天の理屈と地の事情

 筆者が覚醒者になる前にはよく理解でき、なった後理解できなくなったものがある。それは、『高次元の存在からのメッセージ』である。

 もちろん、私が電柱や家の柱に頭をぶつけて、文章の読解ができなくなったということではない。日本語の意味はちゃんと分かる。文意も理解できる。

 ただ、それを「真理」として世に拡散するのはどうか、と疑問に思うわけである。

 論より証拠、実際にある高次元とやらからの次のようなメッセージがある。

 原文そのままではなく、筆者なりに多少言葉を変えるが、内容はちゃんと同じことを表現している。



●皆さんこんにちは。こうしてお会いできてうれしいです。

 まずは、このことをお知らせしたい。

『必要なものは必要な時に、必要なだけ入ります』。

 これは、真理です。

 これが腑に落ちれば、人生何の心配も要りませんね。(笑)



 あなたはこの言葉を、借金地獄で今から首を吊ろうとしている人に向かって言い放つことができるだろうか。説得する自信があるだろうか。

 筆者は、「覚醒した」と自称する者のはしくれとして、この世界ではすべて起こることが起こり、個の視点からは理不尽でも幻想世界全体をひとつの有機体として見た場合、すべてが調和をもって運行している、と捉えている。もちろんこの場合の上位概念としての「調和」とは、言葉そのものの良いの響きとは裏腹に、泥臭く個の立場を必死に生きる我々には、かなり実情に合わない腹の立つ内容である。



 たとえば、あなたはトイレでウ●コをするだろう。

 排泄されたそれは、あとはトイレで水に流され、下水のどこかへ消えていく。

 ご主人であるあなたから、見放される。

 あなたは、自分の体のためにある意味役立ってくれたそれを無残に捨てることを 「恩知らずな恥ずべき行為だ」として、手元にウ●コを残しますか? コレクションして、日々感謝を伝えますか? 切った爪も垢も、自分の一部として役立ってくれたのに冷たく捨てるなんて! と言って大事にしますか? 

 この世界では、日々頑張って防ごうとはしているがどうしても事故や事件、災害や紛争というものがどこかで起こり、それに巻き込まれて命が亡くなったり傷付いたりしている。

 我々が人間的情で 「可哀想」「理不尽」と思える犠牲(これだって人間の解釈に過ぎない)は、これに構造が似ている。感情的に受け入れがたい話だとは思うが、これが自然界(物理宇宙界)のことわりである。楯突いても、どうにもならない。

 だから、この世界で何が起こっても、それはそうなることが必要で、最善で起こっている。ということは、解釈をちょいとひねれば、先ほどの高次元の言葉になる。

 必要な時に必要だと思うものがない、生きづらい世界だ、という解釈は確かに「個の都合」。でも天の立場としては、そりゃ「すべては調和をもって動いている」から、あなたがそう思わないだけで真実においてはちゃんと「必要なものは必要な時に必要なだけ入る」んですよ、という言い分になる。



 間違ってはいけないが、「必要なものは必要な時に、必要なだけ入る」というのは、あなたの人生上の都合における『必要』とは関係ないことは分かりますね? ここが押さえられないと、以下の話についていけません。

 だから、言葉そのままの意味ではない。たとえあなたが「不足じゃ!」と思っても、起こることが起こっているので、実はあなたの自我(エゴ)が認めたくないだけで、真実は「足りていて、何の不足もない」わけだ。要は、その視点(境地)に目が開かれればいいわけだ。

 もし、この言葉が本当に 正味あなたの自我が願う何かが(意識で願い、与えられることを疑わず引き寄せ的な意味で)ちゃんと与えられ満たされる、という風に理解している人がいたら、そりゃ見当違いだ。



 必要なものは必要な時に、必要なだけ入ります——。

 これは、根源論である。『天』の理屈である。

 でも、我々が身を置いているのは『地』である。そもそもの立場が違う。

 マリー・アントワネット様は、住む世界が違っていらっしゃる。

 我々のような、日々の生活に困るプロレタリアートとは違って、何の心配も苦労もないブルジョワジーでいらっしゃる。ごもっともだが、この世界でリアルに生きる私たちには役に立たない。

「必要なものが必要な時に入ってくる」 とは、一時的に安心するためのごまかし程度の効果しかない言葉だ。やっぱり、追い詰められる事態になるまで何も入ってこない、ということは起こるのだ、その人が怠けたりしていなくても。手は打っていても、最悪が起こることもある。

 そういう状態の人に、必要なものは必要なだけ入ってきます、などとは可哀想で言えない。たとえそれが、天の真実であったとしても。

「これは真理です」と高次元は言っている。確かに天の理屈ではあろう。その意味では間違ってないが、我々のこの地の世界では流儀が違う。

 働かないと、オカネは入ってこない。いくら心配のない平安な境地を意識に築こうとも! 真面目に働いていても、会社は倒産する。不慮の事故に遭い、働けなくなることもある。



 こうも書いてある。

『……これが腑に落ちれば、人生何の心配も要りませんね。(笑)』 

「笑」 ですよ、皆さん!

