結果ありきの記事
ネットサーフィンをしていたら、こんなタイトルの記事に遭遇したことがある。
●忙しくても、欠かさない!
世界のトップリーダーが大切にする『たった一つの習慣』
なかなか、読者の好奇心をくすぐるお題である。かなりの人気記事らしく、当時フェイスブックに14万いいねが付いていた。ちょっと昔の記事なのだが、現在でも上記タイトルで検索を書けたら記事がヒットするので読むことが可能だ。
今回、筆者はあえてこの記事を批判してみる。
この記事が好きな人、それを腐されたらイヤな人は今日は帰ってください。
反対意見もまた考え方のバリエーションのひとつと考え、どれどれと寛大な気持ちで受け止められる「大人な」人だけ、以下を読み進めてください。
この記事の結論をネタバレすると、答えは『瞑想』。
書き方が、本当にうまい。(皮肉です)
「世界のリーダー・トップクラスの人たちが大切にしているあるもの」、
まずはこの言い方で、あなたたはそういう人(世界のトップリーダー)じゃないですよね? もしできるなら、彼らと同じように成功したいですよね? ということを暗に自覚させる。そして、この記事がこれから言うことを実践すれば、あなたはもしかしたらそういう人たちの仲間入り(成功)をするかもしれませんよ? というところまで匂わせるのは誘導手法としてさすがだ。
で、その答えが瞑想である、と。
その答えを述べた直後に、記者は具体名を挙げる。松下幸之助や、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、イチロー選手……おお、なんとあの人たちが! 読者は、それらの輝かしい実績をもった有名人たちが「瞑想をやっている」という事実をもって、「やはり瞑想には効果があるのか!」と自然に読み進めることになる。
まるで、ジャパネットたかたの通販だ。相手の購買意欲を確信犯的に掻き立たせ、商品を買いたくさせる。勝間和代も言っていたが、ジャパネットの宣伝のうまさに「とりあえず必要ないものまで買いたくなる」、そういう魔力があると。この記事は、それに似ている。
これは、客観的情報記事と言うより、明らかに「瞑想を是とした立場から、広めようとしている」。これは、中立な立場とは言えない。嫌われることを言えば、この記事は事実から導き出される結論として「瞑想が素晴らしい」としているのではない。
おそらく記者自身が、瞑想が好きなのだ。あるいは、瞑想に好意的立場にある人物なのだ。もしかしたら宣伝に協力することで仕事上のうまみがあるのかもしれない。
自分の好きなことに関して推し記事を書くのはいい。でも、それなら「瞑想オススメよ!」っていう個人的記事にすればいいのであって、新聞記事(ファクト)に近いものとして書くのは問題がある。
だって、個人の趣味だったら「やってもやらなくても自由で、それをしないことでなんら心的負担もない」が、これが客観的科学記事で「瞑想は人間が成功し幸せになっていく上で必要だ」ということが科学的事実となれば、「やらないと自分が上の人間になどなれない、やっていない(あるいは興味がない)自分はダメ人間かも?」 と思わせるからである。
ちなみに、筆者は瞑想などしない。
私見になるが、眠っていたらそれが十分瞑想になっている。
睡眠時間が極端に短く、それでいて長い時間を瞑想に使っていたら、趣味であり自由だとはいえ、私から見てアホくさい。結局、長時間寝るのと同価値だからだ。
睡眠中というのは、「私が何者であるか」という自我認識・アイデンティティが混沌としている。崩壊しているとも言える。だから、夢の中の主人公が「ハッキリ自分」と(あとで)思えることが多いが、時として「自分だとは思うんだけど、それにしても100%今の自分かというとそれも違う」というような、もっというと夢の主人公が他人のような気がする夢もあるのは、そのせいだ。
これほど、「瞑想」の目指す効果が表れている時ってない。ゆえに人間、寝なくなったらおしまいだ。スピリチュアルで、寝ないこと(あるいは寝ないで済むこと)がなんか「すごい」とか「本物の覚者だ」とか素敵なことに思われる風潮があるが、そんなの単なる変人だ。売れっ子芸能人も寝ないが、それとは全然意味が違う。
一日30分くらい瞑想するとして、一生続けたら?
