天は自ら助くる者を助く?
『芸能人格付けチェック!』という当てものクイズ番組がその昔
参加する芸能人たちは、二択で「Aの部屋」か「Bの部屋」 に入る。
芸能人たちは、自分たちが選んだ部屋に 「GACKT(ガクト)」というやつが入ってくると喜ぶ。逆に、いつまでたっても彼が入ってこないと、焦りと不安を感じてくる。
なぜか? ガクトが入ったら、それが「正解」というような公式が出来上がっているから。だから自分の意見に自信のない芸能人たちは、ガクトの動向を気にしないわけにはいかない。
スピリチュアルの世界に在籍しても、もしもあなたが『ガクトの動向に一喜一憂する芸能人』のようでれば、残念なことだ。
仕方のない部分も、確かにある。スピリチュアル的な何かの能力の突出している人が、お金をもらって「~してさしあげます」というシステムがほとんどだ。先祖解放とか浄化とか、霊的方面で何かしてやるようなものや、心のブロックやトラウマなど、心理学的ナアプローチであなたを何とかしましょう、というものまで色々なサービスがある。
何かのセミナーに参加すると、指導者がワークを通じて何かを得させてくれる。体感することができる。このようにスピリチュアル界は、「優れた者に何かをしてもらう」ことばかりで成り立っている。
もちろん、入り口としては仕方がない。誰も最初からガクトのようでないのだ。経験を積んだからこそ、多くの学びと気付きを得たからこそ、対処できる世界もある。
そこは、謙虚に先人に学ぶ必要はある。でも、謙虚な学びとべったり依存とは違うことはおさえておくべきだ。
ガクトの言動に一喜一憂してキャーキャー言うのは、依存。主体性のなさ。
彼を自分が正しいかどうかの判定材料(神)とするのではなく、あくまでも「背中を見て育つ父親・あるいは師」的なまなざしで見たらいい。
まずは自分の経験や直感を信じて選んでみてもいいではないか。それで間違ったものは、あとあとまでその答えを忘れないものである。自分で選択して間違いと理解したことは、その人の血肉となる。生きた知恵の宝となる。
人に頼って正解のおこぼれにあずかっても、それはその時だけのもので終わる。なぜなら、自らの主体的選択による選択ではないので、印象と記憶に残りにくい。
スピリチュアルの実践においては、ガクト様(スピ指導者)に手とり足とり導いてもらう時期が一時あってもいいが、いつかは自立歩行ができるようになってほしいものである。
日本のことわざに、『天は自ら助くる者を助く』というものがある。
文字通りの意味では 「他人に頼らず、自立して努力する者には天の助けがあり、必ず幸福になる」という意味。でもこれでは、物のたとえではあるにしても「頑張るそんなあなたを助ける天」のような存在がいるような印象を与えてしまう。
もちろん、宗教の世界や一般的なスピリチュアルならその理解でもいい。でも、本書は違う。
天(意思をもって、あなたをどうこうしようと思う神、あるいは実際にどうこうできる神)などない。どうしてもあると言うなら、それは『あなた自身』。あなた自身が「天」なのだ。
本書の流儀では、上記のことわざがこう変化する。
●天は自ら助くる者を助く
↓
●天はない。自分が神
↓
●結局、てめぇで何とかしろ、ってこと。
最終、自分っきゃない。
お金を払って受けられるスピリチュアル的サービスも、あなたの師も、最後の最後肝心なツメの部分まではやってくれない。ってか、できない。
誰も、あなたの代わりにトイレに行けない。あなたの代わりにごはんを食べておくことはできない。スピリチュアル商売に超高額を払って喜んでいる人は、そういう当たり前のことが分かっていない。他人ができる範囲というのは、彼らが誠実に自分の分限をわきまえたら、金額はもっとリーズナブルになるはずだ。
確かに目先の利益やその場しのぎを考えたら、ガクトに合わせるのは得策である。でも、本人の成長と人生の主人公としての権限を保持したまま生きたいと思うなら、本当に大事なのは、たとえ間違うことがあるにしてもあなたの心からの選択、であろう。
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