結局好みの問題じゃないか

 本書は、スピリチュアルな内容を(一応)お届けしているつもり……である。(汗)こういう書物の性質として、(私は言わないが)宇宙の真理が言われているように捉えられたりする。たとえば、悟った(ような)人が「これは……なんです。これの正体は……です。その時は、これこれこうしましょう」

 そういうことを言うと、この先生に対して受け入れ認証手続き済の熱狂的信者は——


 

●なるほど、そういうことだったんですね!

 初めて知りました。驚きです。

 これからは、そのように生きていきます!(はぁと)



 そういう反応をしたりする。

 また、そういう真理について言及するメッセンジャーは、何かすごく思える。

 昔昔、アイドルは「トイレに行かない」とか「オナラをしない」という都市伝説があった。今だと、アホみたいな笑える話である。今時、乃木坂46のメンバーだろうがオナラもウ●コもすると誰でも分かっている。しかし、ことスピリチュアル界においては、面白いことにこれが分かってない人がいる。

 スピリチュアル実践者が、覚者なりスピリチュアルメッセンジャーにひとたび心酔すると、もうそれは昔の「アイドル扱い」で、「間違ったことは言ったりしたりしない」という無意識の前提がある。

 だって、正しい「真理」をしゃべる人なんだから。まぁ、そう思っちゃうよね。

 まさか、筆者のメッセージを愛読しているあなたは、そんなことないよね?

 大丈夫なはずだ。私が言うのは間違ったことや好き勝手なこと、冗談ばかりだ。



 でも、私は最近本当に思う。

 スピリチュアル・メッセンジャーって気取っていたって、しょせんみんな人間だよな!って。だってさ——

 


●非難されたら面白くないし、褒められたり肯定的な意見だったら受け入れるんだし。



 これって、皆そう。

 どんなにご立派で有名な方でも、逃れられない。

 すべての意見、感想、考え、批判は『主観でしかない』。

 


 私は、自分でも次のことは認めたい。



●自分に都合の良い、心地よい他人の「主観」は好意的に受け入れている。

 そのくせ嫌いな、気に入らない他人の主観は相手にしない。

(もちろん、時として謙虚に受け止めるというドラマは起こることがある)

 やはり、少しでも気を抜けば、いつのまにか無意識的に、外界から降ってくる無数の意見に関して取捨選択(えり好み)をしている。



 スピリチュアル指導者は、アイドルではない。

 間違いを言わない、とか常に正しい、というのはアイドルが「トイレに行かない」という神聖化と同じ。目を覚まされたし。

 もちろん、尊敬するなとか今よりもっと下に見ろ、と言っているわけではない。ただ、「必要以上に(ここ重要)上に見るな」と言っているだけである。

 もちろん、読む側・メッセージを受ける側にも知恵が必要である。メッセンジャー自身が、意識的にか無意識にか「人を自身に引き付けようとしている」こともあるからだ。

 悪魔って、めっちゃ醜いとか怖いとか思っていません? でも、悪魔の本質は「美」である。

 悪魔が醜く怖かったら、誰が悪魔の誘惑になんか引っかかりますかいな! 美しく、恐ろしいほど魅力的だからこそ悪魔は怖いのである。

 人を惹きつけて、そしてからゆっくりと獲物を狩るのだ。



 私は、確かに好意的な意見は取り入れ、そうでないものは心が「向き合いたい」と思わない限り相手にしない。なぜなら、私は一人の「人間」に過ぎないからだ。

 そしてそれは恥ずかしいことではなく、むしろ誇らしいことなのだ。元は「すべて」であったものが、せっかくこういう限定的な体験をしに来たのだし。

 多少癖はあるが、私は今『賢者テラ』というキャラでの人生旅を楽しんでいる。生きてる限り、したいようにさせていただく所存。

 私はアイドルではない。いつも正しいことを言うスピ的スーパーマンなどではない。間違い、失言上等!

 そう思うと、今日も気が楽である。

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