さよなら大好きな人

 筆者の過去の女性にまつわる話は、これまで重いものばかりだったので、今回の話くらいはちょっと軽いノリになればいいかな、と思う。でも、結果が残念なことには変わりはないのだが!



 今回の主人公となる女性は、そう……仮名を谷口さんとしておこう。

 時系列的には、私が障がい者施設で働いている時の話で、浅谷さんが新規職員として入ってくる少しだけ前に当たる。



 谷口さんは中途採用で、年度の初めに来たのではなく夏くらいに来た。正職員枠ではなく、非常勤職員という枠組みであった。

 背が高めで、スラリとしたスレンダー体型。顔だけ見れば、『知的美人』と表現するのがピッタリな感じの人だった。その上スーツなんて着た日には、そのままドラマに出てきそうな「典型的OL像」にぴったりなビジュアルだ。

 今、私は「顔だけ見れば」と意味深な表現にした。

 そう。

 彼女は……口を開けば超が付くほどの『天然』さんなのである。恐らく、綾瀬はるかもビックリである。

 我が人生で、思い出に残る中で最強の天然さんである。筆者の現在の妻も結構そうであるが、比較論では妻より谷口さんのほうが絶対上である。

 でも、モナリザとまではいかないが、笑った感じがものすごく癒される。私の出会った他の女性で言うと、新興宗教時代の「上野さん」にオーラが近い。

 普通、知的な感じが先行するとクールに、冷たく見えがちになるものだ。でもことこの谷口さんに関しては、知的さと温かみのあるやさしさという、この両立しがたい二つを両立していた奇跡な人だった。



 そんな魅力的な美人さんなので、彼女募集中の男性職員がおとなしくしてはいない。何人かの男性職員が、谷口さんにアタックした。

 仕事帰り、私の同僚の男性たちは私を飲みに誘い、自分の胸の内を明かしてくれたものだ。谷口さんが好きで、今度告白してみるよ、と。その時さほど彼女に関心がなかった私は、「おう、応援してるぜ!」なんて励ましたものだ。

 でも、この世のシナリオとは面白いもので——谷口さんにアタックした男どもは、全員玉砕した。後に浅谷さんをゲットしたイケメン職員の中山は、不思議と彼女には食指が動かなかったようで、この一連の物語ではおとなしくしており、登場しない。

 谷口さんは、隠し事ができるタイプではない。ピカイチの人間観察力、洞察力を誇る職場の主任(女性)をして、彼女に関して「ゼッタイ彼氏いないね」と言わしめた。そこで、密かに職員間で話題なったのは、以下の疑問である。



●特に彼氏がいるわけでもないのに、なぜ皆アウトだった?

 じゃあ、どんなタイプなら谷口さんのお眼鏡にかなうのか?



 前の記事でも触れたが、私の施設の仕事の一環に、ショートステイ事業(障がいのある方に宿泊していただける)というのがある。現場では職員二人体制を必ず取るので、必然的に私も谷口さんとペアになることもあった。

 その交流の中で始まったのが、ビデオの貸し借りであった。当時はDVDはまだそれほど普及しておらず、主流はVHSテープだった。

 映画の趣味がほぼ一致したので、お互いに気に入って所持している作品の貸し借りが始まった。その時点でも、まだ私は谷口さんに対して特別な感情を意識しなかった。ただ、純粋に友達としてやりとりして楽しかった。



 そんなある日のこと。

 仕事の帰りに、谷口さんが私にこう言った。

「私の家に、来てくれない?」

 彼女はもちろん、親のいる実家ではなく、職場近くのアパートに一人暮らしである。あまりにもあっけらかんとして、天然な感じでホワッと言うので——

「もしかしてこれはっ!?」なんて、何かのサインとして受け取らせてくれる余地をくれなかった。まったく下心を相手に抱かせない言い方ができる彼女の手腕は、天下一品としか言いようがない。

