幸福論
どうもこの世界では皆『幸せ』というものを求めるようだ。
でも幸せが何か、ということに関しては個々人でバラバラである。
野望を抱く者は、地位としての頂点に昇りつめることかもしれない。お金持ちになることかもしれない。ささやかな幸せを願う人は、家族の健康や皆で仲良く過ごせることかもしれない——。
今回は、「幸せとは何か」ということについて考えていきたい。
時として幸せとは、「今自分がそうではない状態」として考えられる。
例えば、今貧乏な人が 「金持ちになれれば幸せ」 と考える。重い病気を患った人が、「健康で走り回れたらなぁ」と考える。
今はそうでないけれど、頑張れば到達しようのある内容ならまだいい。極端な例だと、もう実現の可能性がないようなことを幸せに設定する人もいる。
例えば、事故により両足が切断され、もう元のようになることが不可能な状態で、失った足が元通りになり、義足や機械の足ではなく自分の足で駆け回れたら幸せ、などというようなことである。あるいは、死んだ子どもが生き返ったら、というようなことである。
実現不可能なことを幸せの基準に据える人は、かなり辛い人生になる。
今回、私が提言したい幸福論。幸せとは——
●その場その場で、限られた選択肢の中で、自分がその中で最良と思うものを選び、その選択を受け入れられること。
ないものねだりをして「ああできていたら」と自分や世界を呪うのではなく、与えられた条件の中で最善を選んだ自分を、褒めてあげられること。
例えば、こういう状況を想定してみよう。
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海のど真ん中で、客船が事故で沈没。
大勢の人が海に放り出され、救命具が行きわたる暇もないままどんどん人が死んでいった。
その中に、とある老人がいた。
彼は、運の良いことにたまたま流れてきた救命浮き輪にしがみつくことができ、救助を待って漂っていた。その浮き輪は二人以上がつかまると支えきれない性能のもので、誰かをつかまらせてあげたくても、二人とも沈んでしまう。それ以前の問題として潮の流れが早く、老人の周りにまだ生きて浮いているような人物は見えなくなっていた。
なおも老人が海を漂っていると、何だか人の気配がした。
よく見ると、若い男性が一人、立ち泳ぎで浮いている。船の沈没から数十分はたつが、若さゆえの体力で何とか持ちこたえていたようだ。
でも、老人は彼の表情から見て取った。そろそろ彼にも限界が来ていることを。
その時、老人の胸の奥から、ある思いが湧き上がってきた。
その思いに身を委ねるには一瞬抵抗を感じたが、やがてそれは自分の中の納得となった。老人は、この状況で取り得る最善であると彼が納得したものを選択することにした。
若者に近付き、浮き輪を差し出す。
『これを、受け取ってほしい。
わしは、もう長いこと生きた。そこへいくと、お前さんにはまだ未来がある。
ああ、わしに悪いなんて思わんでほしい。これは、わしの願いじゃ。ぜひ、こうしたいんじゃ。
悪いとか思わずに。これからの未来を頼んだぞ——』
老人は、海の底に沈んでいった。
若者は助かり、この話は多くの人に伝わった……
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前述した私の「幸福の定義」で、今の話を考えてみよう。
●その場その場で、限られた選択肢の中で、自分がその中で最良と思うものを選び、その選択を受け入れられること。
ここで幸せとは「二人とも助かること」というのは、現実的ではない。
得られる見込みのないものを幸せにするのは、おすすめしない。得られないことを分かっていて、「それでもいい」という特殊な覚悟をした者にだけゆるされることである。
生半可な思いで、得られる見込みのない何かを幸せとして目指すなら、あなたは苦痛を生涯の友として生きることになるだろう。
トランプで配られた手札で、ゲームをするしかないでしょう。
ないものねだりをしても、仕方がない。あるものを最大限に生かして、できる範囲での最善を目指すしかない。
持っている手札で、ベストを尽くすしかない。その意味で海に放り出された老人にとって、一個の浮き輪が「トランプの持ち札」だった。
彼は、持ち札を使って可能な二つの選択肢があった。
①自分が助かる。
②若者に浮き輪を譲り、自分は死ぬ。
で、老人は②を選んだ。
結果としての出来事だけを考えたら「死を選ぶ」のだから、「幸せ」というイメージからは程遠い。私たちが「幸せって何だろう?」と考える時の幸せの内容とは、別次元の内容だろう。
でも、老人の置かれた状況で、平時に考える「幸せとは何か」など役に立たないことがお分かりになるだろう。だから、老人は自分の手札で出せる最良の手、つまり「未来ある若者を生かす」という選択に納得し、その選択をできた自分をほめてやったことだろう。
自分をねぎらいながら沈んでいった彼の最後は、溺死という苦しさの中でも、安らかだったかもしれない。
幸せとは、皆さんが直面しているその瞬間瞬間にあるのだ。
幸せとはこれ、というひとつの内容が時間の流れ全部を貫いているわけではない。場面場面での選択の中にこそ、幸せがある。
その状況であなたが取れる行動の選択、という手札の中で一番良い手を使う。そうしかできないんだから、~だったらという夢物語は引き合いに出さないこと。
そんなことをすれば、かなりの確率で「理想の状況と今の状況を比べて、今がいかにみじめか」を見せつけられて、不快な気分のまま終わる。
視点を変えるためにも、他人の手札が何かではなく自分の手札でどうするのが最善か、のみを考えよ。
皆さんの意識の片隅に残るように、もう一度言う。
幸せとは何か?
長期的目標や叶うのに困難が伴う内容を「幸せ」とするのは、苦しいことや結果得れない可能性があることを承知の上で選択するなら構わない。でも、それでは「今」という肝心なこの時に幸せにはなれない。
「今」幸せになるためには、今できることの中に幸せを見出さなきゃいけない。だから、どんな状況の中でも自分が「一番」と思えるものを選択できたら、それを幸せとせよ。
そして、それができた自分を誇ること。ねぎらい、いたわってやること。
それを幸せすると、この世ゲームがずいぶん戦いやすくなると思う。
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