スピリチュアルの常識は世間の非常識

 今回は、スピリチュアルの世界で当たり前のように言われていることで、一般感覚からしたらそれおかしくね? という内容について、ツッコミを入れたいと思う。

 まず、第一発目。

 これはどちらかというと感覚的な部類の話になる。

 スケジュールの把握忘れや、過去の約束事でやるべきことをうっかり忘れちゃった時。たまに、こんなことを言うスピリチュアル実践者(特に悟り系)がいる。



①うわ~どんだけ「今ここ」やねん!



 あるいは、「今ここすぎる~!」とか。

 そこにしまったとか、ミスったとかいう反省のニュアンスが、なぜか少ない。

 それどころか、「そんな自分って素敵じゃない?」っていう誇らしささえ漂う。



 スピリチュアルの誤った広がり方のせいで、「今ここ」がとんでもない解釈で広まってしまったひとつの例である。

 今に在る、ということは言い換えれば過去に縛られないこと、未来の不安に振り回されないこと。そこから拡大解釈して、過去に決めた予定や約束を忘れたりするのは、社会一般的には「間違いであって、決して良いところなどひとつもない反省すべき事柄」なのに対し、スピリチュアル的には「それだけ過去に縛られてないのだから、そこは評価できる点じゃない?」という言い分。

 はっきりと言いましょう。その人は、「今ここ」なんじゃなく——



●単なる物忘れです。

 言うなれば、ただのあなたの「ミス」です。

 それを「今ここ」なんてごまかし、おかしいんじゃないですか?



 今ここ今ここ、言う前に、物忘れしない人になりましょうね。

 今今言い過ぎて、過去にしたことの始末がおろそかになったり、未来への備えがいい加減になるなら、今今言うのやめたほうがいいですよ。以上。



 二発目はコレ。



②真実の波動は伝わる。



 伝わりません!

 正確には、『伝わることもあれば、伝わらないこともある』。どちらにしても、伝わったのかどか相手に確認を取ったのでないなら、人間側の後付けによる「意味づけ」に過ぎません。

 これまで本書でさんざん言ってきたこと。

「人は自分の見たいように見、聞きたいように聞き、感じたいように感じる」。

 特定の人物に対して、人によって評価が変わるのはなぜ? ある人はその人を好きで、ある人は嫌い。同じ人物を見ているはずなのに、なぜ見解の相違・評価の相違が起こる?

 人は、自分の経験から導き出した人生観や感覚を前提にして、情報を解析する。言い換えれば自分の思い、という名のバイアスがかかる。



 たとえばここにエックハルト・トールがいたとして。

 彼を知り、尊敬しているスピリチュアル実践者なら、会えて感激だろう。

「おおっ、隠し切れないオーラの輝きと、ものすごい本物の波動が!」

 ……なんて感じるかもしれない。

 ここで可能性として考えられるのが、「エックハルト・トールが偉大な覚者であるとの情報を得ており、そのように見る意識の前提が出来上がっていた」。その前提が、「すごいオーラを発している (ような気になる)」「ものすごい波動を発している(気がする)」。

 だって、エックハルト・トールなぞ露ほども知らない青年を連れてきて、彼に会わせたら多分——



『はぁ? なんだ、このリス顔のオッサン。分かんねぇけどなんかスゲーの?』



 ……感想はそれで終わり。(笑)

 真実の波動は伝わるんでしょ? 知識として相手の功績を知らなくても、波動は偽れないのでは?

 物理的な世界の波動なら分かるが、心の世界にまで波動の概念を軽々しく持ち込むからややこしくなる。後者の方は、証明の仕様がないからだ。皆勝手な主観を述べているだけにすぎない。

 ぶっちゃけ言うと、『好き嫌い』がかなり波動の判定に影響している。

 好きなもの、受け入れられるものには「波動が高い」となり、嫌いなものは「波動が低い」となりやすい。スピリチュアル分野で述べる波動なんてその程度であり、実にいい加減である。



 広く人気が出るものを「本物の波動だから」と説明する向きもあるが、これまでの歴史でニセモノが通用してきたこともあることをお忘れなく。ホンモノの波動がどうとかおっしゃるなら、ドイツでヒトラーがあれだけ熱狂的に支持されたのはなぜ?

 あと、イエス・キリストを十字架に付けるなど、本物の波動とやらを発していたはずの人物を殺してきた事実もまた、忘れるべきではない。

 要は、分離した個に正味の波動など分からん、ということである。



 ラスト、三発目。



③「身近でこういう話ができる人、少ないんです」。



 これは、スピリチュアル実践者が、自分の周囲でその手の話ができる相手がいないことを嘆いた言葉である。

 ここには、「自分はこういう本質に関わることに興味を持てた進んだ魂だが、親兄弟や友人の多くはそういうことに関心を持てない、まだまだこれからの人」という無意識の見下しと、優越感情が隠れている場合がある。ちょっとした選民意識が見え隠れしている場合がある。

 あのね、冷静に考えてみましょう。



●周りが遅れているんではなく、むしろあなた 「ヘンだ」とは考えられませんか?



 むしろ、スピリチュアルなどしないでフツーに生きれている人のほうが、この世幻想基準では「まとも」。くうとか霊界とかワンネスとか、悟りとかチャクラとか言ってる方が「ヘン」なのである。

 ヘンだからこそ、大多数はそんな話はしないのである!

 スピリチュアル実践者の多くは、もう「こちら側の住人」と化している。住民票までこっち移しちゃったからね。彼らにすればむしろ、そういうこと言わないほうが「この世界の真実の仕組みを分かっていない」。

 もう一度言うが、そういう話が身近でできないのは、単にあなたがヘンなのだ。だからわざわざ遠くへ行って、同じヘンな人を探し出して盛り上がらないといけないのだ。

 だから、スピリチュアルやるならそんなことはもとより覚悟の上でやりなさい。寂しくても、そういう話ができる人が少なくても、そういうものと割り切りなさい。

 だって、やっぱりヘンなんだもん。

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