ビューティフル・ライフ
近所に、車椅子の女性がいた。
時折、彼女が玄関まで車椅子で出てきて、自分で自動車の運転席まで移って器用に出発していくのを見かけることがあった。
まぁその手際の良さに、下手したら歩けるかどうかということを除けば、自分より器用かも……なんて思わず考えてしまった。
私は、最近事情でこの近所に越してきたので、彼女の過去や事情は分からない。
いつの頃からだろうか。
私は、勝手な想像をするようになった。
当時彼女イナイ歴が人生の長さだけ、という自分が思わず想像することなど決まっている。もし、決まった相手(男)がいなさそうなら、私が彼女を……なんてことである。
折しも、ちょうどその頃は木村拓哉と常盤貴子の主演ドラマ『ビューティフル・ライフ』が大ヒットした年でもある。ハンデ(障がい)を背負っていても、愛があるなら……なんて美しい話に、単純に感化された。私って、結構単純で影響されやすいんだよな!
常盤貴子とまではいかないが、彼女は一般人レベルではかわいかった。そして何より、決して不純な動機で言うのではないが……巨乳であった。
(注:巨乳だったから彼女を好きになったのではなく、好きになったら彼女がたまたま巨乳だっただけである)
それまでは、ただ見かけるというだけで言葉すらかけたことがなかった。
しかし、人生のシナリオとは不思議なものだ。意識しだしたからかどうか知らないが、不思議と挨拶したりそのつでに会話が続いたり、ということが起こってきた。
お互いに、近所に住んでいるということとフルネームくらいは知るようになった。
これをきっかけに、男女の関係で進展があればな、なんて期待した矢先のこと。
ある日を境に、彼女とは会えなくなった。
三日や四日なら、体調を崩したり旅行に行ったりなどあろうかとも思うが、これが数週間に及ぶと、さすがに彼女に(彼女の家に)何があったのか、気になった。
そういう近所の噂情報に詳しい、どの町内にも一人はいるであろう情報通のおばさんによると、彼女は自分の背負った障がいに極度のコンプレックスを持っているらしい。よくありがちな話だが、事故で車椅子人生になったのを境に彼氏と連絡が取れなくなった。それで一時絶望し、手が付けられないくらい荒れたらしい。
でも、精神科への通院や投薬で落ち着き、ここ数年はできる仕事も探し、前向きだったらしい。しかしまた、きっかけは不明だが精神不安定がぶり返した。
暴れて、手が付けられなくなり緊急一時保護措置のようなものを受けて、自宅にはいないらしい。家族も、長期療養になることを覚悟で、宿泊の荷物をまとめてついていった。
その後、交代で家族は家に帰ってくるのを見かけるようになったが、本人を見ることはなかった。
その後、風の便りに聞いた話では——
彼女は遠い他県にある、グループホームにも住めて通える作業所のようなところで、再出発したと聞いた。
足の事があるまで健常者だった彼女のプライドが、それを受け入れるのは簡単ではないだろう、とは想像した。でも、彼女に何より必要なのは休養であり「時間」だと思った私は、彼女が元気であるように祈った。
私は、あらためて考えた。
ひとりの女性を愛し支えるって、どういうことだろう。もっと言えば、外側の見える事情に関係なく人を支える覚悟とは、何だろうと思った。
私は、自分が車椅子の彼女に淡い好意を抱いた経緯を考えてみた。
車椅子の女性を愛した、普通男の純愛ドラマに感動した。そのこともあり、僕でもいけるんではないか、なんて安逸に考えた。
そのこと自体に罪はないだろう。責められることではないだろう。でも、実際のところどうだろう?
仮に、彼女の彼氏の立場に僕が立てるとして——
僕は本当にどんなことがあっても、錯乱する彼女に自分が傷だらけになっても、彼女を支えられるだろうか。その覚悟は、あるか。
人を好きになるということは、甘い側面ばかりではない。こればかりは、とても厳しい現実である。
実際、彼女の介護に当たっていた両親は、平常心を失った彼女が投げた灰皿が額に当たってけがをしたらしい。(彼女はタバコを吸うわけではなく、カッとなって我を失った彼女の手近にそれがあった)
もちろん、カッカした恋心が燃えていたら「それも乗り越えてやる!」なんて思えるんだろう。でも私は、一抹の寂しさとともに、彼女への甘い思いにサヨナラした。
●ゴメンネ。軽々しく僕が支えられるんでは? なんて思って。
そしてありがとう。命を支えることの厳しさ、人を好きになることの峻厳さを教えてくれて。
もし僕が今後女性を好きになることがあれば、何があっても愛し抜く覚悟をもって、好きになるね。
確かに、未来の事は分からない。絶対どうなんて言えないことは分かってる。でも、今この時だけでも「絶対支える」と思えないとウソだと思うんだ。
それほど懸けてもいい人に巡り合えたらいいね。お互いにさ——
現実は、ビューティフル・ライフのドラマのようにはいかない。
(あれ、最後に女性は死んじゃうけどね)
結局、あの女性とは人生においてほんの少し接点ができただけだけど、愛する覚悟について考えさせてくれた、大切な出会いであったことは間違いない。
その後、私はまた事情で引っ越している。
彼女を見ることも、どうなったかを聞くことも、もう二度とないだろう。
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