 このスピリチュアル界の住人は、よほど世の苦労から遠ざかった、素敵な楽園の住人なんでしょうね!

 筆者は、確かに内なるどこかでは「すべては起こるべくして起こり、究極の視点では何の過不足もない」 とは感じている世界がある。でも肉体を持っているし、軸足はこちらの「地の世界」にある。やっぱり、毎月のお家賃のことや食費、税金のことも考えたりする。ちょっぴりは世で言う「心配」というやつもする。

 一体、何が悪い。それが、生きるってことだ。

 ジェットコースターは、最初から乗っても死なない、ということが分かっている。

(事故的例外はここでは考えないこととする)

 ただスリルを味わうだけだと頭で分かっていても、その乗ってる最中はやはり怖いではないか。スリルがあるではないか!

 だから、この物理宇宙遊園地に来ておいて「心配ない」とは何事か。スピリチュアル知識でそれが幻想だと分かっていても、目の前の現実や脅威は怖い。なぜそこに正直にならない?

 自分を誤魔化し続けているスピリチュアル実践者に教えてあげよう。



●心配は、なくならない。



 たとえ数か月、いや数週間程度でもいい。その間一瞬たりとも「心配をしなかった」と自信をもって言える人がいたら、教えてくれ。

 表彰して差し上げる。ま、嘘つきか思い込みでしか言えないと思うけれど!

 高次元の言葉は、さらにこう続ける。

 


●将来のことを考えて……なんて言って貯めたりする必要はないのです。

 貯めたりすることは 反対に流れを悪くしてしまいますので、必要なときに手に入らなくなってしまうことも起きてきます。

 循環を止めてしまうからです。



 これ、保険屋さんと銀行員に言ってやって。

 このスピリチュアル受け入れている人で、何人の人が本当に貯金してないだろう。自分の家はやっていて、お遊びの信心でこの内容を「ふむふむ」とやっている人が多いのではないだろうか。

「貯めこまないで使ったほうがいい。喜びをもって使ったお金の分は、必ずまた入ってくる」というスピメッセージを信じてお金を使いきり、特にがっぽり入ってくる気配もなくその後やり繰りに困っている人も少なからずいると思う。

 こういうスピリチュアル業界では、効果のなかった人にスポットライトは当たらない。隠蔽無視。一部の、うまくいった例ばかりクローズアップし「なんとすごい!」という風潮にもっていく。

 貯めるも使うも、人生の主人公である本人の勝手だ。高次元にとやかく言われるものではない。ましてや「貯めるのは宇宙の法則からして望ましくない」などとは大きなお世話だ。



 そして、物事には順序というものがあるということを高次元さんはお分かりではない。一足飛びにこの話はないでしょ?

 まずは、「貯金」というものを是として生きなければならない人、つまり貯金という概念のお蔭で仕事ができている人、生活ができている人のことを考えるべきだ。

 この教えを、今現に貯金で食っている人にぶつけて改善を要求するのは酷だ。強制ではないと言うだろうが、でも内容は明らかにこういうことを暗に促している。

「間違っていますよね? あなたのような仕事は、貯金を促したり将来の不安につけこんで保険に誘う仕事は早くなくなったほうがいいのです!」

 では、続いての高次元の内容。実際の文は少々長いので、要点を。


 

●いいお天気、晴れの日ばかりを望むということは 循環を止めたいと思っているのと同じですね。

 雨も、風も、嵐もすべて必要だから起きているのです。   

 あなたはつい、必要なもの=あなたにとって気持ちがいいもの、と考えてしまいます。それは すべてあなたの価値観で判断するからです。

 太陽輝く気持ちの良いお天気が あなたにとって必要なものだと思っているので、雨が降ったり嵐が来たりすると、文句が出るのです。 

 不平不満を言っているのは あなたのマインドです。マインドは 大きな視点で物事を見ることができません。雨が降っている。出かけられない。寒い。濡れる。濯物が……そういう、小さな視点だけで判断しようとします。

 小さな利益、合理性 などの観点でしか判断できないのです。 

 必要以上に欲しがるのは マインドの癖です。だって、必要なものが必要なときに手に入るのですから、多く欲しがる必要はありませんね (笑)。

 それを信じ切れないから、多くを欲しがるのです。



 これも、天界の理屈である。

 人々はどうも、「この地上がバカで分からんちんで愚かだから、天の教えをちゃんと聞かないとまともになれない」と信じているようなので、だからこういう現状に合わない理屈でも頑張って聞いてしまう。

 確かに、台風も雨も風も、あなたに悪さをしようなんてこれっぽっちも考えていない。でも、大事なことを忘れている。私たちは、地に生きる人間であることを。

 高次元はちっぽけなマインドと言ってバカにするが、それこそが人の人たるゆえん。その矮小な個の視点をこそ、味わいに来たのに。



 あなたが今日、待ちに待ってた歌手のコンサートに行くことになっていたとする。

 朝から台風が来ていて、交通機関もマヒ。車も通行止め。

 なかなか取れないレアチケット。本当に楽しみにしていたのに……

 でもそこで、あなたがブッダよろしく「いや、すべては循環する。残念に思うのは私のマインドのクセ。必要なものは必要な時に手に入ります。南無阿弥陀仏」と、超仏顔で落ち着き払っていたら?

