悪魔が来たりて笛を吹く

 筆者の活動は、ネットがあって成り立っているようなものである。

 ネットでの発信(本書のような文章でのメッセージ・動画配信によるメッセージ)が、活動の中心だから。

 仕事柄、朝から晩までPCを通してネット漬けである。これは仕方がない。

 だからこそ、日々考える。ネットという、甘美な餌の中に棲む罠のことを——



 ネットにおいては、『匿名性』という問題と無縁ではいられない。

 この匿名性というやつは、ノミのような心臓の小心者でも、気持ちを大きく増幅させる作用があるらしい。日頃言えないような言葉を普通に使い、かなり大胆な発言もできてしまう。

 何を言っても、リアルな自分までたどれない、という確信のもとに成り立っている勇気である。絶対に自分に反撃や罰が降りかかるわけではない、という安心感も。

(昨今では警察さえその気になればIPアドレスから正体をたどれるぞ、という情報も流れているが、それでもまだそこまで怖がっていない人も多い)

 もちろん、他者を悪しざまに批判すればネット上で反撃されたり色々言われることはあろうが、その閉鎖世界の中だけの話で、放っておけばよいだけ。多少は気分を害することもあるだろうが、その人の実際の生活に影を落とすようなことはない。

 でもこの「安心感」、過信していると罠なのである。



 ここでしたいのは、何もさっき言ったような「あなたが匿名でもIPアドレスというものがあるし、プロならその気になればいくらでもあなたを特定できますよ」というような話ではない。そんなこと、わざわざ私が言うほどの話ではない。

 もし、あなたが匿名性ということをかさに着て、好き勝手を言うなら——



●そのあなたの精神状況を反映した世界を見るようになる。



 これは、あなたの意識がその状態にふさわしい現実を生みだす、というお話ではない。あなたは、何も外に生みださない。

 ただ、あなたのフォーカスする視点が、世界の中からあなたが見るものを『選ぶ』。あなたの心が何に囚われているか、ということに応じて見るものが変わるだけである。

 だから、同じような境遇にいても、同じものを見ていても、人によっては幸せであったり逆に不幸であったりする。それは、明らかに外にあるもののせいではなく、その人が『特にどこを見ようとしているか』に依る。



 おじいちゃんおばあちゃん世代からよく『お天道様が見ているよ』という教えが語られることがある。誰に見られていなくても、バレていなくても、神様の目をごまかすことはできない、結局したことに応じた結果を受け取ることになる、という概念である。

「人はごまかせても、神はごまかせない。結局はその報いを受ける。ゆえに、人が見ていないからいい、という発想は大間違いである」という理屈は間違いではないが、筆者としてはあまり好きではない表現だ。

 いいとか悪いとか、そういう概念は本質ではない。ただ、あなたの心にあるものを外に見ようとするようになる。シンプルにそれだけのこと。

 それを外から見て、「バチが当たった」とか「因果応報だ」とか皆好き勝手に解釈してしまう。



 あなたが、車を運転しているとする。

 あなたの意識は、常に道路の幅、行き交う車との距離、信号、自転車や歩行者の飛び出しなどにアンテナを張り巡らせて注意している。

 あなたは、車線からはみ出ないように、前の車に衝突しないように、それらの存在を明確に『意識』して運転しているはずである。もちろんぶつかったりしたら自分が困るし、現実問題として面倒なことになるからである。

 でも、あなたの眼が、歩道も道幅も見ることができなくなり、行き交う車の姿も、歩行者も自転車も見ることができなくなったら、どうしますか?

 あなたの眼には何も障害が見えないので、安心してスイスイと好きに運転するだろう。見た目に、あなたの車を遮ったり、ぶつかりそうになるものは何もないのだから。でも恐ろしいことに、それは「見えなくなっただけで、実はある」としたら?

