ひねくれ者が世界をまわす
今日は、ひねくれた視点について学ぶ。
素直な視点ひとつ持てればそっちの方がいいように思えるが、それにプラスしてひねくれた視点も同時に持てるようになれれば……
●選択肢の幅が広がる。
選択の幅とは、人生の豊かさであり潤いであり、余裕であるから。
つまりひねくれ者になれ、という趣旨ではない。一般平均的な視点と同時にその真逆からも見れるようにしておけば、物事に対して多角的に見ることができれば、それだけ得るもの(収穫)も多い。気付きも多くなり、洞察が深まる。
というわけで、これからちょっと皆で『ひねくれ者』になってみよう。
では、題材として一昔前に流行ったSMAPの『世界にひとつだけの花』という歌を挙げてみよう。著作権の関係で歌詞をそのまま載せるわけにはいかないので、各自探して読んでほしい。ってか、あまりにも有名なので何も見なくても歌詞が分かる、という方もいるだろう。
この歌がヒットした時、世間にはほとんど好意的に受け入れられた。大勢が、この歌が良い歌で、励まされ自己肯定感というプレゼントをもらったと思った。
この歌がはやることが、社会にとってひとつの良い兆し(世界の成長への)だという認識があった。私がかつて勤めていた障がい者施設でも、この歌は蔓延(?)していた。ほとんど皆が、この歌を手放しで喜んだ。
しかし、禅僧で恐山の院代でもある
●私は、この歌が流行っていると知った時、あまりの悲しさに泣けた。
とうとう、こんな寂しい時代になってしまったか! と。
昔(近代以前)だったら、「あなたが大事」「あなたは特別」などという個々への肯定と励ましは、親兄弟・あるいは愛する人という身近な人物がその役割を担い、こなせていた。
言い換えれば、SMAPの歌の歌詞のようなことはもともと「当たり前」であり、何ら驚くような、斬新な内容ではなかったのだ。「だから何?」程度のことである。
しかし現代になって、社会システムのアンバランスな過剰成長のせいで、人間関係は希薄化。親子関係でさえも友達感覚に近いものも多くなり、それぞれが自分のことばかり考えだした。
身近な存在が、昔のような役割を担ってくれなくなった。他人は誰も自分を、悪いところではなく良いところを見つけて、優しく認めて肯定などしてくれない。
だから、会ったこともないTV画面の向こうにしかいない存在に、「ナンバーワンよりオンリーワン。何があろうとあなたは大事なんだよ」と慰めてもらわなければいけない時代になってしまった。そんな遠い存在に励ましてもらって感動をもらわなくてはいけない時代とは、なんと不健全な時代なのだろう!
筆者が賢者テラとして活動する一年前くらいに、このお坊さんの文章を読んだ。
世界に一つだけの花という歌は、キリスト教的には大賛成な歌であるから、当時私もこんな視点があるのかとビックリした。
当時、多少は「このお坊さん、ひねくれてるな」と思わなくもなかった。でも、何だかとっても心に残った。
私は今でも、思いだすのだ。「視点の変化」というものの面白さと醍醐味を、最初に教えてくれた人だから。
もっと、この歌に関してひねくれてみよう。
『政府陰謀論』。
一部の勝ち組が、負け組に催眠術をかけてそのままにしおくための幻惑術。
「ありのままでいいよ。ナンバーワンなんてならなくていいよ。争っても苦しいだけだろ?」
そのように(現状限定の)ニセモノの自己肯定感と、ニセモノの平和主義をさももっともらしく提示することで、下層の民はゆとり教育状態に。これで~いいの~♪と歌いだし、ガッツを出さなくなる。
それを尻目に、それ今のうちだ! と実力ある者、やる気のある者はナンバーワンを目指してしのぎを削る。そして、本物の実力を持った『ナンバーワン』が生まれる。
今の一部勝ち組の支配体制を盤石にするために、ピラミッドの下側の大勢をコントロールしやすい「おバカ」にしておきたいのだ。いざという時にも本気を出す術を知らない烏合の衆など、恐れるに足りぬ。
イエス・キリストの次のような言葉が聖書にある。
●持っている者はさらに与えられて富み、持っていない者は持っていると思っているものまで取り上げられさらに貧しくなるだろう。
土井孝義という社会学者も、次のように言っている。
●この楽曲はありのままの自分でいることを肯定してくれる癒しの歌とも受け取れる一方で、若者の間で「個性的であること」に対して高い価値を置く規範が共有されている状況下で自分が「ごく平凡な私」に過ぎないとしか感じられない者に対しては、救われない内容である。
つまり、オンリーワンとはその人らしさ、個性的であることである。
その際立った「個性」がない、いわゆる空気のような、いてもいなくても分からない「地味な」タイプの人がいたとして、その人たちは「オンリーワン性すらない」ということになり、結局救われない。
結局、何かの分野で競うことをやめても個性において競う、という笑えないオチとなる。
他にも、『反戦歌』(イラク戦争の直前だったため)と捉える者もいる。
競争社会に積極的にコミットせずに現実逃避する非主体的な若者のメンタリティと結びつけて批判される場合もある。
これまで述べたように、この歌は「ただいい歌として人気が出ただけ」ではないのだ。色々なタイプの考え方の人々に、色々な波紋を投げかけたのだ。
そこでまた、様々な味わい深いドラマが展開する。
もう一度最後におさらいする。
今回、ひねくれた視点を紹介したのは「ひねくれ者になろう!」ということが言いたいのではない。ひねくれ者は、単に迷惑である。
私が言っているのは、『ひねくれ者の視点をも身に付けよう』ということ。たとえ採用はしなくても、その視点を持つことはブレーキでいう『あそび』の部分と同じで、非常に大事な役割を果たす。思考と発想において「バランス感覚をもつ」ということに直結するからだ。
でも、やっぱりひねくれ者には才能がある。彼らは、人格の幼さから反発的に「あえて悪い方の見方」を選んでしまうという短所があるものの、その感情的「クセ」さえ取れれば、柔軟に視点を変えれる人生の達人に変身できる素養は常にあるということだ。
テイク・ア・チャンス! ひねくれ者!
今回紹介した南さんのような人の発想が、世界を面白くしていくだろう。
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