インナー・スペース(小宇宙)

 結構昔の話になるが、『フードファイト』というテレビドラマがあった。

 SMAPの草彅君が、大食い賭博ゲームの「フードファイター」を演じている。このドラマの主題歌が「らいおんハート」で、最後に流れるその曲がものすごく印象的だったので、今でもよく覚えている。

 その、草彅君演じる主人公の名ゼリフが、これ。



『オレの胃袋は宇宙だ』



 そう。

 これは、スピリチュアル的にも的を射た言葉だ。

 胃袋というか、あなた自身がひとつの『宇宙』なのだ。

 外に広がる、とてつもなく広大な宇宙が、実はあなたの内にある。ここでは、あえてそれをインナー・スペース(小宇宙)と呼ぶ。

 ある視点からは大きいも小さいもないが、この世界で通じる話をするためにあえて「小」などではないが「小宇宙」としよう。

(『小美人』は本当に小さいが……とまぁ、そんなことはどうでもいいか)

 自分がちっぽけな「人間」であり、外には神秘的な途方もない世界が広がっている——そういう考えのもとでは、必然興味は外へ、外へと向く。

 大事なものがあるのが皆「外」なので、灯台下暗しで自分の宇宙の価値に気付かない。もちろんこの世界は二元性、相対性の世界なので、外部探求だってもちろん楽しいし意味がある。でも、それと同じくらい自分が内にもつ宇宙にも、目を向けるのが良いというのが筆者の意見である。

 時代の流れとともに、今は内なる神秘に気付きやすくなった。まぁ、言わばチャンスだというわけだ。だからスピリチュアル界では、今の時代の特別性が色んな形で語られている。



 合わせ鏡みたいなもので、あなたの外にも内にも……いたるところに無限に展開している。それが、宇宙(世界)というものの特質である。

 神(意識)ならたやすいが、限定的二元性活動マシーンである人間には、捉えきれない世界である。捉えきれないから、手に余るから、いつまでも遊びようがあるのだとも言えるが。



 その昔、宇宙のような人体の中を探検する、というような設定の洋画があった。

 有名なのでは、『ミクロの決死圏』と『インナー・スペース』。

 医療チームが人体内に探査艇で侵入し、手術ではどうにもならない部分を治療する、というもの。意外なのは、日本の特撮ヒーローもの『ウルトラセブン』の第31話「悪魔の住む花」では、少女の体内に寄生した細菌怪獣を、ミクロ化したウルトラセブンが倒す、というお話がある。

 人間の体は小宇宙……そういう観点も悪くはないが、体の組織そのものだけに感嘆していては、片手落ちである。人体の神秘ももちろん素晴らしいが、注目すべきは 「精神世界(魂)」 のほうである。

 そちらも、途方もない。だから、我々が神の遊技場であるこの世界で遊ぶのに、いくら時間があっても足りないのである。だから、無限に遊ぶことが可能である。

 ただし、無限とは言っても「ブツ切りの無限」を楽しみに来たので、一応その人の一生、という形でキリよく区切りがある。そしてその区切りはとっても大切で、意味がある。

 だから、「魂は永遠」とか「不死」とかいう考えは、なかなかよさげな響きだが乱発すると安っぽく成り下がる。私は、人は死なないとか意識は永遠とか言いまくるスピリチュアルには、疑問を抱いている。限りがあるからこそ輝く生もあるし、価値も生まれるのではないか。

 限りあるからこそ、真剣に生きる部分もあるのではないか。そこに、むやみに「チャンスはいくらでもあるよ~」という安心のエサを、不用意に与え続けたら?



 よくスピリチュアルや自己啓発で『本当の自分を探そう』なんてことが言われたりする。それを聞くたび、思うことがある。



●本当の自分じゃない自分って、あるの?



 そう言うからには、今の自分が本当の自分じゃないから、本当の自分を探そうとしてる、ってことになるんだろう。でも、それはおかしい。今のあなたは「自分ではない」って言うわけ? そんな奇妙奇天烈な。

 じゃあ、あなたはニセ山田さん? ニセ佐藤さん? そうお呼びすればいいのかな? あなた自身が今の自分に納得いってない場合は、「ニセ何々さん」と接頭語を付けてお呼びすればいいのか?



●本当の自分じゃない、なんて言葉で思えるようなあなたも、ちゃんとあなたである。だって、あなたはひとつの「宇宙」だから。宇宙とは、包括的にすべてを持つのだから。

 エゴが思う「本当のあなた」も「本当の私じゃない(と思いたい)あなた」も、全部あなたの中の属性なのである。すべての可能性を内包しているのである。



 本当の自分、なんてりきんで探そうとしなくていい。

 全体から切り取られた「本当のあなた(そうじゃないものが外に広がっている)」 なんて探しても、そんなものは幻想中の幻想である。

 この世界には、便利な言葉として「性格」がある。私って、あなたってこんな性格よね! そういうふうに、コンビニエントにラベリングできてしまう。

 でも、それって世界をせばめる「枠(型)」だよね。決めつけなければ、もっと豊かな可能性にも気付けるのに。



 あなたの今の自己評価がどんなであろうが、今のあなたから離れた、どこかにある自分の像が本当であるなんて発想が限定的で、貧弱だ。

 スタートから、ゴールに見える地点までの過程を含むすべてが、あなたである。

 どの時点でのあなたも、すべてであるあなたの現れ方のひとつだったのだ。

(『3時のあなた』 みたいやな……若いもんは知らんか?)

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