イライラ棒

 その昔、『イライラ棒』なるゲームが流行ったことがあった。

 ゲーセンに置いてあるものを楽しむこともあり、テレビのバラエティー番組で芸能人が挑戦しているのを見て笑ってたりしたものだ。筆者は個人的にやってみたことはないが、想像するにあれ、やっててかなりイライラするんだろう。



 なぜ、イライラ棒は「イライラするのか」?

 そもそも、イライラするとはどういうことか。どういうメカニズムで、イライラするのか。おおまかな理由はものすごく単純なことである。



●思い通りにいかない。



 言ってしまえばそういうことだが、詳細に見ればもうちょっと事態は複雑である。

 例えば、船の墓場、と言われるどエラい海域に船が迷い込んでしまったとする。

 船の行く手に、Aという大きな岩が立ちはだかっていたとする。

 面舵いっぱいで、全力でよける。

 やっとよけられて、ホッとしたのも束の間。今度はBという岩が現れた。

 何てこった! 今回もなんとか全力でこれをよける。

 でもよけたと思った矢先、そのすぐ鼻先にCという岩が!

「こりゃもうよけきれん!」

 で、船はドッカ~ン。イライラ棒とは、例えるとそういう感じである。

 端に引っかからないように、全神経を研ぎ澄ませて棒を進ませる。でも、そのコースは意地悪なほど複雑だ。

 上げ過ぎるとぶつかるし、下に下げ過ぎてもぶつかる。急ぎすぎるとぶつかるから、ゆっくりめに。でもゆっくり過ぎると、緊張で手が震えてちょっとの動きで端にぶつかるかもしれない……



●あ゛ーっ!イライラするわぁ!

 冗談じゃないぃぃ~~~~!!



 人は、人生においても『イライラ棒』をやっているようなものだ。

 生きる上で、我々の中に無意識に様々な「条件ごと」がある。



●こうなってほしい

 こうなるのはイヤ

 こっちはもっとイヤ

 これなんかは絶対にイヤ

 こうなるのはマジあり得ないし!



 どうも、条件が多すぎませんか?(笑)

 こっちをよければあっちにぶつかり、あっちをよけると向こうにぶつかる。

 最後まで、条件を押し通してゴールに着くなど、至難の業だ。理論上100%というものはないので、絶対不可能だとは言わないまでも、実際の現実ではまず無理だと言っておこう。奇跡的にできる1千万人に一人のために何か言うよりも、残り9百9十9万9999人のためにメッセージするほうが実際的だからね。

 いや、確率なんて関係ない! 意識の力、思いの力を使えば、不可能はない! ってことを言う人は、ここに向いてません。他の夢見る夢子スピリチュアル本を読んでください。



 人生の『イライラ棒』プレイの難易度を下げるには?

 もちろん、コースの端と端の幅を広げたり、曲がる時の角度を緩やかにしたり。

 これは、人生においては「こうでないと、という条件を減らす」ということに当たる。でも、この際に注意が必要である。



●無くす、なんてバカなこと考えないでしょうね!?



 それは、行きすぎである。完璧主義はよくない。

 この世界に、雑菌が必要なのと同じである。ある程度の条件ごとがあるから、人生が面白い。人生に張りが出る。

 まったくないなんて、敵も出て来ない落ちる穴もないスーパーマリオと同じである。いったいどこが楽しいのか。

 だから、実際的に我々に必要な作業は何かというと——



●本当に必要なもの、本当に望むものに条件を絞る。



 そぎ落とせる部分はそぎ落とす。

 欲張り過ぎると、イライラ棒の難易度が増す。

 条件を増やすと、成功時の報酬は増えるが失敗するリスクも同時に増える。

 筆者にも、もちろん生きる上での条件がある。イライラ棒の、当たったら痛い端っこがある。



●奥さんや子どもの(私にとって 理不尽な)ケガや病気・そして死。

 発信したいメッセージが、発信できない状況になること。



 でも、それ以外はそぎ落とした。

 甘えれば、今より大きな家に住みたいとか。(今団地住まい)いい車が欲しいとか。(今のはもう8年以上乗っている)そういう願望もあるにはある。

 でも、それらのことにマジになりすぎると、イライラ棒が難しくなる。

 誤解のないように言えば、私は決して「そうならなくていい」と思っているわけではない。なったらなったで、それは歓迎できる事態だ。

 ただ、私はポイントを絞りたいのだ。分散させたくない。

 今、私の喜びは、生活に問題なくこの発信をし続けられること。家族仲良く暮らせること。この二つができていて、あとはおまけでいい。

 くれたらもらう。もらえなくても、執着しない。

 


 最初から、あきらめて試合をするのは愚かだ。

 だから、私も人生ゲームプレイヤーとして、二点の絞り込んだ条件にこだわるし、勝ちを取りにいく。

 でもそれは、我々ゲーム次元のレベルであって、もっと上では 「起こることが起こっている」。だから、私はこの人生舞台の上で人として幸せを、夢を追いつつも、どこかである内命性・指向性のゆえに動いている(脚本を演じている)という冷めた部分がある。

 その二つは、共存している。まるで「冷静と情熱のあいだ」みたい。(笑)

 最悪、譲れない二つの条件が壊れても、その時はその時だ。

 


 私は、そんな覚悟で生きている。

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