 あなたの乱暴で気ままな運転でたまたま事故がないうちは、「超ラッキー」なだけだと思ったらいい。でも、いつまでも奇跡は起こり続けてはくれない。

 遅かれ早かれ、いつかは事故を起こすことになる。それはもう、絶対である。 



 逃げようのない生身の人間関係なら、やはり現実の生活に影響が直結するので、無視できないものと考えて必要な行動を取るだろう。それはさっきの例え話で言うと、車線や他の車や人のことをぶつからないように気にかけることである。

 一方でネットという匿名性に隠れるのは、すべての障害物が視界から消え、運転が楽に(超自由というふうに)錯覚できることである。でも、実際に障害物がなくなったのではなく「認識できなくなった」にすぎないので、運に助けられてしばらくは事故を起こさずに走れるかもしれないが、それだって必然的に終わりが来る。



 私が、ネットの匿名性というものを過信して心の毒が出るに任せて吐き散らしていると、とんでもないことになるよというのはそういう理由からである。

 心のどこかで「自分はこれが個人的に気に食わないから非難している」と自覚しているというか、認めている場合ならまだ程度的にはマシである。

 でも一番病巣が深いのは、例えばスピリチュアルなんかで 「(その人にとって) 間違いであるとんでもないスピリチュアルを正している。つまり正しいことを行っている」という自覚の元、これぽっちも自分が「毒を出している」ということに自覚的になれない場合だ。

 その場合は、「自分はかえっていいことをしている」という認識になるのだから、始末に負えない。相手が罪悪感に欠ける分、これを相手するのはかなり大変になる。

 罪悪感のないエネルギーは強烈なので、対抗すればこちらはかなりのエネルギーを消耗することになる。

 でも瞬間風速的に強い分、そのパワーの寿命は短い。毒を吐くその人自身も、自分が神であり最高の価値を持つ魂であるという事実からは逃げきれないので、どこかで思い知ることになる。破綻を迎えることになる。



 筆者にも、色々なコメントが寄せられる。

 ネット上でコメントを投稿するということは、それが全世界の人に見られてもいい、ということである。そして、言葉がいったんあなたの元を離れたら、それはどのように解釈されても仕方がない、ということである。

 投稿者はそれを承知の上で、腹をくくった上でそれでも発言したいのだ、という自分の気持ちを確認の上で投稿したことになる…はずである。タテマエ上はね。

 でも、皆さんそこまで考えてないでしょう? 他者のブログやニュースサイトへのコメント投稿なんて、きっと軽い気持ちでやってらっしゃるでしょう。

 もちろん、好きなブログやサイトを見たり……というのは基本的には「楽しみごと」なので、そこではカタいことは言わずに気軽にやり取り、というのが大事だとは言える。

 肯定的なコメントや励ますようなコメントなら、発信者の趣旨に沿う形でなら気楽に投稿してもいいだろう。だって、大きな問題にはまずならないから。ちゃんと信号を確認して、前方左右確認をした上での交差点右折なら、ハンドルをきってもまず安全だろう。

 でも、そのサイトの記事の趣旨に批判的な内容をあえて載せるなら、それは肯定的なコメを残す時よりもかなり慎重さが必要になる。相手も、良かれと思って全力で自己表現をしているのだ。それを批判するからには、相手に要らぬ失礼の無いように、しっかりした内容にする必要がある。

 建設的な批判こそ、意味がある。難癖は、百害あって一利なしである。

 何度も推敲し、「本当にこれが言いたいのか?」をあらゆる角度から見つめ直し、それでも心の声がゴーサインを出してくるなら、コメントを残すがいい。

 でも、私が見た所、かなりのケースで「そこまで考え抜いたものはなく、本当に刹那的な幼児性をもって、衝動的かつ無責任に書かれた言葉」ばっかりである。

 筆者は皆さんが何をしようが基本ゼンゼン構わないが、あんたの人生だよ? とちょっとは心配にはなる。



 今日のタイトルの『悪魔が来たりて笛を吹く』とは、横溝正史原作の古い推理小説である。

 人が何か外の情報にカチンときて、何か言ってやらねばおれずに、匿名性を頼みにして実に薄っぺらい発言をしたくなるのは、まさに「悪魔が吹く笛の音に惑わされて、操られてしまった。魔が差した」と形容してもいいように思う。

 その笛の音にのってしまう時というのは、比較から来る評価によって自己肯定感が持てない時に多い。あるいは、不安から排他的になっている時。つまり「自分の信じているものが一番であるために、他には間違っていてもらわないと困る」という状況である。



●あなたには、本来その笛の音に対抗する力がある。

 気付きを得る力が、潜在的にある。

 それを生かせるかどうかは、あなた次第。

 最終的にはあなた次第でしかないんだけど、気持ちとしてはあなたを信じているからね。応援しているからね。

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