スピリチュアルの市民権

 筆者の家は、狭い。

 なので、時々家にあるモノたちを『断捨離』をしてやらないと、モノが溢れて家がえらいことに……典型な「片付けられない人」の部屋のようになる。

 趣味も仕事も、「文章」というものが多分に絡んでくる私は職業柄、読書量も多い。近頃は「電子書籍」というものも増えたが、やはり紙の本で買う割合がまだ多い。古い人間と言われようが、そのほうが読書している実感が湧くからだ。

 先日、読んでしまって残しておこうと思うほど価値はない古本を、まとめてブックオフのような大型古本店に持っていき、売り払った。結果、家族の夕食代一回分くらいにはなった。



 ただ、そこで身につまされる体験があった。

 私が大量に売ろうとした本の中には、スピリチュアル関連の本も数冊あった。

 最後に、どの本がいくらになった、という説明を査定した店員さんから受けるのだが、こう言われた。



●ウチは、スピリチュアル(精神世界)系の本の買い取りはお断りしています



 そう言われて、お金にならなかった。

 これが、自己啓発系ならまだ売れるんだろう。かつて同じ店でそれはOKだったように思う。でも、確か買い取り額が一冊10円だったけど。(涙)

 中には三千円近いものもあったり、帯やカバー完備で保存状態は良好。それでも、スピリチュアル本は売れなかった。もちろん、たまたまここがそうなだけで、他では結構買ってもらえるのかもしれない。でも、今回の体験で、少なくとも一般市民にはこういう認識があるのだということを思い知らされた。



●普通の人(メジャーな大多数)は読まないもの。

 ちょっと、アブないもの。



 でないと、断るはずがないのである。

 言論の自由というのはあるとはいえ、人々が何を好んで読むかはどうしようもない。店側も商売である。売れてなんぼ。そりゃ、慎重にもなる。

 その結果、スピリチュアルというジャンルは、本の世界全体としてはまだまだ「マイナー」であり「キワモノ」視されている部分があるのだろう。

 決して、「人が生きる上で必要」という評価はそこにはない。それどころか「ちょっと変わった(ヤバい)世界」くらいに思われているのだろう。



 もちろん、スピリチュアルも時代と共に装いがカジュアルになっている部分もある。オカルトチックな雰囲気も減り、発信者も見た目なんらフツーの人と変わりない人が増え、今まで以上に一般の層に受け入れだされているものも増えた。

 でもやはり、「そうはいってもまだまだ」感が私にはある。

 宮部みゆきの本など、数冊で1600円になったというのに! 私は、改めて思った。スピリチュアルって、この世ゲームの「今という途中経過点」においては、まだまだ「そう必要でないもの」なんだなぁ、と。

 しかし、スピリチュアルの住人側の言い分は、また違うのだろうと思う。



●「みんな、(何が本当に大事か)分かっていない」



 スピリチュアルでなく宗教などだったら、この傾向はさらに顕著だ。

 要は、目に見えない世界の方が、この見える世界に対し主体であり、重きを置くべきものなのだ。そういうものに目覚めた人にとっては。

 この世界のほとんどの人は、目に見えるもの(現実)の方に比重を置いて生きている。でもそれは、本質ではないよ! 現象と格闘しても、限界があるよ! それよりも、それらを生む大元なっている「意識」にアプローチするほうがいいんだよ!

 筆者も、曲がりなりにも「スピリチュアル」に身を置いている立場に分類されるので、この言い分は分かる。その通りな部分もある。

 でも私は、「みんな分かってないんだ」という気持ちは持ちたくない。

 スピリチュアルが肩身が狭いのは、こちらが間違っているとかおかしいというのではなく、むしろこちら側が本質であり、大勢の人がまだまだ目に見える世界に「意識を奪われている」からだ——。そんな風にスピリチュアル側は考える。

 その意識の在り方は、一歩間違えると「優越感」になる。

 世の中に数が少ない、マイナーだというのは、ポジティブな見方に変えると「本当のことに気付いている、世界でまだ数少ない勇者」である。そう言ってみると、何だかカッコいい気もしてくるから不思議だ。



 私はかつてある新興宗教をやっていたが、「誤解されて迫害があること」「人々の理解がなく、とんでもないところだと思われていること」が、マイナスどころか活動の原動力になっている部分があった。教えが 「真理だ」と思ったら、私たちだけがこの真理の価値を見出せていて、人々はまだまだその価値に目覚めず反対している、と考えることができる。

「悪魔も、必死だな!」 なんてね。

(真理を攻撃するのは、都合の悪い悪魔が必死の反撃をしているのだと考えた)

 特撮ヒーローものでも、正義は一人か、数人。(数は少ない)でも、敵対する悪の組織は、なんぼでも怪人を捻出できる。大勢、というイメージがある。



 筆者は、「スピリチュアル側の住人である自分は本質に目覚めていて、スピリチュアルを知らない人は分かってない」という思いは、持たない。ってか、ぜってー持ちたくない。

 今までの宗教遍歴、スピリチュアル遍歴の中で、もうお腹いっぱいになっちゃった。「自分は選ばれし者! 人より早くこの真理の価値を認めれた者」という英雄気取りはね。

 だからずいぶん、イタい行動もしてきた。そんな私だからこそ、今になって思う。



●みんなみんな、それぞれの手持ちのカードの中で、最善を尽くして生きてんだ。

 それを認め見守ることのほうが、大事じゃねぇか。



 もちろん、時としては他人にアドバイスしたり、間違ったことをしていると思えば止めるだろう。そうにしても、大局的な部分で「自分を含む人類全体」をもっと信頼しよう、って話。

 筆者は、古本に出したら買取を断られそうな「スピリチュアル本」を世に出した。

 それをどう思われても、どういう扱いを受けてもいいんだ。それで言いたいことが思いっきり言えるのだから。自費出版ではなく、ちゃんと商業ベースで 本を出してもらえるなんて、そうそう大勢が経験できることではないし。

 私は、自分の立ち位置が「スピリチュアル」であるという部分にさして思い入れはない。言いたいことを言う結果、その話のジャンルがたまたま「スピリチュアルだった」というだけの話。

 だから、誇りを持っている方には申し訳ないがスピリチュアル・イズ・ナンバーワン! なんて思わない。



 スピリチュアルが広く認められる世界になればいいな、というよりは「すべての物事のあるがままの価値が認められ、フラットになり、より自由な選択をしやすい世界になればなぁ」と思う。

 スピリチュアルだとかフツーの話だとか、そういう分類をいちいち気にしないでいい世界に。

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