犠牲の恩恵

 昔、よく考えたものだ。

 世界で一番最初に毒キノコを食べた人は、大変だっただろうな、と。

 科学も発達していない、何も解明されていない地球ゲーム開始時、何も知らないで毒キノコを食べて、極端に具合が悪くなったり死んだり。それを見た他の人が「おお、これは食べてはいけないものか?」と学ぶ。

 そしてそれ以降、「このキノコは食べてはいけない」が人々の共有する生きた知恵となり、その後毒キノコによる被害がぐっと減る。

 この蛇に噛まれてはいけない。この食べ合わせはいけない。こういうケガの時、こういう病気の時には、この薬草が良く効く——。

 定番となっているこれらの生きた知恵の背後には、その事態に一番最初にぶち当たった人々の犠牲がある。そういう犠牲が積み重ねられ、試行錯誤の結晶として、科学的発展や医学的成果がある。



 私たちは、よっぽどハードな人生を歩んできた人でもなければ「世間知らずで近視眼の純粋ちゃん」である。

 愛とか、正義とか、平和とか、真理とか。とにかく色んな大義名分を掲げて、その純粋潔癖な基準に合わないものを断罪していく。まるで、この地球を無菌室にでもしたいかのように。そうしたら、絶対な平和でも来るかのように。

 無菌状態というのは、言葉上だけ考えれば結構なことのように聞こえるが、それが生物という存在にとってはいかに「危険」か、お分かりになるだろうか? 無菌というのは、自然バランスを著しく欠いた状態である。せめて『抗菌』にとどめておいてくれ。(笑)



 多くの犠牲の上に、今の私たちの暮らしは成り立っている。

 今、時間の最先端を走っている現代人は、過去の膨大な数の人間の屍を踏み越えて今にいる、という立ち位置を忘れ、ただ自分たちの損得だけを見ている。

 もちろん、犠牲というものが出ないに越したことはないし、あなたがその役に当たらないならそのほうがいいことは言うまでもない。

 でも、この世界で結果として「起こること」は、物理宇宙次元探査マシーンである我々の能力では、どうにもならない部分がある。もしあなたが受け入れがたい現象にぶち当たってしまったら、あなたはその運命を、運の悪さを嘆くんでしょうね。

 人によっては「私がこれこれこうなったのは、社会のせいだ! 会社のせいだ! 医療のせいだ! いや、誰々のせいだ!」とか言って、世界に戦いを挑むのでしょうね。憎い何かを作り上げて、破壊しないと気が済まないのでしょうね。



 落ち着いて。何か忘れてない?



●今を生きる私たちがすでに、過去の大勢の人々の生きた成果をそっくりいただいていることを。



 今の通信・建築・医療・交通などのすべての分野は、先人たちの尊い血と汗と涙の結晶である。そのパイオニアの苦労を、私たちはいとも簡単に、当たり前のように享受している。確かにあなたは金を払ってそれらのサービスを利用しているから胸を張るだろうが、そのサービスや技術そのものを最初に生みだすことは、とても金を支払うことで値するような安いものではない。

 現代の医療があるのは、過去の膨大な臨床データがあったればこそ。科学的に分からないことが今と比べて多かった大昔には、今では当たり前に救えるものでも亡くなっていたケースもあるだろう。でもその死体が解剖され、その結果が後世の多くの人々を救うことにもなっていたりする。



●自分は何も知らずに他者の犠牲による恩恵を享受しているくせに、そのことの気づきが全くなく、たまたま自分や自分の家族にその役が回ってきた時に「いやだいやだ」をする。極端な拒否反応を示し、世を、神を敵に回してでも戦おうとする。



 私も、子の親だ。子にもしものことがあったら、平静ではいられないだろう。

 でも、あえて言いたい。そこだけにフォーカスした「ゆるせない」のエネルギーは、人類のエゴである。これまで、人の視点から見た『犠牲』の立場を担ってくれた命たちに敬意を払わない「手前勝手なわがまま」だというのが、身もふたもないその感情の正体である。

 いくら「子を思ってのこと、命を思ってのこと」であっても、もしそれで「犠牲」という立場を恨むなら、あなたは「命全体・命の営みそのもの」を恨むことになる。

 実に滑稽な話だが、末端の芽が摘まれたために、木全体を敵に回すようなものである。木を見て森を見ない、というのはまさにこのことである。でも筆者は、問題が問題だけに、心情的にはこの過ちに陥った者を責める気にはなれない。

 悟りの意識レベルに至ったもの以外には、実に耐えがたい基準の考え方だからだ。



 ここからは、個人的意見。(ここまでもそうでしょ?というツッコミはなしで……)聞き流していただいても、全然構わない。

 


 ヒトの生命が生まれるメカニズムにおいて。

 数億の精子が、競争する。結果として、卵子に到達して報われるのはひとつだけ。あとは、死滅する。

 この現象を、どう見るか。一位になったやつ以外、全部犠牲。ムダだった?

 そんな1位以外カス、という人間の命の誕生システムを作った神のようなものがいたとして、ソイツは発想が最低最悪? そうではない。



●1位の一匹も、結果死滅した数億も含めて、ひとつの命。



 すべては、シナリオを進めるための何らかの「配役」。

 大きな観点からは決して「犠牲」などではないのだが……

 知的活動を行う者(人間)だけが、「自分」という特殊な視点から損得を推し量り、理不尽な「犠牲」という概念を弄ぶ。それも、この個別分離ゲームを楽しむ上での醍醐味だと言ってしまえばそれまでだが。

 もちろん、筆者も皆さんも人間だ。自分が、あるいは自分の愛する者が何らかの「犠牲」として白羽の矢が立つのはイヤだろう。そこは、仕方がないと思う。だって、人間だもの。

 でも最後の最後、今回のメッセージを思いだして踏みとどまっていただければ幸いである。 



●この世にどんなことが起ころうとも。

 どんな人がいて、どんなことをしたのされたのがあったとしても、世界全部を含め、それがひとつの命全体である。そのために、細かい部分(個)が必要に応じて動いている。

 我々は、もともとはすべてであるが今は限定的に「部分」として生きることにした者。だから、この視点では辛いこともあるけれど、全体の営みを信じていこう。

 これまでの先人たちの犠牲に思いを馳せよう。すでに恩恵を受けてきたのだから、自分にその役が回ってきたら、厳粛にそれを受け取ろう。

 決して、芽や葉であるあなたがたが木を恨むという愚かしいことのないように——

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