私などは、その時間を別の建設的なことに使えば、どんなすごいことができるだろう、と考える。瞑想派からしたら「その時間を使うから、ありのままのあなたでいられ、他の時間が濃くなる(充実する)のだ」と言うことだろう。だが筆者は「別に時間を取って座って瞑想などしなくても、睡眠時はもちろんのこと仕事をしながらでも遊びながらでも、瞑想効果は得られる。思いっきり笑ったり、カラオケを熱唱したり、スポーツの真剣試合でまさに入魂の一瞬などでも、同等のものが得られる」と考えている。
要は「どっちの料理ショー」みたいなもので、「座ってわざわざ瞑想がいいか」「眠ってたらOKとするか」「情熱をもって生きることで、煩雑な思考が取り払われる一瞬をたくさん持てるようにするか」のどれがいい? ということだ。ちなみに、すべて同価値だ。
筆者は、瞑想そのものを「意味がない」と否定したいわけではない。
ただ、人によって『合う・合わない』が存在するということを言いたいだけだ。
この記事もそうだし、他の瞑想信奉者たちの中にも「瞑想はすべての人に必要だ、いやするべきだ」とまで考える人がいる。だから、広めようとしている。
私は、瞑想が生活の一部になるほどしっくりくる、という人は、例えて言えば「エラ呼吸するお魚さん」みたいなものだと思う。魚に生まれついているので、エラ呼吸が自然なのだ。だって、水の中を住処(すみか)としてるんだから。
でも、この地上に生きる生き物は、お魚さんだけではない。大気中で生き、エラ呼吸とはシステムの違う生き物も多数生息する。種によって、全然生態が違う。
瞑想とは、この世における在り方のバリエーションのひとつにすぎない。素晴らしいことであるとは認めるが、全員に必要かというとそんなことはない。
ましてや、「一流の人は皆やっている、成功者が実はみんなやっている」というのは飛躍に過ぎる。この記事の著者は、具体名として松下幸之助や、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、イチロー選手を挙げている。心理トリックとして、それだけ挙げられれば「成功者は皆瞑想をしている」というすり替え(場合によっては、瞑想しないと成功しないかもよ? という脅し)が容易になる。
しかし、ここで賢い人は気付ける。
●まてよ?
記事の著者は、古今東西のすべての成功者・著名人にインタビューしたわけではない。個人名をいくつか挙げただけ。
強烈な人を幾人か挙げられれば、それで一流人全体を代表させたかのように錯覚させられてしまうのでは?
「リーガルハイ」というドラマの中で、小学生時代の主人公(
「なぜ、サンタはいないと断言できるのかね?」
「いないからです。いないものはいないからです」
「ではその根拠は? 根拠を示しなさい」
「……大人はみんな言ってます。いないって」
「それは何人の意見だ? 君は、世界中の人間にもれなく聞いて回ってリサーチしたのかね?」
「……してません」
私は確信する。
●瞑想していない世界のトップ・リーダーも探せば存在する。
だったら殊更に、瞑想を何か成功する人が皆やっているかのように言う必要はない。べつに、他の手法や在り方でも一流になれる。
瞑想しないと一流になれないなんて、もしそれが本当だったら何とケツの穴の小さい世界よ。
この記事、全体を俯瞰して読んでみたら、面白いことが分かる。
前半は、記者はあくまでも中立の立場として記事を書いている。瞑想する人に、あくまでも聞いた話の体裁を取っている。
「彼らは~と言っている」「~であると言われている」「~らしい」というようなニュアンスで、完全中立の第三者であることを匂わせている。
これは、新聞記事などに見られるように「特定の考え方・思想信条に囚われていない記事ですよ」ということのトレードマークである。中立だから、聞くに値しますよ。決して一方向に誘導するものではないですよ~という。
でも、この記事のラストの文章。
●誰にでも天から与えられた「才能」がある。
それを今、瞑想によって取り戻そう。
(本文そのまま抜粋)
皆さん、「取り戻そう」ですよ?
もし、記者が瞑想従事者や心酔者ではなく、インタビューによって記事をまとめた完全中立の第三者だったら、そんな終わり方になるだろうか。
~しましょう! と呼びかけている。私は、そこにホンネが出ていると思う。そこまでの文章は言わばカムフラージュで、結局「瞑想しましょう!」と言いたいがために、そこまでおとなしく中立を装っていただけなのだ。
筆者は、この記事を「結果ありき」で書かれた記事だと考える。
表向きは、まず沢山の一流の人に話を聞いた → 皆、瞑想をしていると言う(ホンマか?)→ おお、やはり世界のトップになるような人は皆瞑想するんだ! 皆に教えてあげなくちゃ!
……という感じになっている。でも、実情はこうだろう。
●記者本人が、最初から瞑想従事者か、そうでなくても瞑想に好意的な立場にある。
瞑想を広めたい、という意図がまずあった。
で、後付けで「世界のトップは皆瞑想をしているぞ!」と、勧めるための強力なエビデンス(根拠)をもってきた。そうしてできたのが、この記事であろう。
ただ、根拠といってもお粗末なもので、一流どころの一部がやっているというだけなので、瞑想をちゃんとやりさえすれば、本当に誰がやっても成功に結び付くのかどうかなどは証明できない。
スピリチュアルという分野でも、まずは意図や望ましい結果ありきの文章は多いと見たほうがいい。いかにも、現実や事実から共通項を取り上げ、科学的論証を成功させているように見せかけているが、のぼせ上った頭を冷やして考えたら、全然証明などとは程遠いということに気付く。
結局、人は思いたいように思い、それを強化するために何でも持ってくる生き物なのだ。まぁ、それはそれでいいのだ。それが「生きる」ってことの一部だから。
でも、あたかも真理であるかのような誘導はいただけませんな。
もっと正々堂々と、ストレートに広めたらいいのに。
「四の五の言いません。私は好きです! これ、いいよ!」ってね。
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