 二人で仕事の帰り道を歩きながら、私はなぜ自分を誘ったかの事情を聞いた。

 谷口さんは、兄からおさがりのパソコンをもらったらしい。でも、彼女はメカに弱かった。初期設定やネット接続など、チンプンカンプンらしい。

(当時はまだウインドウズ98。辛うじて、短命に終わったウインドウズMeというのが登場したばかりの頃)

 で、彼女は私なら「パソコンに詳しそうだ」と思ったらしい。

 交換条件として、私がパソコンの面倒を見る代わりに、谷口さんが手料理をご馳走してくれることになった。で、彼女の家に入る前に近くのスーパーで食材を買っていくことになった。その時の買い物が楽しくて、私は彼女とはカップルで、仲睦まじく買い物を楽しんでいるかのような錯覚さえ覚えた。



 私はその日の出来事を後日、先ほども触れた女性の主任に話した。

 主任は上司ではあるが、結構オープンに話せる仲だったから。ちなみに主任は年齢的にも決して女性として見るターゲット外ではなかったが、残念ながら既婚者であった。私の報告を聞くと、主任は目を輝かせてこう言ってきた。



『それって、脈あるんじゃない?』



 私なら、谷口さんのハートを射止められるのでは? とふんだらしい。

 その日から主任は、私と谷口さんをくっつける応援団のような感じになって、色々入れ知恵してきた。私も私で『ブタもおだてりゃ木に登る』タイプの単純な人間だったので、上司の立てた作戦通りに動いた。

 私は谷口さんを映画に誘ったり、テーマパークに誘ったりした。

 普通そんな場所、彼氏とじゃなきゃ二人きりで行かんぜよ! でもなぜか、私たち二人は行けてしまった。

 告白してもない。互いの気持ちを確認さえしていない。よほど天然なのか、彼女は誘うたびに二つ返事で「行く行く!」と言った。

 もうちょっと、「何で私はこの人と二人で遊びに行かなきゃいけない?」と落ち着いて考えてくれてもいいのに。彼女のオーラからは、本当に子供っぽい「楽しいな」波動しか伝わってこず、私のことを少しでも男女の仲で考えてくれているのか、皆目見当がつかなかった。



 ゲーセンで二人プレイに興じたり。カフェで話し込んだり、映画を見たり。

 そのたびに彼女は喜んでくれたが、何をどう認識して喜んでくれているのか、わけが分からなくなった。

 基本彼女は何でも喜ぶが、こちらがよし、二人の関係性を進めるぞ! と一歩進むことを覚悟させてくれる「何か」を、最後まで感じさせてくれなかった。

 私は結局最後まで、谷口さんに「好きだ。付き合ってくれ」と言えなかった。



 主任とグルで谷口さん射止め作戦を遂行してきたが、最終的に「もうあの人はそっとしとくか」というところに落ち着いた。

 さすがの主任も、このまったくの『天然不思議ちゃん』の読めなさには白旗を上げた。これ以上攻略の術がない、と。

 もちろん、こちらから思い切って告白することはやろうと思えばできる。でも、それが宇宙のシナリオだったのか、私はそこまでしようとは結局思えなかった。

 自然と、いつしか谷口さんとは出かけなくなった。でも互いに気まずくなるとかはなく、天然の不思議ちゃんなので、相変わらず職場では私と仲良く仕事した。



 そのうち、私のほうが新しく現れた浅谷さんと親しくなり、私の意識の比重がそっちに移った。そこから、私がその施設を辞めるまで、最後まで谷口さんは「良き友人」であった。

 あれほど、女心って分からねぇ! と思った経験はなかった。それはれいや浅谷さんの比ではなかった。

 散々あの笑顔には振り回されたけれど、実に楽しい思い出だった。ゲーセンのガンシューテイングゲームで、抜群のコンビネーションでベストテン入りのスコアを叩き出したあの日のことは、今思い出しても楽しい。宇宙の王として、素晴らしい登場人物たちに恵まれたドラマだったと、本当に思うのである。

 谷口さん、今頃どうしているかしら……

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