試験範囲
昔に、こういうことを発信していたスピリチュアルメッセンジャーがいた。
●来年(2015年当時)半ばには、宇宙人の存在が明らかになる。
彼らの高度な科学力と精神性が明らかになり、地球がいかに遅れているかが明らかになる。
現在2020年だが、未だに宇宙人の存在が周知の事実という世界にはなっていない。大ハズレもいいところである。
このメッセージは例えると、こういうことだろうか?
「スーパーイケメン優等生が転校してくるぞ。自分がいかにイケてないかよく分かるいい機会だから、よ~くご尊顔を拝しておくように!」
要するに、宇宙人の物心両面での文明の高度さを見て、自分たち地球人がいかにまだまだかということを、ようくご自覚なさいませ!ってことか?
早く、高次元(バシャールとかの宇宙人レベル)の意識に追いつくように、話をよく聞き従え! ということか。
別の情報筋では、どっかの宇宙人が 「2030年頃には、人々の意見の相違がなくなり、人類の心がひとつになる」というようなことを言ったらしい。ちなみに今2020なんであるが、あと10年ぽっちで本当にそうなるのか?
●バカバカしい。
宇宙人がいる、というのはまだいい。実際、いてもおかしくないし。
だが、それを知って受け入れないと「乗り遅れる」的なメッセージはいかがなものか。ましてや、個々で意見の相違がなくなるなんて……逆にキモッ!
●少なくとも筆者は拒否します。
絶対に、意地でも意見が一緒になどなってやるか! (笑)
違いを味わうことこそ、この世界に来た最大の目的だ。みんな違ってみんないいのだ。(by みつを)
もちろん、対立し争うための「違い」ではなく、尊重し合い互いに補い合うためにある「違い」だ。
皆、忙しいのだ。
今日、明日にやるべき仕事。家賃の払い。
親の問題。子どもの問題。その他、あなたを取り巻く細かい課題……
宇宙人のことを考えるヒマはない。もちろん、そういうことに興味があり、追い求めたい意思のある人は真剣に取り組んだらいい。しかし、今現在興味と感心を持てていない人に「目覚めよ!」とはまるでエ●バの証人みたいだ。
ほっとけ。大きなお世話だ。
この世には、「テスト」と呼ばれるものがある。
今は大人な皆さんも、中高生時代は悩まされた「中間・期末テスト」を思い出してほしい。(ゾゾゾゾゾ~ッ)
確かにあれは、勉強好きでもなければ小憎らしい存在だったが、授業で学習した範囲からしか、出題されませんでしたよね?
そう。いくら出題側が意地悪でも、ちゃんと授業でやったことしか出ない。それと同じで、もしあなたが人生で「宇宙人と関わる」ようなことがなく、興味も関心もないのだったら、それはそれでいい。何らあなたに「足りなさ」はない。
あなたは、あなたが人生で関わった範囲、あなたが見聞きし体験した範囲のことで人生の評価が問われる。究極的にそんなものはないが、幻想世界においての「ゲームスコア」ですな。
あなたの人間キャラとしての成果だ。本来はすべてを知っているあなたが、その知識すべてをスクラッチカードの銀色部分で覆って、まったく知らない状態にしてからコインでこすっていく。人生体験を積むごとにスクラッチをこすることができ、やがて『全体としての絵』が見えてくる。
その絵も、皆一人ひとり違ってたりする。この世界は、一人ひとりが異なる脚本を渡され、それを演じきることを求められる世界だ。決して、皆が同じ役と同じ動きをするためではない。
このままでいくと、筆者は「宇宙人の存在が否定できないものとして目の前に突きつけられるまでは、そんなもの気にしない人生」になると思う。
それでは遅い、というのは余計なお世話だ。私は、知った時で十分間に合う、と思っている。
●筆者が採用している生き方は、『その都度主義』である。
世の多くの人は、事前の予習や準備というものがものを言うと思っている。
だから、何かの情報がはっきり明らかにならないうちから「認めよ!」と言ってくる。それが「益」(平たく言えば得 につながる、と。
例を挙げれば、霊界がそうだ。あるかどうか誰にもはっきりとしたことは分からないのに、あると信じる人が霊界でのよい生活のためにも今徳を積め、と言う。それが人に優しくするとか幸せにするとかならまだいいが、その徳を積む内容に教団への高額な寄付や負担の重い奉仕などが入ってくるアコギなケースもある。
筆者の魂の気付きの観点で見れば、「その時で間に合う」。
ってか、多くのスピリチュアル実践者が言うように宇宙が「愛」 なんだったらさ、「あなた、これ分かってないと及第点じゃありません。これ知ってないと、減点です。これしてないので、天国に入れません」とか、そんな設定にすると思いますか?
筆者はかつてキリスト教をやっていた。
イエスを救い主として受け入れなければ、救われることはない——。それが教義の一番のキモ。
そこで私が一番疑問だったことは、「じゃあ、死ぬまでキリスト教に触れることがなかった、チャンスがなかった人はどうなるの? それって不公平じゃん?」ということだった。
クリスチャンにそう聞いたら、多分次のように言うだろう。
「だから、すでに救われている側の私たちが宣教(伝道)を頑張っているんです。チャンスがなかったと言われないように、隅々にまで宣教することを目指していますよ」と。
でも、頑張るって言っても人間のすることには限界もある。まだまだ知らない未開の地の人はいるし、もしある人の身近なクリスチャンがとんでもないやつだった場合、その人のせいで「あいつがクリスチャンなんだったら、そんなものなってやるか!」と思う人がいるかもしれない。
他人のせいで正しく伝わらなかった分は、どう責任を取ってくれるんだろうか?
試験は、ちゃんと学習した範囲、あるいはここからここまでと指定した範囲からしか出ない。人間の先生でさえ、そのことは守る。ましてや「愛」であるはずの宇宙が、守らないはずがあろうか。
●あなたが知ったり、興味を持つように導かれなかったことから、あなたが何かの責任を問われることはない。
上記は、筆者の提案する 「宇宙の法則」のひとつ。お気に召しましたら、ぜひ採用して楽になってください。
ここで、「教えられたけど、伝えられたけど受け入れなかった」という状況は失敗なのか? と疑問に思う人もいるかもしれない。さっきのキリスト教の例で言えば「教会へ行く機会や知る機会はあったけど、最終的に信じなかった」「宇宙人のことは友達に詳しく話されたけど、はぁ? と思って遠ざけた」など。それぞれを熱心にやっている人側の視点からすると「せっかくチャンスがあったのに、それをふいにした人」となるのだろう。
心配しなくていい。
宇宙的なマクロな視点からは、あなたが何を選んでもそれは単なる可能性の担当というか、宇宙シナリオの役割分担なので、問題ナッシング。果たして、地球に関わろうとする宇宙人に、この視点が理解できるかな……?(これ、皮肉です)
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