己の分限
筆者の一族の、正月の過ごし方を紹介する。(ただし、この記事をアップしている時点ではコロナ禍であり、多分今年はこのようにならない)
元日は、筆者の父方の一族で集まる場所(父の兄に当たる人物の家)へ、新年の挨拶回りに行くのが習慣となっている。
その場の中心になるのは、筆者の父である。私の父らしいというか、この人もしゃべりだしたら止まらない。ヘンな雑学もいっぱい知っている。
仕事はすでに定年退職したが、元は報道関係の仕事一筋できた人なので、世間のニュースに関してはやたら情報通だ。だから、一般人が新聞やニュース番組から読み解くこと以上のことをしゃべれる。
それゆえに親戚連中にも一目置かれており、親族が集まった時に皆父お得意の国際関係論、社会の裏側論に耳を傾けることが慣例となっている。そこはさながら「スピリチュアルだけをしゃべらない筆者」のト-クライブみたいになっている。
父は、私がしゃべる仕事で生計を立てており、かなり弁が立つことを知っていて、確信犯的に私には話を振ってこない。筆者もまた、自分からその話の輪に割り込んでいって「僕ならもっと違う切り口で語れますぜ」みたいな自慢風を吹かせるのも違う気がして、どんなにこちらから聞いてて父の理屈が暴論でも、皆が喜んで聞いていたら邪魔する気にはならず、おとなしくしている。
筆者は、私のメッセージに触れて必要だと思ってくださる方には、決して安くないお金をいただいたりして偉そうにしゃべっているが、この世界(親戚連中)では、私を一切必要としていない。
実際に皆、私にあまりしゃべりかけない。私もまた「この者達に何か言ってやろう」とも思わない。私は大人しく、大人の輪に入らない親戚の子どもたちとトランプをして遊んでいる。
親戚たちの世界だと、私の話などよりも父の話の方が聞きたい内容なのだろうし、また面白いのだろう。私は、本当に「それでいいのだ」と思う。
本書の読者や、私の話が好きでお金を払ってでも聞きに来てくれている人からしたら、親戚が誰も私の話を聞きたがらず、話しかけても来ない状況「何と勿体ない! 筆者さんに(無料で)聞こうと思えば何でも聞ける機会だというのに!」と息巻く状況かもしれない。
でも、これでいいのだ。
私の話を必要としてくれる人もいれば、必要ない人もいる。それが、この世界だ。それが、ゲームバランスだ。
スピリチュアル全体が、わきまえたほうがいいことがある。
それが、今回の記事のテーマである。
●己の分限を知って、その範囲で全力を尽くす。
それを超えた分を心配したり、背負いこんだりするな。
宗教者や一部スピリチュアルがやってしまう誤った気負い方は、『全世界を救う』である。そして、スピリチュアル指導者がよく使う宣伝文言としてある「一人でも多くの人に」である。
筆者の見解としては、「一人でも多く」と言ってる人間はさほどスピリチュアルを分かってらっしゃらない。一見立派だが、その出所はエゴである。
心情的には立派だ。一人でも多く助けたい、力になりたいというのは。でも、それは他の命への信頼のなさだ。
何も、他を救うのがあなたでなければならない理由はどこにもない。大好きなあの子を幸せにするのは、別にあなたでなくていい(その子の幸せを真に願うのなら、その隣にいるのが絶対にあなたでなくてはならないといのは矛盾する)という理屈と同じである。
宇宙シナリオで、全部配分は決まっているのである。だから、
出う人には出会うべくして出会う。たとえ出会っても、脚本上交わらなければ名前と顔を見知っただけで終わる。もし脚本上深く関わる運命ならば、どんなささいすぎるきっかけからでも、二人は会う。
これは私見だが、本当に目覚めたのであれば「一人でも多くの人に真理を広めたい」とは思わないはずだ。または、生活のため確信犯的に、レベルを落として世間という舞台でうまく立ち回っているだけか。
どんな名覚者の話も、うちの親戚たちにはこの時点では無価値だ。それでいて、彼らは彼らなりに十分幸せなのだ。
でも、自分の得たものが真理だと思っている人は、他人の幸せに懐疑的になる。
「それは思い込み! この内容を知らないで幸せといっても、それは本人がそう思っているだけ。そんなものはまがい物。この真理を知らないで言う幸せとは、クリープを入れないコーヒーのようなもの」
きっと、そのように考えて 「一日も早く、この内容を一人でも多くの人に伝えなければ!」って大真面目に気負ってらっしゃるのだろう。本当に、頭の下がることである。
それが人によっては「単なるおせっかい」だということが分かってらっしゃらない。「KY(空気が読めない)」という言葉は、こういう時にこそ使うべき言葉である。
●それぞれの命は、スタンドアローン(自立歩行型)である。
幸せになるには、
あなたが幸せにしてあげないと幸せになれない命はない。
どんなに命の恩人でも、その人無くしてあなたの成功はなかったとしても、すべての手柄はその生きている「あなた(本人)」にのみ帰せられる。
他に感謝することは自然だが、その感謝の対象を自分より度を越して上に見るべきではない。それをしてきたのが、偉大な神とちっぽけで過ちばかりの人間、という位置づけにしてきた宗教である。
だから筆者は、コツコツと自分の楽しめる範囲、生活できる範囲で発信していく。
もし、まかり間違ってものすごく広まった時には、それはあくまでも成り行き。
出会うべく人と出会い、エネルギーを注ぐ気になる人やモノだけに注ぐ。
それが、宇宙という演劇の脚本にいち役者として登場する者のエチケットである。
役者にとって一番の失格行為は、自分の役に納得せずセリフを改ざんし、なりたい他のキャラクターの真似事をしだすことであり、他が得ているものと同等のものを欲しがる行為である。
筆者は、親戚たちと同じ一般人に、スピリチュアルの大切さなど説かない。
(向こうから聞かれたら別!)
これをしないで幸せなど語りやがって、なぁ~んも世界の本質を分かっとらんくせに! などと思わない。彼らに今私は必要ない。そもそも、生きる脚本が、ストーリーのジャンルが違うのだ。
そのことが分からずに、一人でも多くの人にと自説を広め、あわよくばその教えが天下を取り、皆がその教えに賛同すればなどということを夢見ていたなら末期的症状である。
その人に、北朝鮮を責める資格はない。発想の根っこはお仲間だからね。
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