あなたのことはあなたが一番

 時々、耳にする。

 色んなスピリチュアル指導者の個人セッションなるものに行って「ピンとこなかった」、と。あるいは、あまり参考にならなかった。もっと言えば『期待したものとは違った』とか。

 


 筆者自身も時折そういうセッションをしている身なので、こういう問題と無縁ではない。面と向かって「あなたの言うこと、なんか納得できません」といようなダイレクトなフィードバックはこれまでにないが、その場を離れた水面下では色々言われているかもしれない。

 しかし、これはセッションする側の問題ばかりではないのだ。今日は、そこのところのお話をしたい。指導者サイドの問題点に関しては、長くなるのでまた機会を改めて、ということで。



 そもそも、個人セッションなるものは 『具体的な成果を期待して行くものではない』。そんなものは、かなりの確率で得られない。

 宇宙は、あなたの知能程度がシュミレーションして思い描いて当てられるような貧弱な世界ではない。豊かすぎる世界なのだ。豊かすぎて、あなたの予想など当たらない。ましてや、あなたの願う通りの結果など、そっくりそのままやってなんか来やしない。

 この世は、お釈迦様が称したように『一切皆苦』の世界。つまり、思い通りにいかない、ってこと。そんな世界に住んでおいて、意識の在りようで不可能はないなんて言うのは、どこの夢遊病者か。



 あなたが、願望や理想を指導者に求めて重ね合わせれば重ね合わせるほど、そのズレはひどくなる。もし仮に、「おおっ、私の期待通り! 素晴らしい!」となったら、それはそれで良いことのように聞こえるが要注意だ。

 最初が良すぎると、後々におけるその指導者へのあなたの採点が甘くなる。一度惚れ込んで「この人の言うことは真理だ」と思うと、冷静に聞けば多少変なことを言っても、色眼鏡(その先生は素晴らしく信頼に足るという)で見てしまうので、幻惑されてしまう。



 そもそもさ、相手がどんなに素晴らしいスピリチュアリストだろうがさ、あなた以上にあなたのことを知っている者はいないのだよ。

 いつだったか、私は年配の女性のクライアントから「息子が引きこもりなのだが、どうしたらいいかアドバイスを欲しい」と言われた。

 私は当然、「それはこうすればいいですよ」なんて言わない。

 


●えっとね、お母さん。

 私は今初めて、あなたの息子さんのことを知りました。しかもいくつか言葉上の情報を聞いただけ。

 会ったことも、会話したこともない。どんな顔かも知らない。そんな私が、ここから何か偉そうに言えることがあると思いますか?

 それに引き換えお母さん、あなたは本人を除いては誰よりも息子さんと時間を共有してきたのではありませんか? もっとも身近な存在として。

 だから、誰よりも答えを分かっているのは、あなたなんです。 

 問題は、「自分は一介の主婦に過ぎず、自分の判断なんて大したことはない。それよりも、心理学の先生やカウンセラー、大学教授のほうが知識が豊富で、私より優れた答えをお持ちだ」と考えていることです。

 一期一会のこの世界で、公式を当てはめていつ何時でも同じ成果を得られるなんてことはありません。一番頼りになるのは、普遍的な格言や教えではなく、『その時その時の、リアルタイムで湧いてくる思い』 が、いちいち正解なのです。

 事情を知らない他者が提供できるのは、あくまで「一般論」的なお話か、自分がした似た経験上の考察だけであって、それがあなた独特の事情のニーズに合う確率は決して高くはないのです!



 個人セッションなんて、悩んでいるからってやらないほうがいいように思う。

 もちろん、絶対やめろとは言わない。うまくいくケースもないとは言えないから。ただし、ギャンブルだとは言っておこう。

 だって、他人というのはどこまでいっても宿命的に「分かり合えない間柄」なのだから。正しく見れない宿命なのだ。

 エンパス(並外れた共感力を持ち、人の感情、エネルギー、その場の空気を読み取ることができる人)という人種が時としているが、過信しないほうがいい。他人であるという限界があるため、エンパスでも見誤りは結構多い。

 だから、そういう看板を出している人のセッションを受けて、「あれ?」となる人は多い。もっとこっちのことが分かってもいいようなものなのに……って。

 エンパス能力にも、「主観」というバイアスがかかってしまうことを見逃すべきではない。



 結論。

 個人セッションなんぞで人生の問題を解決しようなどという、図々しく安上がりなことは考えないほうがよい。所詮は人の意見である。

 仮に他人の言葉であなたが劇的に変わっても、それはそもそもあなたの側の魂の準備ができていただけ。十分に耕されており、きっかけを待つだけになっていた。そしてセッションでの言葉がトリガーとなった。ただそれだけで、相手の言葉には何のすごさもない。

 そのきっかけだけで構わない、と言うなら個人セッションを受ける価値はある。ただ、あなたの側の準備ができていない状況だと、大ハズレになるよ。

 だって、弾が込められていないのに銃の引き金だけ引いても、何も起こらないよ。



 最近多いのが、「筆者さんとしゃべってみたかった」「単に会いたかった」。

 私は、これをお勧めする。それだと、「これを解決して帰るぞ!」という執着も力みもないので、お金分の値打ちがあるだのないだの余計なことは考えないで済む。

 いや、逆にそういう状態でのセッションのほうが、ガツガツモードにあるときよりも気付きが得れやすいように思うのだが。


 

 個人セッションは、その先生が好きだから会いたい。話をしてみたい。

 何か聞き出すぞ、という必死さで申し込むよりも、それくらいの軽い動機でやるほうが、かえっていい感じになると思う。

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