分かった気になる
スピリチュアルな情報を発信するブログなどを読んでみると、こういう感じのことを言ってるところが幾つかある。
●私は、過去こんな辛い、苦しい体験をしてきました。
で、こういう気付き(覚醒体験)を経て、ものすごい変化を体験しました。
今、私は本当の幸せをつかみました。
このブログでは、私が実感しつかんだ『幸せになる方法』をお伝えします。
スピリチュアルの指導者、特に覚醒者と名乗る人物にありがちなのが、これ。
それぞれに言っている言葉は違うだろうが、皆持っているあるひとつの認識が隠されている。それは——
●自分がつかんだ内容を、最終バージョンの真理だと思っている。
決定版であり、これより上はないと思っている。
人は、「幸せになった」という事実に弱い。
特に、それまで悲惨だった人物がガラッと180度良い方向に変わった、と聞かされるとなおさらだ。皆、幸せになりたい。だから、それはもう反射的に「どうやったの?」と聞きたくなる。
どん底から幸せになった、という実績をもつ人の言うことは「重みのある価値ある言葉だ」という、認識上のバイアスがかかる。今その状態にある人の嫌がる言葉で言えば「思い込み」であり、一種の「マインドコントロール」である。
冷静に、考えてみよう。
ある人がどん底から幸せになった。それはただそれだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
でもなぜか、スピリチュアルや自己啓発の世界では、そんな体験が「パスポート」か何かでもあるかのように、我がもの顔でスピリチュアル界の指導者
●その人がどん底から幸せになったことと、その人の言うことが正しいということの間に、何の関係もない。他人にも分かりやすく幸せになったり、成功を収めたりしたからといって、その人物が言っていることが間違いなく正しい根拠にはまったくならない。
あなたはそういう人種の書いた「成功本」「幸せのなり方」を喜んで参考にする自由がある。だが、結果を要求してはいけない。
あなたは、もしかしたらそれを参考にして「うまくいった」と解釈できる体験をするかもしれないし、しないかもしれない。
それは結局は、ギャンブルだ。絶対そうなるように、なんて人間の力ではできない。できると思っている方に聞くが、なんでこんな文章を読んでいる? 悪いことは言わないから帰りなさい。
意識の力は絶対ではない。これを受け入れられない人は、生物で言えば『種が違う』ので、自分の生活圏で、同じ種族と住んでください。
私たちは、確かに明日生きている保証は厳密にはない。
でも、そういうことを言いだすと話が続かないので、あえて明日死ぬかもしれない可能性は無視して話を進めることにする。ちょっと、皆さんに考えていただきたいことがある。
あなたがまだまだこの先何十年か生きるとして。今、あなたは人生全体を貫く真理の『最終形態』をつかんだと本当に言えますか?
これからの時間で、今はそれがすべてだと自信と確信をもって思っていることが、変化したり覆ったりしないという絶対の保証はあるでしょうか? 本当にないと言いきれますか?
少なくとも、筆者にはあった。
ないと言えてしまう方は、残された無限の可能性を秘めた「時間」に対して失礼である、と申し上げたい。
筆者はキライなのよね。「幸せのなり方教えます」って上から目線。
確かに、その著者は一時すごい苦労をしたんでしょう。そしてそれを乗り越え、幸せをつかんだ。それは本当に、価値ある偉業なんでしょう。
でも、そこで「私は幸せになる極意をつかんだ! みたいに、自説を万民に通用する普遍の法則のように言いふらし、本にまでして講演会でも偉そうに語ろうなんて、何様だろうね。
皆さんにも幸せのおすそわけ? 自分だけがこの方法で成功するのはもったいない、ってかい?
●人それぞれなんだよ、幸せのなり方は。
皆の内に、その答えはある。
ただ、灯台下暗しで、自分でなかなか答えを持っていても気付けないから、世の色々な情報に目が行く。
もちろん、成長段階の最初はそれでいい。でも、自分の中の眠れる「幸せ」をアクティベートさせるためだけに、他人の話は使え。いったんアクティベートされたら、あとは用済みなものだ。
決して依存したり、自分の能力や価値以上にそれを過大評価するな。幸せになるのは、あくまでも自分自身の手柄である。
ちょっと覚醒体験したくらいで、すべてが分かった気にならないでよね。
どん底から這いあがった事実はすごいと認めるけど、だからその人物が振り返って「あの時、こうしたことが良かったのだろう」と考えて発言する内容は、本当にそのことが原因で成功に繋がったのかどうかなど『裏が取れない』。本当のところは確かめようがないってこと。
もしかしたら、成功本で言っている秘訣は著者の勝手な解釈であって、実際には成功や幸せに直結したのが「全然別のこと」であった可能性すらある。
筆者は覚醒体験前、いくつかの宗教とスピリチュアルを遍歴した。
それぞれに、真剣にやっていた時には「これが最終的な真理だ」と真面目に思っていた。で、覚醒体験を経て今の私になって「今度こそ本当に宇宙が分かったぞ!」みたいな盛り上がりが自分の中であって、それが本書の前半部分の内容になっていったわけだ。ここまでの流れをお読みくださった方なら分かると思うけど!
何てったって、『覚醒』したんだから! これ以上のバーションアップはない、最終版だと思ったものだ。
ところがどうだ? 筆者自身も戸惑うことに、受け取るメッセージも何だが年を経るごとに変わってきたり、それに伴い一番根本の信念の基盤すら変わってきた。
持論が、『意識がすべてで、意識次第で何でもできる!』から『すべて起きることは決まっている』へというあり得ない飛躍を遂げたのだ。
今だからこそ思える。この諸行無常の、変化を免れえない世界で、絶対に変わらないものをつかむなどない。
百歩譲ってつかんだとして、残念な話その人は肉体をもって皆に伝えることはできない。本当に「絶対に変わらないもの」をつかんでしまったら、あなたはこの世界から消えてしまう。
残された時間の分だけ、変化の余地やお楽しみがあるってこと。たとえ、悟ったと言われる釈迦やキリストでもだ。この二人も実は、死ぬ瞬間まで『変化』したのだ。
たかだかひとつの山越えや成功だけで、大げさに人生や真理を語ってくれるな。人生半ばで、何か分かった気になるな。お教えしましょう、なんて100年早い。
「分かっていないことが分かった」ってのなら、すごく謙虚だ。(笑)語るのはいいけど、そこに真理とか法則とかいう言葉を持ってきて人々を惑わすな。
感動できるごっつうええ話、でとどめておくなら害はない。
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