! ということはあり得ない。



 皆さんは、自転車に乗れるだろう。

 たとえばここに『自転車に乗れない人』がいるとして、どうやったら乗れるようになれる? 「私は乗れるんだ!」と疑わず固く信じればのれるようになるのか? その揺るがない気持ちを一定時間死守すれば、乗れるという現実を引き寄せるだろうか?

 あれ、いくら「自転車に乗れる!」と念じたところで、意識したところで、その瞬間にその意図や意識が現実化して乗れるようにはならない。

 じゃあ、そう念じてかなりの時間が経てば、それが実現するというわけか? 引き寄せなら、そういう「時間性」を説明に使うと思うが、もうちょっと当たり前に考えようよ。自転車に乗れるようになるために、唯一絶対に必要なものは——

 本当に当たり前だけど、練習。

 繰り返し練習することで、その中にある「共通項」「法則性」が見え隠れしてくるようになる。それを頭脳と肉体感覚の両方ではっきりつかめた瞬間、それ以降は苦も無く乗れるようになる。

 


●つまりは、繰り返しの中でつかんだ、ある感覚



 これこそが、あなたをして自転車に乗れるということを可能にさせた。

「自転車に乗ろう、あるいは乗りたい」というのはきっかけにすぎない。

 つまり願望というのは、それ自体は物語の始まりに過ぎず、その願望を抱く意識自体は具体的に何も生み出していない。生みだしたのは行動であり、学んだのは意識ではなく体である。



 これを応用すると、あなたが「どんな悪人でも話せば分かる」と信じて相手に関わっても、その思いが正しいから天が味方するとか、そんな甘い考えは持たないほうがいい。

 自転車の習熟と同じ。

 あなたが、そういう試みを初めてやったとか、まだ2・3人目とかなら失敗を覚悟したほうがいい。なぜなら、「感覚」をつかんでいないからである。ビギナーズラックということもあるから、「最初だけど、うまくいったぜ?」なんて調子に乗らない方がいい。

 しかし、10人20人、100人と接している内に、何となく「こう」という、説明のつかないセオリーというか、パターンが出来上がる。だからこの世界はやっぱり「数」や「経験」がものを言う場面もあるのだ。

 スピリチュアルは時々、そういう「実績」「経験」「力の差」「才能」「経済力・資質などの前提条件」などを嫌う。そういうものに縛られて「どうせダメだ」と思うのがいけないんだと。思い込みなんだと。でもやっぱり——



●そういうものって、やっぱり重要だよな。 

 ってか、思いっきり結果に影響するよな。



 奇跡が起こるとか。これがないとムリ・あれがないとダメ、という決めつけをしない(そう決めるからその思考が現実化する)いう考え方は、今現実ばかりを見て希望を失っている人ややる気のでない人に「元気を出させ、やる気を起こさせる」という点では有効である。

 しかし、それは元気を出してもらうための「方便」であって、本当のところではない。この物理宇宙因果世界では、やっぱり現実問題としてどうか、が思いっきり影響する。



 してみると、「引き寄せがうまくいくようになった」とかいう言い方をする人に関しては、「筆者が先ほど言った、自転車に乗れるようになった時に得たであろう感覚」に近いものを、願望実現という道において体に染み込ませた人、だと言えるかもしれない。

 だから、反復・練習という下積み期間なくして、何事も成せないということである。楽して極められるものはなく、近道もない。

 以上のことから、意識がすべてではない。先ほどの自転車の例でも分かるだろう。乗れない人がいくら意識上100%「私は今、この瞬間、自転車に乗れる!」と信じ切ったって、乗れないものは乗れんのだ。早くて数十分、遅い人は1~2時間転びながら、やっと乗れるようになる。



 悪人を立ち直らせる、という話に限らず、何事も「信じればできる!」というのは危険だ。

 犠牲を払う覚悟があるなら何に挑んだっていい。でも、勝算がないなら、ただ信じるだけの力を過信しないほうがいい。ましてや、自分のやろうとしていることは正しいから、宇宙の真理が守ってくれるとか神の加護があるとか、そういうものをどこかで頼って「見切り発車」しないでほしい。信じてる人には申し訳ないが、そんなムシのいいもんはない。

 ただ、プラシーボ効果的なものはある。

 後ろで親が自転車を支えてくれていると信じてこいでいて、何だか変だな……と思って後ろを振り向いたら誰も支えておらず、自分の力で走っていた、ということがあるだろう。そういう面では、神の加護や背後霊や高次元のサポートなど、信じる価値はあるだろう。

 結果オーライでいいなら、いるかどうかも分からない、会ったこともない神や高次元の霊的マスターへの信仰もよい。



●結局、何かを成功させる要因は『飽きずたゆまず繰り返すこと』。

 その繰り返しの果てに、自分の中に何かが残る。

 その残った何かこそが、武器になる。



 武器を持たざる者は、この情け容赦ない物理世界で負ける。

 忍耐や継続的努力、才能などよりも意識(思いの世界)こそがすべて、と言い過ぎる者は、実は弱虫で臆病なのである。本当にこの世界で生きぬく覚悟があるなら、経験や努力といった積み重ね、反復や下積みなどの具体的アプローチの大事さを、「奇跡を起こす」「意識がすべて」というような言葉で薄めないでほしい。

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