 人間味ねぇ~! そこまでの境地なんだったら、この世ゲームやる意味あるの?

 筆者の個人的な趣味として、私ならこういう時に「悔しい~~! 台風のバカ!」 と、その人と一緒に叫んであげられるスピリチュアリストでいたい。これもこれで宇宙の見地からは足りてるんですよ、とは何と実践的でないスピリチュルであろう!

 台風だって、きっと気を悪くしたりしない。いいじゃないか、その矮小な責任転嫁で多少なりとも人の気が済むなら。発散になるのなら。

「感謝できない私が間違っているんだ。これも感謝!」と頑張っていると、ストレスをため込むことになる。だから、こういう理屈を何の苦もなく自然に実践できる人だけがやればいいのであって、皆が目指すべき基準ではない。



 この高次元のメッセージによると、生命保険に入るのはマインドの心配に過ぎないんだそうだ。子どもの将来の学費を考えて学資保険に入るのは「大きな視点で全体を見ず、心配を動機として多くを欲しがること」 に相当するようだ。

 そんなことしなくても、入ってくるんだと。

 ……保証できんのか。一億円賭けるか?

 薬品とか健康食品だったら、広告通りの効果がなかったりしたら訴えられる。言っている通りかそうでないか、分かりやすいからだ。しかし、この精神世界というのは実にやっかいだ。

「そう信じてうまくいかなかった」と言っても、証明できないからだ。

「どこかで、疑ったでしょ」「100%私の言う通りの意識で生きた、という絶対の自信がありますか?証明できますか?」と言われれば終わりだ。

 皮肉だが、このスピリチュアルという世界では、他の業界に比べて逃げ道が広い。よほど「死人を生き返らせます」「~万円以上儲かるようになります」などと具体的な提示をしてしまえば別だが、「心配しなければ、貯めこまなければ困らない。必要なものは入ってくる」程度のあいまいさだったら、まず安全だ。「絶対心配しなかった」という証明が不可能だからだ。



 長々と述べたが、まとめに入ってみよう。

 高次元のメッセージも「ひとつのものの見方」にすぎない、ということ。決して、地上向けの真理などではないこと。

 一部の「その教えが心地よい人間・都合の良い人間」の耳に心地よいだろうが、別世界に生きる人々もいるということを忘れるべきではない。ましてや、その人たちを「分かってない残念な人々」だというのは失礼だ。

 貯金を沢山していても、保険にいっぱい加入していても、幸せで物事が循環している人もいる。一方で貯めこまず循環させてても、相変わらず慢性的な不足にあえぐ人もいる。

 私の知人にも、保険の営業マンがいる。個人的には応援しているが、もしこの高次元の言う通りなら、いっそ車の自賠責も自動車の任意保険も無くすか?

 だって、心配いらないそうだし。必要は入ってくるそうだから。



 私は、風で大事な書類が飛んだら、風のせいではないだろうが 「風のバカヤロ~!」と叫びたい。蜂に刺されたら、向こうは生きるための本能だろうが「蜂のやつめ~」と思うかもしれない。

 バイト先の同僚が無断欠勤して、「悪いが、今すぐ埋め合わせでシフト入ってくれ!」という電話がかかってきたら? 同僚はまさか、あなたに働かせてやろうなんて意図はないにしても、ちょっとそいつをうらみませんか?「あいつめ~こんなタイミングで!」ってなもんで。

 個人的に、そういう矮小な分離視点って、悪くないと思う。

 そりゃ使い方を誤れば苦しいし、不幸になる可能性が高まることは認める。でもさ、それを使いこなしてなんぼのゲームじゃないの? この世界って。

 個の視点を大事にしつつ、それでもなお幸せに生きよう、ってのが本分。決して、何の問題もない完全な視座に立ち、まったく問題のない平安な人生を送ることが目的ではない。ってか、そうしようとしてもほとんどの人は無駄だけど。

 宇宙はすべての経験をコレクションしたがっているので、本当に完全になってこの世界からお消えになる高尚な魂もあるんでしょうけど。多くの人には関係ない。

 


 大事な日に雨なら、「なんだよ雨か。ケッ」と思う。心のどこかでは雨に悪意はないと分かってはいる。でも思わず雨を呪いたくなるのが人情ってもの。

 それが人間なんだなぁ。この視座で生きているんだなぁと自分を認めてあげたい。決して「大きな視座から見れていないぞ!」っていう叱咤ではなく。

 その時々で、素直に思いたいことを思い、したいようにしたらいい。これが正しい、こうすべきという理屈は参考程度にするのはいいが、自分を曲げてまで従わせようとするのはどうかな?

 私なら、小さなマインド視点だろうが何だろうが、自分の気持ちに正直に物事を見る。何かのせいにもするだろう。お金も貯めるし、保険も解約する気はない。

 そして、そういう一般の人が大好きだ。決して「こいつらアセンションしねぇ」なんて思わない。

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